第14話 羹に懲りて膾を吹く
聳え立つ白亜の塔。
圧巻の威容。
それは、事件後の第四区に位置する病院。
名を〈
そこにアシュは一人で来ていた。
アシュがここに目的は昨日の事情説明である。
そもそも病院から脱出できたのは良かったが、まだ病院からの退院許可は貰ってないので戻ることになる。
退院祝いだなんだと騒いでいたが、孤児院の子供たちは早とちりしたというわけだ。
何らかの症状が出てからでは遅い。
で、結局はアシュは病院に行くことになる。
それならばとこちらの事件の顛末を全て話そうということになった。
その事情説明にアシュしか来ないのはそもそも記憶喪失がバレてはいけなかったり、忙しかったり、アシュに誘う勇気が無かったりしたからである。
その姿を見た旭は開口一番こう言った。
「全く…アシュ君、君は
羹だの膾だのと難しい言葉を口にする。
それをアシュは知る由もなかった。
「あつもの?なます?なんですかそれ」
「羹っていうのは野菜や魚肉を入れた熱い汁物。膾は生の魚や肉をお酢に漬けたものだよ。熱い汁物で火傷したら、生の肉ですらフーっと息を吹いて冷ますようになる。ま、なんていうか一度失敗した事を恐れて過度に用心することをことわざでそういうんだよ」
「え…っと?」
「惚けたって無駄だよ。昨日までアリス君といたのに、君は今日一人だ。昨日あんなことがあったのに。それに、彼女が君をほっとく筈がない。ということはつまり、君が何かしたんだ。彼女に。そして恐らくそれは君たちの間の蟠りになり、君はもう一度何かやらかすのが怖いため何も出来ないでいる。違うかい?」
「全くもってその通りでございます…」
医者の
患者にわかるように腫瘍をさらけ出す。
しかしそこで終われば医者の名折れ。
如何なる病と言え、明確で的確に治療をしてこそ、──その腫瘍を取り除いてこそ名医というものだろう。
「デリケートな問題だから当事者以外があまり口を挟んでもいけないんだが…そうだなぁ、何をすればこの問題がスッキリ解決するのかは私には分からないが、何をしてはいけないのかはわかる。それは恐らくこのままギクシャクする事さ。彼女をどんな風に怒らせたのかなんて私は知らないし、話されても彼女の気持ちは理解できない。だからこそ君はその地雷を踏んだのだろうからね。だからこそ、今がダメなら続けていてはダメだろう?」
「はい…」
「気負う気持ちもわかるよ。それに、君たちはまだ幼い。孤児院の子達から見れば大人だが、私たちにしてみればまだまだ子供だ。感情も制御出来ないさ。それに…あんな事が立て続けに起これば心のケアなんてそうそう出来ないからね。誰も彼も、普段は温厚な大人でさえ感情的になってしまうんだ。二人とももう少し落ち着いてからでもまだ遅くない。君からアプローチするんだ」
「はい…!」
「と、まぁ軽いお説教から入ってしまった訳だが要件を済ませよう。多分、退院のことだね?」
「はい」
昨日の騒ぎようはどこへやら。
そこには
化けの皮が剥がれるとも言うべきか。
今日の旭は割と、いやかなりマトモな人なのかもしれないと思わせるほどの雰囲気を纏っていた。
アシュはこれが正常の状態であることを願うばかりだ。
「そうだね。これからいくつかの検査をするからそれでなんの異常もなければ退院してもいいだろう」
「検査…ですか?」
「なに、少し機械の中を通るだけさ。それと少しの身体検査」
「ホッ。それだけなんですね」
検査と聞き、強ばっていた表情が弛緩する。
それを冗談で混ぜっ返したり、からかいたくなるのは人の性と言うものだ。
「…それとも追加で注射がいいかね?」
「いえいえいえ!南無阿弥機械!南無妙機械!ビバ機械!最高!デウス・エクス・マキナ!」
ぶんぶんぶんぶん、と首が折れるのではないかという速度で振るアシュ。
旭はその姿に若干引く。
「なんだねそれは…まぁいい。検査を始める前にこの服に着替えてくれ。この服はICチップ付だから、この服でセキュリティ管理する。検査結果とかも全てこの服を通して記録されるからね。それに、このICチップが埋め込んでさえあれば許可されたクリアランスレベルの部屋までは自動で入れるからあとは管制システムの案内にしたがってくれ」
「はい」
言葉と共に部屋を出る。
アシュにしてみれば随分とハイテクな説明をされたのだが、この世界ではこれが標準なのだろうか。
ICチップで全て管理されていて、鍵すらも必要ないとは。
だがそれは逆に犯罪に繋がらないのかとも思う。
(これ、服盗まれたら大変だよね…鍵なんかよりも大きいからどうしても管理は難しいし、服を着て入るだけだから変装さえすれば違和感とかもないし)
まぁそれは少し考えれば誰でも思いつきそうなことなので管制システムとかがなんとかするだろうとアシュは考えることをやめた。
廊下は様々な種族がごったがえしている。
猫や犬のような顔を持つ二足歩行の生物、四足歩行の凡そ人とは思えない生物もいた。
それでも服のようなものを着ているから、全員患者なのだろう。
それにしても、先の問題はそれが導入される前段階で議論されて然るべきのことだし、それでも導入されているということは何かしらの対策がある筈だ。
そうなっているはずなのだからそんな杞憂なこと考えるよりも、今はアリスとの仲直りに集中しようと。
そう思ったアシュは更衣室で着替え始める。
(仲直りする…遊さんの言っていた…他人の景色を見る。アシュさん、あなたはアリスにどんな景色を見せていたんですか。あなたはどんな景色を──)
思考に耽っていても、体に馴染んだ、慣れた動作は淀みなく進行し、気がつけば服を着替えていた。
「服を試着したら、横のボタンで音量を調節してください」
服から音量調節のアナウンスが聞こえてくる。
(そういえば旭先生が言ってたなぁ。親しみやすいといいんだけど)
一瞬、世界が遠のいた気がした。
力が抜けて、ヘタリ込みそうになる。
でもそれは一瞬で治り、何事も無かったかのようだった。
(ん?)
些細な違和感は意識する前に合成音声で霧散する。
スピーカーのようなものは見当たらないが、これも魔法の一種なのだろうかとアシュは思った。
「こんにちは、アシュさん。私はRAIRA。この施設のメインシステムです」
「うわ、喋った…」
「はい、喋ります。一応自立思考対話型インターフェイスですので」
「メ、メインシステムなのに?」
「はい。正確に言うのならば、高速自立演算が可能なコピーですが。応答の際に参照するデータバンクは本体から引き出すので本体と言っても過言ではないでしょう。【RAIRA】が【人】でいう個体の名称ならば、この服のシステムはその個体を構成する細胞のひとつです。ご理解頂けましたか?」
「あ、はい」
おおよそ機械とは思えない、むしろ人間臭すぎる返答にアシュは頷くしかない。
しかし、その方が親しみやすいのは事実だ。
親しみやすいのは事実なのだが、あまりにも機械らしくないのでアシュの中には実は人間がアナウンスしているのではという疑念が芽生えている。
「ちなみに、この声って…他人に聞こえているんですか?今まで聞いたことないんですけど」
「この服の着用者の周囲半径50センチに音響遮断膜が張られます。もちろん、遮断されるのはこの合成音声だけなので大きな声で叫べばアシュさんの声は外に響きます」
「な、なるほど。あんまり大声出さないようにしなきゃ。ところで僕はどこへ行けば?」
「はい。アシュさんが受ける検査は科学、魔術、魔法、呪術において最新鋭の検査ですので、どれから受けていただいても構いません。ご希望はありますか?」
「え、あー痛かったりなにか刺激を受ける検査は先に受けておきたいんですけど」
「刺激を受ける検査は、呪術による『
「じゃあ、それで。…あれ?身体検査って…痛みの指数?え!?」
「
「だ、騙された。
年齢相応に痛みに対する耐性がないアシュは注射も鍼も苦手だ。
この世界ではこんなに物騒なので痛みに対する耐性が高い人も居るのだろうが、それ基準で検査されても困りものだ。
嵌められた事を歩きながら愚痴る。
「ていうか鍼治療って肩凝りとか治すやつじゃ…」
「確かに民間の治療法ではそのような用途に使いますが、呪術による『指鍼治検』は
「し、しろう?」
「説明:死蝋は、永久死体の一形態。死体が何らかの理由で腐敗菌が繁殖しない条件下にあって、外気と長期間遮断された果てに腐敗を免れ、その内部の脂肪が変性して死体全体が蝋状もしくはチーズ状になったものである。鹸化したものもみられる。ミイラとは異なり、乾燥した環境ではなく湿潤かつ低温の環境において生成される。主な用途は指先に火を灯したり、呪術の触媒になり、呪いを孕みやすいもので呪いに対するカウンターとしてよく重宝される、という検索結果が出ました」
そう音声が流れ、RAIRAが気を利かせて検索結果を空中に投影する。
いくつものウィンドウが開いてそのそれぞれが独立しているのか、タッチパネルよろしくアシュがおずおずと触れると、まるでスケートリンクで滑るかの如く滑らかにスライドした。
再三言うがアシュは男の子であり、男の子という生き物はでかいもの、揺れるもの、そしてかっこいいものが好きだ。
なぜならそれはロマンだから。
そう言う事を鑑みると、SFチックなこの状況は非常に【男心】が擽られるもので、アシュが興奮するのも無理はなかった。
「え!?すご!凄い!ハイテクすぎる!うおおおおぉ!」
既知というかあって当たり前の技術に興奮する少年の姿は、微笑ましく、みんなの話題に昇ったとか昇らなかったとか。
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