第20話 後悔かはたまた自戒か

病院から帰る道すがらアシュと別れて少し。

アリスはいつも寄っているスーパーに入っていった。

安くて新鮮なものが入荷する主婦御用達のスーパーである。

そして生鮮食品売り場にやって来たアリスは買うものの値段と自分の端末に持っている金額を思い浮かべて、何処で何を買うべきか暗算する。

陳列されている色とりどりの食品はどれも「僕を買ってよ」とアリスに囁きかけている。


「ここで卵をひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ、いつ、むー、なな、やー、ここのつ…は要りませんね。今の時間帯だとセールで八個入りが…でもあっちのスーパーだと少し高いけど十二個入り…うーん。今日はオムそばって手もありますね」


アリスの端末には残金5万5600円と表示されている。

これは孤児院の一月分の食費である。

この金額では、ひと月が残り僅かとは言え食べ盛りの十数人分の食費を賄うのには少し心許無い。

アリスは端末に欲しい食材の画像を入れていく。

そうすると、商品名と金額が表示される度に残金が目減りしていく。

そして最終的な残金を見て、アリスは嘆息する。

確かにもっと安いところを探せば安いが、そんな食品は合成食品だったり、培養する方法があまり安全でなかったりするものなので、このスーパーで売っている海洋プラントで採れた天然食品には勝てない。

流石に生活に困窮するレベルではないし、できることなら孤児院の子供たちには合成肉よりも天然の食材を食べさせてあげたい。

孤児院は狂花の個人的な資金と国の援助金で成り立っている。

そこまで贅沢な暮らしを望める額では無い。

せめてあと一人か二人家にお金を入れてくれる人がいてくれれば、と思わなくもないがアリスやアシュ──特にアシュ──はとある理由によって働き口がない。

狂花は現在の行動をみていると結婚するつもりがなさそうだし、結婚したとしても絶対に家に金が入る訳でもない。

もちろん、アリスの負担は減るだろうがそれを望んでいる訳では無い。

救いは春樹が医者になると言うなど、孤児院の子供達が助け合いたいと思ってくれていることだろうか。

彼らが懸命に勉強してくれるなら自分たちは彼らに教育する機会をあげればいいだけだ。

家計簿をつけ、その字面を見て四苦八苦するその様はさながら主婦である。

他の客はそそくさと荷物を入れて、レジを兼用している入口の荷物検査機で会計を済ませていく。

今どき現金を持ち歩くのはとても大きな商談で信用を得るためのアピール以外にない。

そう言っていいほど電子マネーが普及している。

出入口は人が出入りする度にピ!だのピピ!だのと機械音を鳴らしている。


「今月は誕生日会がありますし…アシュの退院祝いもしたし…お金、ピンチですね。せめてバイトかなんか出来ればいいんですけど」


求人サイトを眺めても、書いてあるのは単純作業型の機械人形オートマタには任せられない重要な仕事だったり、専門の知識や資格がないとできない仕事ばかりだ。

このスーパーで売っている肉や魚、野菜なども海洋プラントで機械人形オートマタによって収穫されたものである。

本屋の在庫管理もファーストフード店の提供や調理も工場の作業ラインも農作物や魚介類の収穫も単純労働は全て機械がこなしている。

そこに、人の入る余地はない。

なぜならそんな作業なら圧倒的に機械の方が能率がいいからだ。

休息も必要なく、決められたパターンを決められた間隔で寸分の狂いもなくこなす。

あとは修理や点検などであるが、それは月一の頻度で整備士の資格をもったものがする。

それ以外の専門的な労働など高校に入る前の女の子に出来るバズもない。

社会的な信用も専門的な技術もないのだから当たり前だ。

そんなアルバイトを中等教育レベルで受けることは難しい。

アルバイト氷河期と言い替えてもいい。

かと言って一般の企業がアルバイトを雇えないほど経済が回ってないかと言うとそうではない。

人工知能といえどもまだまだ人間の柔軟性には及ばず、そんな高知能を有した人工知能を育てるには一人の人間以上のコストがかかる。

なのでAIによって奪われた働き口はアルバイトや工場労働などの肉体労働的なあまり知識を必要としない単純作業である。

つまりあまり頭を使わない仕事は機械人形オートマタの方が安上がりなのだ。

アルバイトが出来ないため、受験戦争が更に混沌と化しているが、国としては今までよりより優秀な人材が国の中枢に入るようになっている。

また、受け入れる学校側も奨学金の枠を増やしたり、寮制、国からの支援金もあったりするので人材がより専門に特化していく形となる。

これも文明の発展に伴って企業が人件費を削減し、AIなどの導入に踏み切った結果である。

もちろん物の怪異形の類がいる世界であろうとも無かろうとも魔法やらの帰属的な才能は国防に必須だ。

そこに物の怪異形がいるのだから尚更だ。

よって人々は国を守るために日々の暮らしを機械に任せていく。


(そういえばアシュは…魔導官になりたいと言っていましたね。…私も、みんなを、人を、大事な存在を守れる人間に…)


ギュッと心臓を握り潰されるような感覚がした。

心臓が握り潰されて、中身が溢れ出してくる。

瞳から、心から中身が零れ落ちていく。

あぁ、きっと昔を思い出したからだろう。

いつまでたっても時間はこの傷を癒してはくれない。

しかし、くよくよとしても居られない。

悲嘆に暮れていたらきっと。

悲しみに喘いでいたらきっと。

このまま蹲っていたらきっと。

遠い日の彼の背中に追い付けなくなってしまうから。

悲しくても辛くても人生は走り続けなければならない。

そうしなければ夢は彼方へと消え、死が音を立てて近づいてくるから。


「──何かお困りですカ?」


回想と感傷に浸っていると後ろから声をかけられた。

アリスが知っている声ではない。


「え?」

「あ、いや、驚かせてしまって申し訳なイ。悲しそうな瞳をしていたのデ」


少しヘンテコな喋り方に振り返ると黒い鱗に覆われたシャープな人型──龍人りゅうじんがいた。

多分、こちらを心配しているような瞳──蛇のような瞳──をしてアリスの顔を覗き込んでいる。

アリスは人間以外の顔の見分け方がよく分からなかったが、別に初めてではない。

多種族が寝食を共にするこの国に住んでいる以上人間以外の生物と会うのは結構ある。

というかもはや日常の一部だ。

通学路で、学校で、仕事場で、ダンスホールで、乗り物の中で、お見合いの席で、遊園地で、学習塾で、カフェで、工事現場で、家庭で、近所で、公共の場で、取引先で。

至る所に彼ら彼女らは生きている。

人との共存共栄をしている。

差別はない。

そんな国に生まれて十数年生きているのだ。

言葉を交わすのなら雰囲気くらい読めなければコミュニケーションは成立し得ない。

だからこそアリスに声を掛けた龍人の彼は悪意などが無いことはわかった。

きっと誰でも種族外の顔を判別するのは難しいと心の中で言い訳をしながら。


「いえ、その…昔を思い出していて。亡くなった大事な人の」

「なるほド。なるほド。通りでそのような哀愁が漂っているわけダ」

「すみません。ちょっとまだ立ち直れなくて」

「謝ることでしょうカ?死者との思い出は尊いものですヨ。それ以上何か色が重ねられることはなイ。美しい窓辺からの景色でス。例え美化されていたとしてモ。いや、美化したいと無意識に思うほど当人にとっては大切なものなのですヨ。大事にして下さイ。心に大切にしまっておきなさいイ。すぐに忘れてしまっては、簡単に踏ん切りをつけられては、その人は浮かばれませんヨ」

「はい…」

「ゆっくりでいいんですヨ。じっくり考えてくださイ。その人は自分にとってどんな人で、どれだけの存在で、どんな事を自分に残してくれたのカ。皮肉なことにそれを考え、結論を出すのには人の一生は短く、亡くした悲しみを抱えて生きるには果てしなく長イ」


この龍人も、なにか見知らぬ少女に声をかける出来事でもあったのだろうか。

並々ならぬ事情があるのだろうか。

それ聞くことははばかられた。

それでも、口は開いてしまうもので。


「あの…」

「どうしましタ?」

「どうして、こんな事を…聞いて貰えるんですか?その…私なんかの」

「どうしテ…はテ?どうして、ですカ…どうしてと問われても返すことが難しいですネ。納得のいく答えなド…いえ、包み隠さずいえば、[一日一善]とか[情けは人の為ならず]だからでしょうかネ?自分の為ということでス…酷いでしょウ?」

「そんな…そんなことないです!聞いてくれて、とても助かりました!胸の蟠りが取れた気がして、その、前を向いて向き合えると思うんです。その、勇気と理由を貰いましたから!」

「そうですカそうですカ。なら、[一日一善]したかいがあったというものでス。さて、いい事をしたとはいえ、対価としての幸福や恩返しは全自動ではありませン。神か誰かの思惑があるのでス。ここは、贅沢に高級なお肉で焼肉するしかありませんネ!自分へのご褒美でス!」


カラカラとした笑い声を上げながら、その龍人は去っていく。

その手には先程まで買い物していたであろう買い物袋。

マイバッグであろうかデフォルメされた龍のアップリケが縫い付けてある。

去っていくのだが、途中で「この商品安いですネ」と言いながら寄り道、もとい物色しながら去っていくのだから何となく締まらない。

いい意味で緊張が解れたような気がする。


「いい人…だったなぁ」


しみじみと思ったがやはり先程の光景を思うと美しい思い出に後ろ脚で砂をかけられた気分だ。

責める気も削がれるほどのマヌケな光景になった。

胸を過った郷愁は、後悔かはたまた自戒か。

それとも次回への持ち越しか。

夢への灯火はまだまだ続いているのだ。

もしかしたら次回なんてものはないのかもしれない。

現実と夢の狭間で後悔は命綱を断つ行為だ。

即刻切り捨てて然るべき。

そう、思っていたのだが。

後ろを振り返り、軌跡をなぞっていなければ目的地も方角も思い出も否定してしまうことになる。

信じてきた物すらもゴミに変わってしまう。

進む道は前だけではなく、横にも後ろにも広がっている。

だから時には戻って自分の宝物をその目でもう一度見てみることも大切だと。

そう諭された。

もう一度、あの頃を夢見ると──。

──ボヤけた星屑の降る夜空が広がっている。

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