第10話 憧憬と禍根

ニタニタといやらしい笑みで周りに立つ叛逆者を見つめる男。

浅く頬を裂いていたのは刃傷だろうか。

いやらしい視線はアシュを始め何人かの少年少女を舐めまわしている。

それから舌を舐り、宣言する。


「脱走しようなんて、だァめじゃないかぁ」


男は声を荒らげたわけでも、叫んだ訳でもないが、内に秘めている静かな怒りが見て取れた。

プライドが傷ついたからだろうか。

それと、まとわりつくような粘着質な悪意も。


「お仕置をしなきゃなぁ?」

「…フッ!」


いつの間にか後ろに回り込んでいた虎の目の青年が鉄パイプを振り下ろす。

完全な死角。

普通は反応できない角度とスピード。

それを見もせずに男は素手で受け止める。


「なっ!片手とか…」

「ダメだなぁ…もっと力強い攻撃じゃないとぉー!」


男の幹のように太い腕が鳩尾に入る。

そのままありえない吹っ飛び方をして、椅子の上に撃沈。

起き上がれそうにもない。

たった一撃。

体格差を考慮してもたった一撃で沈んでしまった。


「嘘だろ…?」

「お次は誰かなぁ?」


ニタニタと笑い続ける男。

いやらしい視線がアリスに降り注ぐ。

アリスはその粘着質な悪意を跳ね除けようと涙目になりながらも睨み返す。


(どうしよう…本当に…やばい!)


彼我の距離もなくなりそうなその時。

外からドドーンという音と、キャーという悲鳴が聞こえてきた。

外を見ると、粉塵が舞っていてよく分からないがとても大きい重量があるものが落ちてきたらしい。

それに気を取られ、男もアシュ達を通り過ぎ、エントランスから覗く。


「んぁ?なんだぁ?」


粉塵が男の手のひと薙ぎで晴れると、道路に大きなクレーターのようなものが出来ていた。

その中央に赤く染まって倒れているのは大男。

ブリキでできた兵隊のようなそんな男だった。

体長は二メートルをゆうに越している。


「ヤロー?おい、どうした?まさか誰かにやられ──」

「おい、こいつの知り合いか?」


また、新たな声。

少し高い少年の声。

ただ、そこには底冷えするほど冷たい感情しかない。

いや、感情すら凍りついているのか。

親しみやすさなどなく、敵意丸出しだ。

トゲトゲしい攻撃的な口調。

その視線は怨嗟に塗れているのか。

その瞳に映る景色はどんな色になっているのか。

何を過去に見つめてきたのか。

それとも、元からこうなのか。

アシュには判別がつかなかった。


「まぁた脱走者?」

「ハッ!もう脱走者が出てんのか。ザルだな」

「いやーなんかね。車椅子なのに健闘する人がいてね。それに手間取ったけどここでゴタゴタしてくれたおかげで脱走まではされてないのよ。あの子たちは予備軍だから」

「ま、お前がやられておしまいだけどな」

「生意気なガキだねぇ…これは調教のしがいがあるなぁ!ははは!」

「犯罪組織〈オロス〉の残党。降伏すれば傷つかずに済むぞ?」

「抵抗すれば?」

「蹴散らすだけだ」

「やってみろよォ!貧相なガキがァ!」


男が勢いをつけて外に飛び出した瞬間。

そのまま、いやそれ以上の勢いで跳ね返って来た。

そのままの勢いで柱に突き刺さる。

その対面には掌を突き出した少年が立っていて。


「…うん。こんなもんだよな実際。あの三人組がおかしいだけで。あーあ、敵討ちしようと思ったんだけどこれじゃ仇討ちじゃなくて虐殺だ」

「なっ?あっ?えぇ?」


尋常ではない解決速度に救われたはずのアシュたちも困惑した。

その結果を作り出した人物が無遠慮に院内へと足を踏み入れる。

傲慢とも言える足取りで。

黒髪に少しだけ鋭い目付き。

顔立ちは整ってはいるがイケメンという訳では無い。

笑えば親しみやすいだろう顔はあからさまな不満が浮かんでいる。

それに、剣呑な雰囲気。

きっとこの状態で近寄りたいと思う人は居ないだろう。

どんな自殺志願者だろうと、この少年には近づかない。

顔立ちで減点はされないが大幅な加点もされないだろう顔。

歳の頃はアシュと変わらないか、それとも──身長を鑑みれば少し幼い。

それでも凶暴さは薄れておらず、雰囲気からも、目付きからもある程度わかる。

剣呑なその雰囲気からは、歯向かえば容赦なく叩きのめされそうだということがわかる。

良くも悪くもあちらの目に止まらなければこちらには無関心を貫きそうだが。

その少年は白と黒の入り交じったレザーコートを翻して、尋ねた。


「そこの人達。…怪我は?他にも怪我人は居ますか?」

「…一人、男にぶっ飛ばされた」


先ほどとは打って変わってそこには凛々しい雰囲気と少しの安堵がある気がした。

先ほどの無関心に見えて激情に支配されているような相反する人物だとは思えない。

だからこそ、口がきけるのだろう。

あのままの雰囲気なら皆、音を殺し、息を止めていただろうから。


「その人以外大丈夫なようですね。ならもう安心ですよ。こう見えても俺は魔導士、治安部隊です」


やはりもう張り詰めたような雰囲気はない。

先程の剣呑さは、彼の笑顔で吹き飛ばされてしまったようだ。

緊張が弛緩して、そこかしこから安堵のため息をつく音が聞こえる。


「…お、おぉ。では無事に帰れ…?」

「少々お待ちください。残党の処理は粗方終わっていますが、皆様のメンタルケアや事後処理などがありますので」


その言葉で、心の底から安心したのか泣く人や崩れ落ちる人が多くいた。

治安部隊を名乗る少年は耳に着けた小型通信装置に話しかける。


「こちら時継。戦闘終了した。オーバー」

『了解しました。お疲れ様でした。それと、そのまま事件の調査に当たってください。オーバー』


少しのやり取りで済ますと、こちらに向かって歩いてくる。

アシュを通り過ぎ、オールバックの子を通り過ぎ、待ち合い席へ。

そこでぐったりしている少年に手を差し伸べ、一言。


「無茶をしないで頂きたいが、こちらが遅れたことをお詫びします。立てますか?」

「あはは、すみません。あー、歳の頃も近いし敬語は無しでいいや。お前、強いんだな。羨ましいよ」


その差し出された手をガッシリ掴んで立ち上がる。


「力がない癖に立ち向かうとかそっちの方がすごいと思うけどな。怪我は…少し腹を治療すればいいか」


そういってコート少年は虎の目青年の腹に手を当てる。

そのまま何秒が止まると、青年の苦痛に歪んでいた顔が元に戻った。


「もう大丈夫かか?」

「あぁ、随分楽になったよ。悔しいけどありがとう」

「なんだそれ」


そんな軽口を交わした後、心配したオールバックや後ろから来た女子二人に囲まれる虎の目の青年。

そこに響く、恐怖の音。


「おい、…俺様ァまだやられてねぇぞ!」


柱の方に目をやればどこから取り出したのか鎖鎌と共に立ち上がる男が。

先ほどの粘着質な笑みはなく、ただただ憤怒だけが見て取れる。

余程一撃で沈んだことが気に食わないのか涎を垂らしながら叫ぶ。


「ぶっ殺す!皆殺しだ!」

「キャー!まだ倒れてないわ!」

「おい、ヤバいぞ」


殲滅発言を皮切りに、人質となっていた人々は再び騒がしくなる。

そんな状態でも少年は落ち着いて。


「ご安心ください!──なかなかしぶといな。雑魚ではないか。なら最後の降伏勧告だ。武器を捨てろ」

「あぁ!?やられっぱなしで降伏なんざしねぇよ!」

「なんだ?やり返したら降伏するのか」


これでもかと煽る。

冷静さを欠いた男は先のとこを忘れて突っ込む。

いや、突っ込んできたのは鎖鎌。

挙動をとる鎖鎌は補助を受けているのだろう。

蛇のように蛇行して、周りを巻き込みながらコート姿の少年へと迫る。

周りの人々は戦闘訓練など受けていないのだろうが、皆巻き込まれる前に床に伏せた。

アシュもアリスもそれは同じだった。

鞭というのは長さが長ければ長いほど振り回す際に重くなり、長ければ長いほど遠心力で先端が凄まじい威力になるはずだ。

それは鎖鎌でも同じ。

それどころか、金属でできている分威力が桁違いだ。

しかしコート少年はそんなことを意に介さず、掴み取る。

飛んでいる羽虫を煩わしげに払うかの如く。


「ハッ!馬鹿が!掴み取るだけじゃあ周りのヤツまで危険に晒すんだよォ!」


そういって男は滅茶苦茶に鎖を振り回そうとするが、ビクともしない。

まるで山を紐を巻き付けて、それを引っ張っているかのような…。

しかしその停滞も刹那、抵抗が消え、後ろに倒れる。

伸びていた鎖鎌は男の元に凄い速度で戻って来た。

男は受け止められないと悟ると、倒れることを利用し、回転。

もう一度遠心力による突撃を試みるが。

失敗。

今度は見えない壁に打ち付けたように空中で手応えだけを残して、押し返された。


「あぁ!?こっの!このっ!なんで、くそ!」


何度やっても結果は同じ。

それでも男は何度もその行為を繰り替え──せなかった。


「『嵐纏ラ・エクス・へーニズック』」


ポツリと呟いたかと思うと、少年の右腕に凄まじいなにかがまとわりついた。

同時にアシュにはもう一つ違う声が聞こえた。

そしてそれは渦を巻き、やがて嵐のようになる。

見ただけで気圧される程の存在感。

圧倒的な暴力の化身。

それが先程の嵐纏なのだろう。

まさに嵐を纏うその姿はその名が最も相応しい。


「なっんだ……それで干支の…猪突猛進な牛も…ヤローも倒したのか…?」

「『嵐纏ラ・エクス・へーニズック』。お前の命を刈る鎌の名だ。冥土の土産に覚えておけ」


そのまま拳を突き出す。

直線上にはいないのに、その余波でアシュは自身が何処に居るのかもわからなくなった。

上下左右がなくなり、自分の存在がなくなり、魂すらも風に、嵐に巻かれてなくなってしまうような。

そんな恐ろしい感覚がした。

それが一瞬か、永遠かわからなくなったその時、終わりが訪れた。

しかし、終わってみれば嵐の驚異も呆気ないものだった。

ある一人の男以外に被害は無いのだから。

全てを飲み込む嵐はまるで嘘だったかのように存在していない。


「チッ!運の良い奴め」

「…ボス。あなたの怒りは最もだがこれは仕事だ。あの子の復讐じゃない」

「あぁ。すまんグリム。…はぁ。すまない、あとは任せた。帰って頭冷やしてくる」

「ボス…感情的になるなんてらしくない。確かに帰った方がいい。ここは俺らが引き受ける」


アシュが最初に感じた「冷たい」印象は薄れ、「燃えるような」憎悪を抱く少年がそこにはいた。

アシュと同じ年頃なのに、圧倒的な力と、クールで時に熱い感情と、信頼と、大きな義務を背負っている。

アシュはその少年が背負う責務の重さもわからず。


(———あの力があれば、アリスを守れたのに。僕は…無力だ。僕には逃げることしか…)


羨望と嫉妬と憧憬が重なってグチャグチャになり、コントロールできない。

無性に、今の無気力さを嘆きたい。

縋る存在がいたのならば問いかけたい。

何故、彼には力があって、自分にはないのか。

この世の理不尽を叫ぶ。

存在意義の無かった少年に存在価値を与えた少女。

その少女を護るための力に、少年は憧れた。

しかし、その憧憬は遠く、羨望だけでは見えず、嫉妬では追いつけず、憧れだけでは届かない。

膝を屈し、蹲り、どうするべきかと考える。

傷だらけの心で、何を考えろというのだろう——?

しかし、少女はそんなにこう憤った。


「——おまえ!何故無抵抗を示さなかったのですか!?それか、何故立ち向かわなかったのですか!?おまえが何もしなかったせいで人を一人危険に晒したんですよ!アシュなら何かしら行動したはず!なのにおまえは何もしなかった!アシュになるって約束したのに!嘘つき!おまえは、おまえなんてアシュじゃない!」

「——ッ!」

「またダンマリ。…もういい、おまえなんて知らない!」


心に傷を残して、すれ違って、信頼が解けて。

そして最後に平手打ちをくらって。

アシュはそのまま立ちすくむ。

そこまで強い平手打ちではないが、心が崩れ落ちる。

頬が、そして何より心が痛くて立ち上がれない。

アリスはそのまま自動ドアを抜けて走り去っていった。

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