第24話 異能と異常と闘病と
目覚めた瞬間は冷たい、そして物悲しい味がした。
突っ伏した状態で口の中に水が入ったのだろう。
そして頬を伝って涙が零れて来たのだろう。
視界は雨と涙に濡れている。
泥水に濡れた胸には託された思いがあった。
その燃えるような感情はアシュを動かすのには充分すぎた。
燃料としては最高に近い。
「…。ありがとう」
本当に満足のいく結末ではなかった。
だが確かにアシュは命を貰ったのだ。
御礼を言わねばなるまい。
約束を果たさねばなるまい。
すっと体に力が入り、
自分の無力さが悔しかった。
彼女の思いを受け継ぐのが何より嫌だった。
役目を果たすべきなのは、救われるべきなのは自分では無いのだから。
それでもアシュは立ち上がる。
沈む泥濘の中でももがいて、足掻いて、最善を諦めるなと制約を課されたから。
何より、叶えたい未来があるのだから。
だから雨の中でも立ち上がれるのだ。
「アリス…無事でいてくれ!」
無事を祈り、また駆けだす。
アリスと別れたスーパーまでの距離は100メートルを切っている。
鬨の声は未だ聞こえ、銃声や振動なども足を介して伝わってくるようになった。
それは近づくに連れ、徐々に大きく、鮮明に聞こえてくるようになる。
大切な存在の無事を祈る内なる声もそれに比例して大きくなる。
先程までいた通行人も尋常ならざる出来事に尻尾を巻いて逃げたようだ。
野次馬をするような命知らずも居ないらしい。
スーパーまで残り30メートル。
スーパーの襲撃者達だろうか。
灰色のコートを纏った人々が地面に縫い付けられている。
周りには斬馬刀やらマシンガンやら棍棒など様々な武器が散乱している。
その様はまさに武器の見本市とでも言うべきか。
気絶していることをこれ幸いとアシュは拳銃を一丁拝借する。
そんなちっぽけな銃一丁で病院で遭遇した恐ろしいもの達に太刀打ちできるとはアシュも思っていない。
しかし、少なくとも丸腰よりはマシなはずだ。
ちっぽけな
スーパーまで残り5メートルを切った。
その時、一際大きな声が聞こえ、次いで何かが思いっきり地面に叩きつけられる音がした。
その威力は凄まじく、離れているはずのアシュにまで衝撃が来た。
早速アシュでは太刀打ちできない脅威が現われたのか。
アリスを救うという祈りはここで潰えるのか。
いいやそれでもなおアシュは進むしかない。
恐怖に歪む顔を叩き、軋む心を叱咤して、竦む足に鞭を打ってでも前に進む。
スーパーまで残り0メートル。
見慣れた後ろ姿がアシュの目に焼き付く。
傍らに地面に倒れている三ツ首を添えて。
「せ、先生?」
その声に振り返る狂花の瞳には奇妙な意匠が施されていた。
鈍色の剣と銃の意匠が。
「…アシュ?どうして、ここが…。なるほど。…どうして、来てしまったのですか?」
「…ごめんなさい。恵夢から話を聞いたら、居てもたってもいられなくて」
「…まぁ、いいです。中に入りましょう。私から離れないでくださいね」
「これは、先生が、やったんですか?」
「ええ。邪魔をされたので仕方なく。教育上良くないし、強引なことは嫌いなんですがね。家族の安全上、これは譲れない」
「やっぱり、ここにアリスが」
「ええ。中々面倒くさい事になっているようです」
スーパーの中は物品が散乱しており、人の気配もなかった。
一歩歩く度に踏み潰された卵パックや撒き散らされた肉、床に落ちた生魚などがあちこちに見つかり、本当に酷い状態だった。
中にいた客は余程混乱していたのだろう。
所々に争った形跡が見て取れる。
そして、散乱するゴミを踏み潰しながら奥の扉へと向かう7つの靴跡。
いや一つは靴と言うより足跡だった。
「これ、犯人のかな?」
「いえ、違うでしょう。犯人が乗り込んできたから客が混乱した。という事は靴跡なんて残ってないかゴミの下にあるはずです」
「でも、だったらこの足跡は一体誰の…」
「さて、奥に進めばわかると思いますが…まぁ私たちには関係ないと思いますね」
「…行こう」
スタスタと臆せず奥へと突き進んでいく狂花。
その後をおっかなびっくり追いかけるアシュ。
奥に進むにつれ、壁や床には弾痕や抉られた痕、人型の窪みなどがあった。
それは激しい戦いがあったことをありありと示していた。
血もそこかしこに撒き散らされており、余程の殺戮が行われたと思われる。
数多の戦いを経験してきた狂花は
血の飛び散り方から使われた凶器の特定くらいは造作もない。
(特殊な弾を使用した銃と、刃物…そして殴打による流血や圧迫による吐血…とても人一人や二人の出血量とは思えない…でも死体がないのも妙ですね…これは、アシュには見せられませんね)
そう先に進んでいた狂花は思い、後ろのアシュに声をかける。
「アシュ、ここから先はショッキングなので…」
「…大、丈夫です。アリスと早く合流しなきゃ」
「…そうですか。もし辛くなったら言ってください」
自分を慮った発言に気丈に振る舞い、目的を果たさんとするアシュに狂花は感心半分心配半分で応じる。
それから暫く進むと、半壊した金属の扉があった。
それは腐食していた。
「…行きますよ?」
「はい」
部屋の奥は黒ずんだ世界だった。
一体何をしたらこうなるのかと想像が追いつかない世界が広がっていた。
その黒い世界に飲み込まれるかのようにフルフェイスの男が壁に凭れ掛かり、静かに息をしていた。
「っえ?」
その男は紛れもなくアシュ達を連れ去りに来た男女の片割れであった。
フルフェイスはアシュを確認すると微かに肩を震わせ笑いながら話しかけてきた。
「ふふ…ぐっ…はぁ…はぁ…追っ手かと思えば君か…、やはり、因果なものだな。
血反吐を吐きながらそれでもなお喋るのを辞めない男。
一体誰に深手を負わされたのか。
戦闘衣の至る所は裂け、そこから覗く皮膚は裂傷や紫紺に染まっている。
見ていて痛々しい
「あなたが…またアリスを攫おうとしたんですか」
「──いえ、違いますよ」
横合いから話を掻っ攫って行ったのは狂花。
「お前は…神田、狂花…
亜雅羅は驚きのあまり身を僅かに乗り出した。
きっとフルフェイスマスクを被っていなければひん剥いていただろう。
「どうも。中層出身の亜雅羅さん」
「フッ…俺如きが知られ、覚えられているとは…光栄だな」
「え?え?亜雅羅ってもしかして…シーナって人とアシュと共に戦った…?」
日記の内容を反芻しながら質問する。
「あぁ。その亜雅羅で間違いない。…不甲斐ない、グッ、結果になってしまったが」
「あの時も、そして今も、一体何が…」
「あぁ。あの時のことは…ゲホゴホ、追って話そう。それよりも…伝えておかねばならんことがある。この面子なら大丈夫だろうが…この先には
アシュには事の重大さがよく分からなかった。
唯一分かったのは亜雅羅の傷は放置しておくと数分もしないうちに命が喪われるという事だけ。
それは嫌だった。
アリスを助けるために他の誰かの命を見捨てることはアシュには出来なかった。
「そんなことより手当をしなきゃ…」
「…必要ない…少し休めば問題ないからな」
「そんな出血量で何を!」
「大丈夫、だ。それよりも彼女を…」
「…なんで…死んではダメだ!」
「やめろ、それは使わなくていい。本当に、大丈夫だ」
「でも…!」
「アシュ、行きましょう。彼は大丈夫です」
そう言われてアシュは困惑した。
付き合いは決して長くはないが、それでも狂花は人を見捨てる人ではないと思っていたから。
飛び出た一言も困惑を隠せないでいる。
「え?いやでも」
「一つ渡しておくものがある。もし、何か困難な出来事に遭遇し、君の力が使えないのならば、これをその銃に込めて、自分に撃つといい」
そう言って亜雅羅は弾薬箱を差し出してくる。
雨と血に塗れた萎びた紙製の箱であった。
表面には扉とその扉に突進する銀の雄牛のマークが書かれていた。
その中には銀の弾丸が入っていた。
「自分に?」
「自分やその困難を乗り越えて欲しい人に。そうすれば…グッ、どんな困難も越えて行けるさ。…さあ、時間が無い。急いでくれ」
「ありがとう」
「シーナを頼む」
「ええ。行きますよ、アシュ」
そう言ってアシュ達は亜雅羅と別れ、さらに奥へと進んでいく。
剣戟の音を求めて。
火花が散って、何かが壊れて、また何かが激突する。
シーナと橘とが激突し、香澄が橘を援護する形で戦闘が展開されている。
そこは地獄であった。
人の身ではとても入れない空間であった。
そこに割って入れる人物は果たして人なのだろうか。
人ならざるものなのか。
「そこまでにして頂きましょうか」
華麗な声とともに槍が突き出される。
その槍の穂先とは逆にいるのはもちろん。
「神田 狂花だと…何故、ここにいる…!?」
「え?その人って…まさか!」
橘は信じられないものを見たという表情を隠せず、香澄は手で口を抑え、驚きを隠せずにいる。
そこへさらに追い討ちをかけるように。
「先生!アリス!」
「ッ!?」
「あ〜遂に来ちゃいましたかぁ…マズイですねぇ」
「いや、ついでに最終目標が来たからこれはチャンスかもよ?面倒くささでいえば倍増だけど」
降参、とでも言いたげに香澄は明らかに脱力する。
そのくせアリスは傍に置いて離さない。
橘はボリボリと頭を掻き、あーでもないこーでもないとブツブツと呟きを零している。
人攫いを計画し直しているのか。
(なんだあの人…ピンク髪の…いや、それよりもいかにも魔女ですよって感じの人もいる。魔法を使うのかな?全然魔法なんて分からないけど。でも、それを掻い潜ればアリスを助けられる!)
気持ちを新たに立ち向かう決意を固く結ぶアシュは警戒するように二人を見る。
「橘さぁ〜ん、これはわてぃし達ふたりじゃ流石にむりじゃないでぃすか?レドも居ないし白洸さんは役立たずだしあっちにはあの人もいるしぃ、逃げちゃいましょうよぉー」
「いやいや、さすがにここまで来て何も出来ずに撤退はないでしょ〜。めんどいけどさぁ、やらなきゃ」
「なんで、あなた達は、どうして…なんでこんなことをするんですか!僕達は何も悪くないのに!」
「何故ってそりゃ仕事だから。お前が良い悪いなんて関係ない。完遂しなきゃ首が飛ぶんだよ、比喩じゃなくね。それに、これは俺が任された仕事だ。俺が帰って呑気な酔っ払いになれるようにここで捕まえる。組織からの手の者なんて撃退することを考えるだけでも面倒だ」
「なんでそんな酷いことを!平然と悪事を働けるんだ!?面倒って理由でそんな事をして恥ずかしくないのか!家族に胸を張れるのか!」
「悪の道?外道?目的のために手段を選ばないマキャベリズムが悪だと何故決め付けられなければならない?お前の考えが、価値観が世界の全てだと思うな。正義が正義として変わりなく普遍的なものであると思うな。そして何より、お前が、俺の大切な人達を決めつけるな。馬鹿にするな。あの人達だって、香澄だって俺を認めてくれている。俺の行動を認めてくれている。俺は俺のやりたい事を貫き通す。こんなクズな俺でもいいってな!だからろくに知りもしない化け物を捕まえて突き出しても、そいつがどんな悲惨な人生を歩んでいこうと俺には関係ない。俺は俺のままで、大切な人さえいればいい。だから──」
そう言って橘は手を交差させ、握っていた拳を開く。
「──大人しく捕まってくれ」
橘の手のひらから黒いモヤのようなものが落ちていく。
まるで小さな生物の集合体のようだ。
それは綺麗に磨かれた床を腐食させながらこちらに迫ってくる。
更に追撃として香澄が魔法を詠唱する。
その声は普段とは違い、真剣味に溢れていた。
その言葉を聞くだけで卒倒するものがいると思う程力強い詠唱であった。
「稲妻を天の射手と呼び、
「させない!」
詠唱を聞いて使う魔法に見当が着いたのか神速で香澄に肉薄するシーナ。
その速さたるや韋駄天など問題にならないくらいに速く、長い詠唱を完成させることは出来ない。
「──軛を、くっ『霧散霧消』!」
香澄が何とか絞り出した攻撃は恐るべき威力を静かに秘めてシーナに迫る。
慣性の法則がある限り、運動状態の物体は急には止まれない。
「『巨大化!』」
突然、シーナの巨爪が大きくなった。
ただでさえ大きかったのに体積比は以前の五倍以上はある。
それが一薙ぎで文字通り攻撃を『霧散』させた。
「うそっ!」
「まだまだ私の方が強い」
「もぉ、包み込んだと思ったのにぃ…」
「アシュ、気をつけてください。あそこの魔女のような格好をした彼女、一見古風な魔術を使いそうだと思いますがその実彼女は異常性を獲得しています。前遭遇した時は私も捕まえることに苦労しました。霧に呑まれてはいけませんよ」
「え?…え?」
「香澄が最上位を使うなら、こっちもお返し」
「香澄、避けろ!」
「手出しはさせませんよ」
「くそっ!いつの間に!」
「──刃は冥道西を突き刺し焦土は開闢
「まさか!
香澄があまりの事態に取り乱す。
『
それは基本エレメント炎系統最上位魔法の一つ。
一振の刀から放たれる一閃であり、遍く全てを悉く灰燼に還す。
その運命から逃れられるものはない。
深紅の刀身が虚空より顕れ、シーナの掌に収まる。
「止め──」
「──ですから、行かせませんよ」
止めようとシーナに向かおうとする橘を抑えつつ、香澄へ飛ぶ斬撃をお見舞する。
狙いは甘いが、当たらないというだけで何も変わらない。
香澄も橘もシーナをの詠唱を止めることが出来ない。
「──胡蝶は夢幻を揺蕩いて真紅にその身を沈める。勇気を焔に憎悪を刃に。悪辣を刀身へと打ち込めて世界は軈て完遂される」
炎が吹き荒れ、熱が喉を焼く。
「──因果の
咄嗟に身を引こうとした橘達だったが足が地面に固定されて動けない。
そして、その隙を逃すシーナではない。
刀が振るわれる。
その軌跡をなぞるようにして、様々な色を持った世界を紅が塗りつぶして行く。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます