第21話 FRONTLINE

「──んでぇ、あの金髪の可愛い家出少女を攫って撤収でいいんですかぁ?」

「あぁ…そうだ。…はぁ、めんどくさい。なんであんなのバケモンどもの相手を…鬱だ。俺はそこそこの奴相手に仕事をして、勝って、やりがいを感じてアパートでビールを飲めればそれで幸せなのに…いくらガンマ・エクスでも…はぁ…もう辛い。誰かヒモでも養ってくれる人居ねぇかなぁ…」

「でぇも橘先輩めっちゃ強いじゃないですかぁ。深層とはいえ、大丈夫ですよぉ」

「例え俺がアイツらより強くてもバレたら。目撃者を殺して、情報操作して、その為にセキュリティセンターに侵入して…時間外労働だ…俺の人生唯一の楽しみが奪われていく…」


夕日ももう傾いて、その夕日を曇天が覆い隠す頃合に、ビルの上に一組の男女。

逢魔が刻。

それは魔が溢れ、魔と出会い、魔が彼岸と此岸の境界を曖昧に闊歩する時。

それはあちら側からの刺客なのだろうか。

灰色の外套はビルに溶け込む。

灰色のギブソンタックの髪を揺らして大きく首を傾げる八重歯の少女に、ギザギザしたショッキングピンク髪に目の下の濃いクマを引っ提げた男が言い放つ。

と言うよりは独り言だろうか。

後ろ向きな発言が喉から溢れだしている。


「あぁ…強力な…そう、ストロングなゼロのやつ飲みたいなぁ…全てを忘れたい…」

「わてぃしはぁお酒飲めないんでよぉくわかんないんですけどぉそんなに美味しいんですかぁ?ビールなんて苦いだぁけですよぉ」

「俺が店でワインなんて選んでみろ…周りの人間から『あいつ気取ってワインなんて飲んでやがる。聖夜だって一人で引きこもってそうなドくそ陰キャなのに』とか言われて…馬鹿にされるんだ。俺みたいなやつは手軽に酔えるアレが相応しいって事だ…ハハ…」

「そんなぁショッキングピンクな髪色の人見たら誰でもぉ驚くと思うんですけどぉ。被害妄想激しいですねぇ…注目されるのが嫌ならぁ染めなければいいのにぃ」

「染めてる訳じゃない…地毛だ。誰が好き好んでこんな色に染めるか…染めるにしたってもうちょいマシな色に…って何回この話した!?」

「そぉですかー?わてぃしはとっても可愛いと思いますけどぉ?」

「……え?……え??」

「アハハ照れてるんですかぁ?可愛いぃですねぇ」


可愛いと言いながら女は俯いた男にグイグイと顔を寄せる。

男は恥ずかしいのか体育座りをしながら決して顔を合わせようとしない。

グルグルグルグル二人はその場を回る。

そのまま一進一退の攻防が続く、かに思われたが後ろから女は手を伸ばし、橘の頬をぷにぷに押し始めた。


「えいえい。わてぃしもそんなぷにぷにほっぺになりたいなぁ」

「香澄、ちょっと、やめてくれ」

「そぉんなこと言わずに…ほらほらー…あれぇ?」


先程まで香澄のそばに居たはずの橘がいつの間にか反対側にいた。

その傍には三つ首の人型と巌のような巨漢が。


「んもぉ…レドぉどうして邪魔するんですかぁ?」

「そんなことしている場合じゃない…任務優先。「そろそろ時間」、「そろそろ時間」、そろそろ時間」


レドと呼ばれた三つ首の男が目下のスーパーを指さす。

それは何の変哲もないただのスーパーだ。


「じゃかあしい。何度も繰り返すな」

「およ?白洸びゃっこうさんも来てたんですかぁ」

「チーム、揃った。「仕事」、「仕事」、仕事」

「はぁ…ここにいる四人以外は?」

「周りに待機。「隠密」、「隠密」、隠密」

「雑魚がいくらいても煩わしいだけよ」

「んな事言うなら俺的にはあんた一人で行ってきて欲しいんだけど。めんどいし」

「…クッ、ヌハハ、ヌワハハハハハハハ!腰抜けめ。そこで指を咥えてみているがいい。我一人でどのような任務でも容易く達成できるとな!」

「あーはいはい。頑張ってねー。はぁ…部下に見下されてるとか下克上の可能性とか…はぁ考えただけで面倒くさい。もう君の方が強いってことでいいよ。どぉーせ俺は役立たずのクズですよ」

「橘せんぱぁいそんなに卑屈にならないでくださいよぉ。そんな事言ってめっちゃ強いじゃないですかぁ」

「腑抜けが。なぜあの者もこやつを責任者に据えたのか…役立たずよりも我の方が余っ程相応しい。全くこやつもこやつを慕う者も、従うものも悉くつまらん。下の下よぉな──あぐぅ、がっ」


一瞬で距離を詰め、襟首を掴み、橘が白洸の言葉を遮る。

その瞳は怒りに染まっていた。

先程までの態度とは一転、荒々しい殺意が、刺々しい戦意が、ありありと感じ取れた。

それに呼応して押し潰されるようなプレッシャーも辺りに撒き散らされる。

吐き出される言葉の一つ一つに弱者を嬲るような強烈な感情が渦巻く。


「てめぇ、おい、初めて組んだからと下手に出てりゃ偉そうに…勘違いすんなよ?」


橘が巨漢を首を掴んで片手で持上げる。

ミシミシと骨を軋ませ、ビルの谷間へと歩いていく。

身長からは考えられない光景はいっその事シュールだ。

白洸が抵抗した際に、外套のフードが外れ、頬に刻まれた意匠が露になるが橘は意にも止めない。

雨に打たれることも厭わない。

ただ、目の前の男に憤怒している。


「グッ…は…なせ」

「離せって言われて素直に離すわけねぇだろ。それも、馬鹿にされてんだぜ?。俺が腑抜けなのはまぁ認めよう。お前如きの野郎に言われるのは癪だがな。だがな?こんな面倒くさがりで、不真面目な俺でも、俺の事をキチンと認めてくれる人への罵倒を許せるわけねぇだろ?」

「グッ…くそ…!何故抜けられん…」

「どうした?雑魚の腕一つ外せないのか?手加減しまくりの二流の腕も外せねぇなんてド三流もいいとこだな」


そこへ心底どうでも良さそうな声音で仲裁に入る三つ首。

というか作戦をずっと気にしているらしい。


「…リーダー。キレてもいいからそろそろ「時間」、「時間」、時間。ターゲットが逃げる」

「あぁ。すまん。なんのせいにしたって何事も失敗するのは気分が沈むよな。それにこんな三流喜劇見せられたんじゃな…はぁ…とりあえずお前は地面で頭でも冷やしてこい!」

「…ウグォ!」


溜息を吐きがてらビルから地面へと巨漢を勢いよく投げ落とした橘はそのまま首だけで振り返り、言う。


「はぁ。とりあえず、作戦開始で」


そのまま橘は飛び降りて行った。

それに苦笑した様子の香澄。

しかし三人とも白洸を心配した様子はない。

それは実力を信頼しているが故か、はたまた最悪死んでもいいと思っているのか定かではない。


「はぁーい。…フフフ、やっぱりわてぃしのパートナーさんは強いですねぇ。一番長く組んでるだけあってあんな事言われてぇ…わてぃしも愛されてますしぃ…はぁ素敵ぃ」


その後に続いて頬を赤らめ、うっとりした表情で香澄が飛び下りる。

その際に魔女の帽子と首に下げるペンダント、そして魔法の杖を指を一振して呼び出して箒に跨ってから飛び降りた。


「時間は大事。守るの大事。でも、不愉快。「不快」、「不快」、不快」


三つ首は足の筋肉を膨張させ、空へ飛び上がっていった。

曇天は暫く晴れそうにない。
















「もうこんな時間…卵はここで買いましょう」


アリスは卵を買い物バックに詰め、出口へ向かう。


「…?…ッ!」


出口に向かう途中でなにか舐られるような視線を浴びせられたような気がした。

大型の肉食獣から視線を向けられた小動物のように震えてしまう。

全身を駆け巡る寒気が引かない。


(早めに…ここを出ましょうか。アシュたちも待ってますし、ここは何か、嫌な予感がする)


蛇に睨まれた蛙では無いが、熊を前にした人間くらいには恐ろしくなっている。

恐怖は簡単には消えてくれない。

目の前にいる者の正体すら分からないが。

あるいは背後に自分の立つのが危険だということしか分からない。

とにかく離れようとすると、後ろから肩を叩かれた。


「んもぉ、どこ行くんですか?

「ッ!だ、誰!?」

「嫌だなぁ…そんなに警戒しないでくださいよぉー。わてぃしもアリスちゃんも、?」

「え?」


困惑とともに振り返ると後ろにたっていたのはアリスより歳の頃少し高い灰色のギブソンタックの髪の少女だった。

その少女は大きなつばの帽子に箒と杖といういかにも古風な魔女のような格好をしていた。

その少女──香澄は肩に置いていた手をアリスの手に絡ませ、至近距離で囁く。


「勝手にぃ家出しちゃダメぇですよ?みんな困ってるんですからぁ」

「…みんな?アシュとか…」

「あぁ、やっぱりぃあの人も居るんですねぇ。もしかしなくてもぉ、あれのせいで記憶がないんですかねぇ…忘れられるなんてわてぃし悲しいぃ!」

「…ッ!忘れる…?記憶がない…そんなことは…」


昨日の病院での一幕が脳裏を過ぎる。

自分が浴びせた理不尽な怒りを。


『何故!覚えていないのですか。アシュぅ。なんで…』


目の前の状況とフラッシュバックした記憶が重なって上手く声が出せない。


「さぁ、帰りましょ?わてぃしたちのお家に」

「…お家に?でも、アシュ達が…帰りを」


触れ合っている掌から冷気が流れ込むように、全身の感覚が無くなっていく。

思考にモヤがかかり、意識すらも凍らされてしまいそうになる。

それに対して怖いだとか何とかしなきゃという認識すらも働かない。


「香澄。「早く」、「早く」、早く。奴らに嗅ぎ付けられる前に」

「レドぉ。今やってますってぇ。急かさないでくださいよぉー。これ、間違えると永遠に眠ったままになっちゃいますよぉ?」

「それは大変。「慎重に」、「慎重に」、慎重に」

「やってますよぉー。邪魔さえなければあと二分も掛からずに…」


そう言って香澄は握っていた手を離し、両手でアリスの両頬を挟む。

その手にアリスは何とかして触れる。


「冷た…ぃ……離し…て…」

「あれぇ?まだそんなに喋れるんですかぁ?凄いですねぇ。。まぁいいです。アリスちゃんは傷つけたくないしぃ、このままおやすみなさいぃ。目が覚めたら、またお話しましょうね」


流れ込んでくる冷たさが威力と全身に回る速度とを早め、強め、今にもアリスの意識を落とさんとしている。


(誰か…助けて…)


アリスの心の声が聞こえたのか。

それともこの事態を看過できない性分なのか。

天井から二人の人影が降ってきた。

一人はガスマスクのようなフルフェイスマスクにツインバレルの銃を持った男。

一人はアルビノのような白い髪に、右手には赤い手枷、左手に大きな爪をつけた女。

ツインバレルを突きつけ、言い放つ。


「さて、と懐かしい顔ぶれだが、その子を離してもらおうか」


着地後臨戦態勢をとる二人に、後ろに下がって臨戦態勢を整えたレドが問いかける。


亜雅羅あがら、シーナ。「何故」、「何故」、何故、ここにいる?裏切り者の薄情者」

「裏切り者ではあるが薄情者では無いだろう。よしみで助けるといった時断ったのはお前だろう?レド」

「シーナちゃん、お久しぶりですぅ。わてぃしのこと覚えてますかぁ?」

「もちろん、覚えている。香澄、その子を離して」

「離してって言われてもぉわてぃしたちはこの子の回収に来たんですよぉ…なんで邪魔するんですかぁ?」

「私たちはその子達が健やかに暮らせるように保護を頼まれたから。あの人との約束を守るだけ」


ギュッと右手を握り締め、胸の辺りに置いて切なく語るシーナ。

そこには親愛と寂寥感が見えた。

亜雅羅も銃をもってに力が入っているのかギシッっと音を立てる。


「保護」、「保護」、保護?ではなくて?「何故」、「何故」、何故?こいつらは危ない。「危険」、「危険」、危険」

「そう言うならレド、お前も香澄も十分危ないな。そう自分たちでも思うだろう?」


銃口を突きつけて問う。

勿論亜雅羅に今すぐに発砲するつもりはない。

今射撃すれば間違いなくアリスに当たるし、盾にされれば亜雅羅やシーナがここに来た意味が無い。

それをわかっているからこそ敵ものんびりと喋っている。

しかし、いくらそこに真剣味がないとはいえ、大口径の銃口に怯まないのはよく訓練されている証である。

軽い調子で香澄は言う。


「確かにわてぃしなんかは群を抜いて危ないですけどぉ、なら尚更?ま、わてぃしはあの中でもワースト近くなので世界を滅ぼそうとかぜぇんぜん思わないですけどぉ」


銃口を僅かに香澄に向け、警戒を怠らない亜雅羅。

シーナはずっとアリスを見つめている。


「深層出身が何を言うか。全く、そうなる前に保護してあげたかったが」


手遅れだと亜雅羅は言外に言う。

それを誰も否定しない。


「わてぃしの心配してくれるなんて優しいですねぇ。それにしても保護ですかぁ…あ!もしかしてあれです?最近噂の〈ハイセ〉って奴ですかぁ?」

「そう。私たちがハイセ。世界から排斥されたもの、名も無き者。それが私たち」


世界から排斥された〈排世ハイセ〉と独逸ドイツ語動詞の現在形一人称単数をかけた言葉。

つまり単独では意味を持たないので、意訳すると〈名無しさん〉となる。

それは語られることは無かったが、ここにいる四人はを思い浮かべ、その意味を知った。

──名を隠すのは、きっと誰もがここに入れるようにだ。

──名が無いのは、きっと世界に必要とされていないからだ。

──名乗らないのは、きっと誰かに顔向け出来ないからだ。


「うぇーシーナちゃんたちが〈ハイセ名無し〉だなんて思いませんでしたぁ。でも、捕まえたら橘さんに褒めて貰えそう…わてぃし、ワクワクしてきました。少し痛いかもしれないですけどぉ、許してくださいね?」


香澄は抱き抱えていたアリスを邪魔にならないように横たえ、戦闘態勢をとる。


「それはどうかな?」


待ってましたと言わんばかりに亜雅羅は銃を乱射する。

それは跳弾し、標的に向かっていく。

それに合わせ、二人は同時に踏み出した。

香澄もレドも臨戦態勢ではなく、完全な戦闘モードへと移行した。

かくして戦端の火蓋は切られた。

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