第13話 憧れゆく街は
機械と魔法が這い回る街の裏側。
非道と外道と悪意に塗られた路地。
強欲と己の誇示と金満の結晶である塔。
色慾と私欲が入り混じる空気。
底知れない程の規模で生存競争が今日も起こっている。
この力に酩酊する街で生き残るには強靭でならなくてはならない。
ストイックに自らを磨き、思索、思考、思惟、思弁を十全に使い、倫理を盾にしてライバルを蹴落とす。
そんな街で裏を牛耳ろうとする男がいる。
否、男の手は既に様々な国の表にも侵食しつつある。
その男は極悪非道とも言うべき行いをしてきたのにも関わらず、裏社会で好かれていた。
その男の魅力はなんだろうか。
その男は官能的な陶酔の中に溺れるには知性が冴えすぎていた。
その怪しい蠱惑的な知性に皆、惹かれたのだろうか。
その男の目的はなんだろうか。
それは
波乱の萌芽はどこで芽生えたのか。
焦眉の急を感じたのは一体何故だったのだろうか。
そんなものはとうにわかりきっている。
神のイタズラと言う他あるまい。
【嫌い】が愛の告白になったり、【愛している】が倦怠の表現だったりするこの世界で、それでも愛を教えてくれた人。
その母親は、死んだ。
他殺でも自殺でもない。
ただ、自然の病に罹って死んだ。
自然の摂理の内側で死んだのだ。
元々体が強かった訳では無いが、彼の手の届かないところで亡くなった。
学校から家に帰って来たら、もう既に命はなかった。
力の抜けた、抜け殻が横たわって少年を出迎えた。
誰が悪いわけでもなく、強いていえば運が悪かった。
ただただ、それだけだ。
少年は嘆いた。
一体何を憎めば良いのかと。
その心を揺さぶる称揚ももはや聞こえない。
その男のたった一人、母親は、最愛の人は死んだ。
それだけなら、まだ悲しいことですんだ。
しかし、父親と妹は違った。
母が病に罹ったと聞き、父親はまだ幼い妹を連れて長男に少年の世話を任せ、万病に効く薬草を探し、果てた。
なんのことは無い。
崖からの転落死だ。
その死が誰かの手によるものならば、復讐という道もあったのだろうが、その死は父親の馬車の操縦技術の拙さが招いた結果であった。
目的を焦るあまりの不注意だったのだ。
少年はその悲しさを武器にそして何より燃料にして近隣で最も優れた街の学校から推薦で機巧魔導都市の定住権を獲得し、より一層勉学に励んだ。
自家薬籠中の物をもはや誰にも負けないように必死に磨き、衒学的な輩を排し、それこそストイックに目的を叶える手段を求めた。
しかし、学びを深めてもわかるのは自分のやっていることの無意味さ、そして自分が求める事の荒唐無稽さであった。
だからこそ、禁忌を求める。
男は自らに言い聞かせるように呟く。
いや、それは在りし日の師の言葉を反芻しているのだろう。
「【汝の神は死んだ。故に汝が神となる他ない。汝の神は秩序が乱されることを喜ばない】かァ。ヒッデェもんだァぜ、師匠よぉ」
今は亡き先達へと愚痴を垂れる。
しかし、そこに悪感情はない。
ただ、過去を慈しむような感情があるばかりだ。
そう言いながら、高級そうな椅子を回転させる。
その椅子の背後には、巨大なガラス容器があった。
背後の巨大なガラスの容器のようなものの中には三人の裸体が入っていた。
顔立ちが似ていて、きっと親子であるに違いない。
「にしてもばァか兄貴はなァにやってんだか」
神田孤児院と書かれた看板が掛かった少し広めの家。
オシャレなアンティーク調な家具が置かれて、長テーブルを大勢の子供と一人の大人が囲んでいる。
ワイワイとはしゃぎながら豪華な料理をつついている子供たち。
その子供たちを時折注意し、時折食器に料理を盛り付ける男。
その男の名は
神田孤児院の院長にして、最恐の人である。
なぜなら──
「こら、緑。きちんと野菜も食べなければいけませんよ」
「ひゃうッ!…ば、ばれてたの…?」
「当たり前です。…今日はアシュの退院祝いですからね。お肉も多い分、野菜もバランスよく食べないといけませんよ」
「で、でもぉ…味がしないし…」
「でももだってもありません。ちゃんと食べないと大きくなれまませんよ」
「…はぁい」
二、三言言い聞かせるだけで子供たちが従うのだから、信頼も厚い。
しかしそれは恐怖で縛り付けている訳では無い。
実際、さっきのやり取りも渋々ではあるが、緑と呼ばれた少女は今サラダボウルと向き合っている。
ダメだよと注意を促しただけで反発せずに素直に言うことを聞こうとしている。
狂花はそのボウルからよそって食べろと言いたかったのだろうが緑はサラダボウル丸ごと食べようとしている点については、緑の可愛らしい勘違いだろう。
彼は孤児院の子供たちの【親代わり】、いやもはや本当の親なのだろう。
孤児院の子供たちは彼らが幼いうちから親が病死、事故死などをして引き取り手が居なくなった時にここに来た。
本当の親の顔を知らず、それでも健気に生きている。
学校でもどこでも子供たちは助け合って暮らしている。
自分には親がいないなどという悲観は持ち合わせておらず、それどころか「うちは家族が多いんだぜ!」なんて自慢をする。
面倒を見てくれる親代わりの存在に感謝しているからこそ、彼ら彼女らはあまり困らせることを言わないのであろう。
では何が最恐なのだろうか。
「うへぇ…苦いよォ」
緑と呼ばれた少女はうぇっと嘔吐きながら舌を出した。
子供は野菜が苦手とよく言うが本当なのだろう。
彼女はその子供舌らしい。
まぁ見た目的に子供なのだから当たり前であるが。
アシュはこの孤児院に入る前に子供たちの名前と凡その特徴を聞いた。
(
先程聞いた情報を頭の中から引き出す。
出てきたのは普通のパーソナルデータ。
緑は籠に毛布でくるんで茂みに置き去りにされているところを警察が見つけ、保護し、この孤児院に引き取られたの事。
だから名字が神田なのである。
孤児の何処が普通なのだと突っ込まれそうだが、魔法なんて奇天烈なものが存在する世界常識からしたらまだアシュには理解できる範疇だった。
勿論、聞いたときは顔に出るくらい悲しんで同情したのだが、彼ら、彼女らの日常を聞いた後では、憐憫は侮辱だとも学んだ。
アシュには自分の考えること、感じること、信じることを無理やり相手に押し付けることなどできなかった。
それがたとえ世間では【正しい】とされている主義主張であっても。
『正しい』は免罪符にはなり得なかった。
自己の正義を押し付ける【正義】は【正義ではない】と。
多くの人は憐憫も哀れみも全ては平等の救済と信じ、彼ら彼女らに押し付けて、全ての重荷を彼らに背負わせる。
それは、価値観による違い。
何が悪いわけでもない、何もかもが悪い世界。
悲しみに暮れる
そのことを彼らは嫌と言わず、自分たちが特別だとも思わない。
理不尽に立ち向かうのは人の
朝も昼も夜も涙を呑んで、始まりなき夜に優しい月明かりの道標があろうとも。
悲しみの染み付いた夜の行く末をそれでも彼らは辿っている。
自分たちの手で確かな未来を掴み取るために。
優しさがあると言うだけで、彼の心は折れない。
救いの手を差し伸べようとも、彼女の勇気は挫けない。
「貸してください、緑。私が少し食べます」
「うん。アリスお姉ちゃんありがとう」
アリスがサラダボウルを手にとって小皿に移し替える。
そしてその小皿を緑に差し出す。
緑は困惑しながらも小皿を受け取る。
アシュもそれに倣い、小皿によそう。
「緑、そんなにたくさん食べなくてもいいんだよ。バランスよく食べる事が重要だからね」
優しく声をかける。
「アシュお兄ちゃん…ありがと」
「大丈夫。僕も野菜が好きだからね」
アシュは緑に大丈夫と声をかけておく。
そもそも感謝する必要はないのだが、そんな野暮なことに突っ込む者はいなかった。
ありがとうと言って緑はまたパクパクと肉と野菜を食べ始める。
するとそこで声を上げる子供もいた。
オレンジ色の髪の少年が声をあげる。
「姉ちゃん、俺の野菜も食ってくれ〜」
「ダメです。春樹はきちんと食べなさい。と言うかもっと食べなさい」
「ブーブー!緑ばっかりずるい!エコ贔屓!エコ贔屓!」
「サラダボウル丸々食べようとしていたので当たり前です。これは差別ではなく、区別ですよ。それにあなたは緑よりも大人でしょう?それともこの中で一番子供ですか?」
「ちぇ、あ、にいちゃん、肉とってくれ」
そう言って春樹と呼ばれた少年はアシュに器を差し出す。
アシュとアリスを除けば最年長で、少しおちゃらけた性格。
親しみやすく、誰とでもすぐに仲良くなれる人。
元々はここが孤児院となる前に手紙と共に公園に捨ててあったと言う。
手紙には西宮春樹という赤子の名前と、捨て子になった経緯が書かれていた。
曰く、望まない妊娠によって誰かに打ち明ける事も、堕胎も間に合わず、一年は育ててみたもののろくに生計も立てられず両親は蒸発。
故に赤子に幸あれと捨てたのだと。
それを去年の誕生日に、生い立ちを知りたいという彼の言葉がきっかけで院長が語ったのだと言う。
望まれなかったとはいえ勝手に命を生んでおいて育児を放棄するなど唾棄すべきことであるが、彼は気にしていない。
それどころか薄ら笑って、「多分、両親は俺の幸せを願ってくれていたんだよ。一緒にいたら不幸にしかならないから。ここは、幸せだよ」と言った。
糾弾する資格と、憎悪する権利はある筈なのに彼は使わない。
アシュは春樹から器を受け取って———彼の嫌いな野菜をたっぷり盛って返す。
アシュも、彼の扱い方を知っているのだ。
いじられる事で雰囲気を良くする
「ありが——なんでだよぉー!」
その一言で笑いが巻き起こった。
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