第11話 彼がいた景色

アリスから平手打ちをくらったアシュはその場に立ち尽くしている。

あとを追いかけるべきか、必死に宥めるべきかなんて思考すらできないまま。

言い訳も浮かばず行動も起こせずに項垂れて、自分の行動に心が哭いている。

その声に自分の内側を支配されて、声に出すべき言葉は掻き消される。

そんなの方に声をかける人物がいた。

その人物は困っている人がいたら声をかけずにはいられない。

そんな人物なのだから。


「なぁ、追いかけたほうがいいんじゃないか?」

「えっと…?」

「さっきの女の子、君の友達なんだろ?何があったのかは知らないけど、誤解や軋轢は早めに解決したほうがいい。些細なことで関係が壊れてしまうよ」

「…すみません。でも、どう声をかけたらいいのか分からなくて。いっそみたいな力があれば、彼女の願いも叶えられるんですけど。おまえじゃ無理だと。自分でも、隣に立つ資格なんてないんじゃないかって。関わらない方がきっと幸せなんです」

、ねぇ。確かにあいつ、すごいよな。腹も一瞬で治療して…強くてカッコよくて……あぁ憧れ、か。。俺もね、そういう時があったというか、今でもか。他人の持つ才能が羨ましく思えることがあるよ。俺の友人、あそこにいるオールバックのイケメンもメガネかけてる綺麗なあの子もあそこにいる黒髪の綺麗な子も、───アイツも。みんな凄い才能を持ってるんだ。一緒にいるだけですごく嫉妬してしまったこともある。実際、色々あって現実から逃げたこともあるんだ。それは力への嫉妬でもあり、無力さへの絶望でもあった。自分が嫌だった。でもみんなはさこんな俺を羨ましいって言うんだ。才能の塊みたいな奴らがだぞ?」

「それは、あなたに才能があったのでは?」

「才能か。俺にはね、なかったよ。いや無かったって言うと語弊があるか。才能が存在しない訳では無いんだ。ゼロじゃない。ただどれもこれも中途半端で、アイツらにひとつだって勝てやしない。天賦の才には及びつかないんだ。それで嫉妬して、なんでだって一人で哭いたよ。思春期だから敏感になってるだけだって片付けるには俺の心に来たダメージは大きかった」

「………」

「でもさ、言われたんだ。俺は必要なんだって。あいつらには必要なんだって。いくら俺が耳塞いで、違う違うって否定したってあいつらは耳を塞ぐ手を退けて、言ってくれるんだ。『俺は必要だ』って。俺は勝手に区別してたんだ。才能だなんて壁で悩んでただけなんだ。当人たちは全く気にしてないのに勝手に遠慮して、カースト分けして…馬鹿だよな。周りはそんな些細なことは気にしてなかったんだ。隣に立つ資格が無いなんて過剰に意識していたのは俺だけだったんだ。あいつらが俺を助けてくれるように、あいつらのことを助けてたんだ。あいつらだけじゃない。みんな、関わってきたみんなが言ってくれるんだ。…俺が居なくなったら、寂しくなって、泣いてくれるんだ。取り戻そうと足掻いてくれるだ。そう分かったら見えてた景色が美しくなったんだ。晴れやかな気持ちであいつらと肩を並べて歩けるから」

「…それがあなたの強みだったのでは?自覚がないだけで人を惹きつける強烈な才能が」

「そうかもしれない。でも、俺から見た他人の芝は青かったし、多分他人から俺の芝も青く見えるんだ。だから君も他人から見たら青い芝があるはずだ。大丈夫。君があの子の隣に立つ資格がないなんて誰にも言えない。自信を持て。もし、どうしても自分自身を信じられないのなら、俺のこの言葉を信じてくれ」

「他人から、見たら…」

「そう。他人になって見てほしい。あの子の景色、あの人の景色。全て、違って見えるはずさ。そうすればくすんだ色も美しい景色のひとつになるさ。君の友人はそんなに酷い子じゃないだろう?」

「…はい。…はい!そうしてみてみればきっと自分というのが、わかるかもしれません!」

「うん。よかった。ごめんね余計なお世話を焼いて。でも、なんだかほっとけなくて。昔の自分みたいな気がしてさ。力になりたかったんだ。それに、君ならきっと、なりたい自分になれるさ」

「ありがとうございます。あっ、僕は、アシュです。あなたのお名前は?」


虎の目のような青年は振り返って。

ニコリとして言った。


「──ん?名前?あぁそういえばまだだったね」


彼の笑顔が光る。

とても透き通った笑みだった。

人を惹きつける才能は、やはりある。

どんな存在にも一目置かれる程のカリスマ。

なぜだか、心が晴れ渡っていく気がした。

この人に、無限の信頼を寄せることが出来ると確信できた。


「俺は塚原遊。よろしくね。そして、頑張って。アシュ君」


優しく微笑んで、そのまま遊は仲間たちの元に戻って行った。

アシュもそれを見送ると、まっすぐ前を向いて、アリスを追いかけていった。

今、道は交わらないけれど、きっといつかまた会えると信じて。

それぞれのやるべきことをしに。


















外に出ると、ビルの合間から青空が覗き、曇天模様であった心まで釣られて晴れていくようであった。

まさに晴れやかな心地といったところか。

辛いこと、見たくないこと、直視できない現実にも少しは前向きになれる気がする。


(アリスに謝る。そうして、そうして守るんだ。今度こそはふさわしく。彼女の見ている彼の景色を)


その思いは空っぽ故に急遽汲み取って保存した生きる指標なのか。

それとも空っぽの前に刻まれた本能ともいうべきものなのか。

それは誰にもわからないし、少年はどちらでもいいと思っている。

そんなことは些事と感じられるほど、夢中になれることがある。

それだけで幸せな感じがするから。


(誠心誠意謝ればきっと…彼女も許してくれるし、蟠りも溶けて、きっと前よりも遠慮なしに話せる…はず!)


なんだかそう思うと、やる気が湧いてきた。

なんだか根拠もないのにできる気がしてきた。

ほんとに、全く根拠は無いのだが、不思議と不可能ではないという気持ちになる。

やる気に満ち溢れ、アリスをキョロキョロと探しながら、通りを歩いていると、突然、トス、と背後から抱きつかれた。


「アシュあにぃ!あいたかったよぉ!」


背後から聞こえてくる感極まった幼い声。

女の子であろうか。

呂律が上手く回っていないし、なんなら涙声でさらに聞き取りづらくなっている。

それでも必死にを求める声に少し胸が痛んだ。


(僕は…きっとアシュじゃない。…それでも君は僕の隣にいてくれるのかな?僕はアシュになれるのかな?)


不安が振り返す。

ネガティブ故の不安ではなくて、人間として当たり前の不安である。

慢心するだけではなく、時折振り返って地獄への道に導かれていないかを疑う。

時にその疑念は善意にも向けられたりはするが、今は関係ない。


「アシュあにぃ?どうしたの?」

「——…ごめん、何でもないよ」


アシュと呼ばれるはこの時、アシュという名前と兄という単語が混じった名を呼ぶ少女に対する対応を取りあぐねた。

正直に話すか、それとも偽るのか。

少女が現状のことを知らないことを鑑みるに、アリスも、そして事情を知る誰にも話されてないと見える。

そんな少女に何の心構えもなく、話していいものか。

こんなにもを慕っている少女に非情な現実を突きつけていいものか、と。

実際アシュと呼び掛けられた少年は対応を取りあぐねてどちらにも取れる対応をしてしまった。

くるりと身を反転し、声の主の方を向く。

周りのビルがボヤけて、新しい景色の焦点が合い始める。

枯れ葉のような茶色の髪をおさげにした八歳くらいの少女だった。

紫と琥珀のような色のオッドアイの瞳の部分に大粒の雫が溜まっている。

それでも、顔が見えると、ぱぁっと顔を輝かせて尚抱きついてきた。


「アシュあにぃだ!アシュあにぃ!本物!」


本物だ!という言葉が現在進行形で心に突き刺さってくるが、そんな少女の頭を撫でる。

だんだんと、そして不思議と、心が落ち着いてきた。

落ち着かせるために頭を撫でているのに、逆にこちらが慰められているような。

何だか、救われた気がしてきた。

自分ではどうしても許せない部分が許された気がした。

それともそれは言い訳だろうか。

この子たちのためと必死に言い訳をするだけだろうか。

どちらにせよ、後で後悔はするだろう。

その時の自分はきっとこの選択をした自分を許せなくなるだろう。


(僕は——アシュになる。君たちのため、とは言わない。言い訳にしかならないから。僕がなりたいから、あなたに、アシュというなる。ごめんなさいアシュさん。僕は、あなたになります。きっとそれはあなたへの侮辱だ。あなたは、あぁ、アリスやこの子の信頼を見事に勝ち取っていた。死んだことに対して、命が亡くなったことに対して、もう一緒に歩めないことに対して悲しんで。とても愛されていましたね。そんな素敵な人に成りかわろうだなんてとても烏滸おこがましい。でも彼女を思う気持ちならきっとあなたに勝るとも劣りません。一緒にいた時間とか関係ない。僕には彼女が必要だ。絶対にそこだけは譲れない。だから僕は、彼女の幸せを心から願い、あなたがいた景色を、あなたが見せたかった景色を僕が叶える。だから安心してください。きっと僕は、あなたに恥じないアシュになる)


自分がなりたいからその人になるだなんて傲慢だなと思いながら、嘘をつく。

それは赦されたはずの罪に、罪の上塗りだ。

地獄に行ってもきっと赦されない。

それを精算する日はきっといつか来る。


(君たちは、許してくれるかな?——いいや、君たちが許してくれるその時まで、僕は———)


その日までは、幸せに。

澄み渡る青空も、失くした色を偲び、セピア色になる思い出に幸せを上塗りして。

何もかもの色彩を取り戻して。

希望を落としていましたよ、と声をかけて。

失くしてしまった幸せなんてないんだよと語りかけて。

手をとって笑い合って、喧嘩して、時に泣いて。

彼がいた景色を、彼女たちにまた見せられるように。

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