第23話 re:start turn member

走る、走る、走る。

息も絶え絶え、新鮮な酸素を欲して喘ぎながら雨を飲み込んで走る。

頼むから間に合ってくれよと瞳から雫が流れる。

心も割れそうなほど苦しんで、軋んでいる。

走っている刹那、一瞬、一分、一秒すら不安で押し潰されそうになる。

先程、ようやくアリスが本当に心を開いてくれたのだ。

本音をぶつけて、不満を何とか無くすように歩み寄れたのに。

そして自分はようやくしたい事、してあげたいこと、それぞれを見つけられたのに。

今更、敵に奪われてなるものか。

彼女を救い出し、本当の気持ちを伝える。

まだ伝えても伝えても湧いて出てくるこの気持ちを。

そして、アシュになれたのなら。

アシュとして認められたら。

もう一度始めるのだ。

もう一度あの日々に戻るのだ。

もう一度幸せを思い出して貰うのだ。

だからこそ、あったはずのあの日々を忘れさせたくはないし、あるべきではないあの日を繰り返させる訳にはいかない。

アシュはそう思う。

だから走る。

降りしきる雨はその勢いを強め、アシュの全身を叩く。

遠い、遠い前の時代。

ここではない惑星の紀元前の話ではあるが。

試合中に倒れたラガーメンは薬缶の水を被って闘志を奮い立たせたという。

それに似たことがアシュにも起こっているのか分からないが。

息は絶え絶えなのに寧ろ、追い詰められるほどその脚は確かに大地を掴んでいる。

胸の鼓動と不安が積もる速度と走る速度は次第に速くなっていく。

逸る鼓動につられ脚も息も上がって行く。

曲がり角を滑り、地面を擦りながら曲がる。

水溜まりの水が跳ねてアシュの下半身を濡らすがそれでもアシュは止まらない。

途中、疎らに遭遇する通行人からは訝しげな視線を頂戴するがそれを気に止めていられるほどアシュの精神は成熟していない。

良くも悪くも目の前の事態に手一杯なのだ。

先程、通った道順を逆走してついにアリスと別れた地点へと到着すると言うところでアシュは異音を聞いた。

つい先日に聞きなれた、剣戟の音、銃撃の音、ときの声。

そして悲鳴、罵声、怒号。

灰色の景色の中で塗られたその感情の極地はどぎつい色となって反響する。

赤い、激怒の叫び声。

青い、悲愴の泣き声。

黒い、憎しみの呻き声。

雨がそれを押し流し、アシュに届ける。

悲しみに、怒りに、焦りに、恐怖に濡れたその色は明らかに平時では見れない景色であろう。

その色の中にアリスがいないと誰が言えようか。

誰がこの状況を楽観視出来るだろうか。

その声たちを聞きつけてアシュの足は一層早まった。

自分の足が韋駄天いだてんのような速さであったらどれだけ良かっただろうか。

自分が魔法を修めていたら飛んでいけただろうに。

何か異能のようなものがあれば、それを駆使して彼女を守れたのに。

後悔ばかりが押し寄せる。

しかし、自分が持っているのは確かな形を持たない噂のようなものだ。

それらしい事を仄めかす日記はあった。

しかし、それが彼の妄言ではないという証拠もない。

確かにそれらしい手応えはあった。

しかしそれが今起きるとは限らない。


(───めよ)


確証がなければ人は救えない。

魔法なら、異能なら確認ができる。

何か聞こえる。


(──なん────救───めよ)


しかしこれは願う事しかできない。

そんなものでは──。

誰かの声が聞こえる。


(───に至りし者。我らが王の力を受け継ぐ者。汝、手から溢れる者を救うことを望むならば、理想を求めよ)


理想を求める。

それだけでいいのか。

アシュは思う。

願うだけで、願いは叶うのかと。


(汝は宇宙を統べし者。理、因果すらも汝の思うがまま)


理を統べているのならば。

因果すらも捻じ曲げられるのならば、願ってもいいのだろうか。

自分の、自己中心的な、利己的な醜い願望を。

世界を好き勝手書き換えていいのか。


(汝は王。遍くを統治する存在なり。その有り様は唯我であり、絶対。その覇を止められるもの無し)


否、迷ってはいけない。

自分にはこれしかないのだから、これを精一杯使って彼女を守ると、そう誓ったでは無いか。

ありのままの不器用で、彼女を救うと。


「アリスに手を出す奴は、全員、破滅してしまえばいい!いいや、僕が、この手で破滅させてやる!」


その願いは世界に届いたのか。

世界から音が無くなった。

アシュの視界はグルンと回転し、体は地面へと、意識は白へと落ちていった。



















そこは茜色が藍色を塗りつぶす明けの明星の世界だった。

周りは大瀑布が流れており、そのちょうど上に太陽が登っている。

アシュはその大瀑布の上にいた。

空は星が最後の力を振り絞って瞬いており、朝と夜が手を取り合って踊っているようだった。


「旭よりも星が近い世界へようこそ──アシュ?」


声のかけられた方に振り返ると、水の流れを変えている大きなな岩の上に星を見上げる人影が見えた。

その人物は──否、人ではない。

形は人なのだが、下半身は黒い鱗のような鎧のようなものが付いていて、下半身だけ黒い竜となっているみたいである。

それにその特異な部分は赫々と脈打ち、その度にギシギシと肉体があげる音ではない音を立てる。

よく見れば手も硬質化し、長い爪があった。


「ん?あぁ、これ?…かっこいいでしょ。だからね。元に戻りつつある今は一番あって嬉しい要素かな。いやー大変だよ。何も食べなくていいとはいえ、何もすることがないし、手慰みに何かやろうにもこの手じゃ壊す以外得意じゃなくてね。ま、手の形位は変えれるんだけど。することが無い」


ヒラヒラと手を振ると、その度に形が変わる。


「あなたは、一体…?そしてここは?」

「あぁ、すまん。誰かと話すのは久しぶりだからついついペースを考えずに喋ってしまった。お前にとっちゃ分からないことだらけだよな。ま、話す前にこっちに来な」


手をクイクイと曲げるとアシュの体はいつの間にかの隣にいた。


「ま、ここじゃ俺の思いどおりに出来るんだけど。いいね、枷も代償も気にせず

「え…?」


思わせぶりな一言は想像を絶する言葉へと繋がる。


「──俺もさ、その体に苦労したんだよ。アシュとして頑張った。だからこそ今自由になって楽しいんだけどさ」

「あなたが…アシュ…さん?でも、この体に、似ても似つかない…」


その藍色の髪も、骸骨のような顔も似てもにつかない。

アシュに爪も恐竜のようなしっぽもない。


「ま、そりゃそうさ。こっちの俺が本当の俺。と言ってもお前のガワに引っ張らてるから人間の男っぽくなってるけど。そもそも俺は性別ないし、なんなら女の方に寄ってる」

「…え?」

「…なんだ?どうした?」

「え?女の方によってる?へ?え?」

「女よりの無性別?みたいなイメージさ。この顔じゃイメージしずらい?声も顔も少しずつ調整しているんだが」

「ちょ、ちょちょちょっと待ってください…理解が、追い、つかない…。確かに、確かに、声は女っぽいなと思いましたけどッ!俺って一人称なんですか?!てか、僕の体に入ってたって!見てくださいよこの身体!付いてるでしょ!アレが!付いてるでしょう!?」

「そこかよ。いや、知らんよ。見せびらかすな。こんな見た目とはいえセクハラだぞ」

「いや脱ぎませんよ!いやそうだ!脱ぐ時、脱ぐ時どうしてたんですか!?」

「は?脱ぐ時?え、実演を求めていらっしゃる?求められてる?脱いで欲しいの?今ここで?」

「違います!更衣室とか僕は男の方使ってましたし、女の方行ったら蹴飛ばされましたよ!あなたがこの体の持ち主女だったて言ってるのに!」

「なんで行ったんだよってのは置いておいて…体のことに関してはまぁ、魂の形に肉体が引っ張られたんだろう。お前のは男だったのか。そうすると今までの経歴がおかしいから世界が書き変わった。そういう事」

「…そんな…記憶すらも…」

「あぁ。だから使。特に人の身ではね。俺もこの身体から人間になった時、いくつかの制約を呑んだよ」

「制約…ですか」

「その事についてはお前を振り回してしまって済まない。きっと苦労したろう?」

「苦労、ですか?ここまでの話が、いまいちよく分からないんですけど。前のアシュとかはまだ受け入れられるけれど、その制約とか力とか前世とか…」


アシュの一言に彼女はどう思ったのか。

顔を背け、旭を全身に浴びながらポツリと言う。

ヒリヒリとしか何かがアシュの肌を舐める。

それは幾度も経験した悪寒、というものだろうか。

喉に何かが張り付く気がする。

唾を飲み込み、先を聞く。


「アシュ、お前なんでここにいると思う?」

「え?あ、そういえば…」

「──お前、死んだよ」

「──ぁへ?」

「人間みたいな矮小な存在じゃあね。副作用ですぐ死んでしまう。『アリスに手を出すものは全部破滅』、か。また随分壮大なものを願ったもんだ。その気持ちをあの子に向けてくれるのはとても嬉しいけど」

「死んだ…?僕は、死んでここに居るんですか?」

「勿論。制約と副作用でね」

「制約って…そんなにも重いものなのか…。でも別に、忠告は無かった…無かったはず」

「まぁ厳密には意思によって自由に破れるから能力の安全装置リミッター的なものなんだけど。1、『一日に願えるのは3回』。2、『規模が大きすぎる願いは控える』。3、『私利私欲では使わない』。この三つかな。まぁ願いの対価も破った代償もお前はわかるだろ?」

「命…」

「そんなもんかな。命を削られているもの同士、やっぱりわかってるね」

「じゃあ!僕は…もう既に死んだっていう…事ですか」

「そうだね」

「では、ここは死後の世界?」

「意外とすんなりと受け入れるんだね。覚悟が、できていたのかな」

「なんででしょう。ここに来たとか死んだとか…ショックが大きすぎて逆に、死んだという実感が湧かない?感情がオーバーフローしてるのかもしれません。悲しくなんかありません」

「そっか…悲しくない、か」

「はい…僕は悲しくありません」

「二度目だから?」

「二度目かどうかは分からないです。それに何度だって…何度だって…っ!」


石の上の二人は空を見つめる。

片方は震えて、もう片方は何処かに思いを馳せて。

世界に取り残されたもの同士、肩を寄せあって世界を見る。

瞳から雫が垂れる。

喉の奥から慟哭が漏れる。


「お前、嘘つくの下手だな…」


そっと抱き寄せられ、に顔を埋められる。

そこはとても安心できる。

まるで柔らかい揺りかごのよう。

アシュはまるで母に慰められる幼子のように静かに啜り泣いた。




















「そっか。やっぱり置き去りにされるのは辛いよな。何も知らないまま死ぬのは恐ろしいよな…何も出来ずに死ぬのは…怖いよな」

「怖い…ものすごく怖いんだ…あの子に、何もしてあげられなかった。約束して、もう一度やり直せると思ったのに。足りないお礼を言い続けてあげたかった。足りない幸せを満たしてあげたかった」

「足りない幸せか…何をしてあげたかったんだ?」

「幸せに、アシュのいる世界を見せてあげたかった」

「そっか…いる世界か。…その世界をアリスは望んでいるのか?」


どれくらい時間が過ぎただろうか。

ずっと身を委ねていたように思う。

アシュの言葉は語り尽くされた。

残ったそこには取り残された彼女の不安があった。

苦悩を吐き出す姿があった。

アシュは言葉を絞り出し、安心させる言葉を必死に探す。


「アリスは泣いていましたよ。なんで死んでしまったのかって。自分の目の前から居なくなってしまわないでと。約束したのにって」

「アリスとの約束は書き換えられずに残ってたのか。そうか…忘れられたわけじゃないのか。無くなった訳じゃないのか」


彼女の瞳にキラリと光るものがあった。

アシュの目元もまだ赤く腫れている。

雫が頬から零れ落ちるのと同じように、彼女の本音が漏れ出す。

本音をぶつけあった二人の間に、アリスを大事に思う二人の間に確かな絆があって。

それが本音を引き出した。


「全てを無かったことにして幸せを探してもらう…私の存在すらも忘れて。そう、それは一度は望んだはずの結末なんだ。納得した終わり方だったんだ。でも、ここに意思がある。ここに、私の意思があり、私がここにいる。私は死んでいながらここに存在している。それだけで未練や後悔が湧いて出てくるんだ」

「探してもらうって…これとは違う、幸せになる方法をですか?」

「…あぁ。何千年、いや何万年かな。考え続けてみたんだ。でも、ここにどれだけいても永い孤独を感じるだけでちっともいい考えは思いつかない。助けてくれる人が訪れることも無い。非情な神は救いの手すらも差し伸べてはくれない。…苦痛に肉体ガワが歪んだ。中身が孤独を認めた。でもそれ以外に変わることは無い。だってこの世界は私と同じく死んでいるから。きっとこのまま行けば孤独で心まで擦り切れて、永遠の朝焼けの中で私は怪物になっていく。そんな今日すらも想像していたんだ」


絶望の言葉を吐き出す仮面を被った彼女の姿は、しかし、絶望に膝を屈していない。

それどころか希望を持ったかのように絶望を跳ねのけるような明るい声音で言う。

盃に注がれ、溢れてくるものは絶望ではなく。

微かで、それでいて確かな希望だった。

凛とした声はアシュの心にじんわりと染みてきて。


「でも君の泣きじゃくる姿を見て、母性が擽られたんだ。下手くそな嘘に貰い泣きしたんだ。そして何より空回りしたお前の熱意が私の孤独を溶かしてくれたんだ。不変の中で枯れそうな私の心に感情潤いを与えてくれた。それは神ではなく、君が私にくれた物だ」


その言葉にアシュは耐えられない。

逆に自分の無力さを浮き彫りにされているように感じられて。

自分自身が自分の功績を認められない。


「そんなっ!そんな事、無い。僕は、何もしていない…。僕は無力のろくでなしの無能で…大事な、女の子一人だって救えやしない。結局なんでもないところで無様に死んで…そんな、そんなダメな人間なんだ!」


自分はダメだと自罰的なアシュにそれでも感謝をやめない。

過ごした時間は無駄ではなかったと。

停滞した世界の中でも、確かに残したものがあるのだと。


「ダメなもんか。お前は確かに、私を救った。その自覚がなくとも、何かしらの打算が有ろうと、偽善だろうともお前がした行動は変わらない。してくれたのはお前で感謝しているのは私だ。あの子のことを大事に思ってくれていることもとても嬉しい」

「でも…でも…ッ!もう…ダメなんだ…もう僕は死んでしまった。あの子を救う対価に耐えきれずに」

「誰かを救いたいと願うことに、誰かを救うことに対価は必要ない。あってたまるか。そんなクソッタレな物があるなら、私が肩代わりしてやる。──だから、お前を救わせてくれ。力にならせてくれ。アシュ、お前が私にしてくれたように。アシュ、今度はアリスを救ってくれ」


ハラハラと黒い破片が舞う。

それは

仮面にも格子状にヒビが入り、今にも崩れんとしている。

アシュは引っ張られるように意識がなくなりそうになる。

白い痛みが頭に打ち付けられ、視界を覆い隠すように雫が溜まる。


「駄目、駄目だ!…そんな!どうして!その力があるならあなたが行けばいい!どうして僕なんかに!」


白く逼迫した世界の中でそれでも彼女は綺麗に笑う。

仮面は、もう崩れて無くなっていた。

美しい顔が涙に濡れていた。


「私は、そうだな。ラプラスの悪魔って名前はあまり好きじゃない。そしたら……そうだ、〈〉とでも名乗っておこうか。世界から排斥された者。ドイツ語の…意味は無いからそうだな。名無しさんってとこかな。うん。。いい関係だな。まぁ私たち二人に当てはまるかどうかは別として」

「どうして!」

「私は、最後に人を幸せにしたかった。私はもう充分に幸せを貰ったよ。だから次は私が誰かにあげる番なんだ。ただ、一つ約束して欲しい。アシュ、理想に膝を屈するな。幻想に縋るな。そして何より最善を諦めるな。それが私がお前に託す制約だ。…結局なんだかんだ言って制約を課してしまってすまない。頼む、アリスを救ってくれ」

「ハイセさん!」

「頼んだよ、アシュ」



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