第7話 汝、力欲しくば願いを強く

その音を聞いた瞬間にアシュは走り出していた、瞬く間にアリスに接近して、チクチクと痛いところを攻めてくるアリスの口を塞いで、近くの病室へ飛び込んだ。

そして扉を背にして息を殺す。

心臓がバクバクとやけに煩く聞こえる。

それは果たしてアリスの音か、自分の音か。

二人の距離はゼロに近く、重なり合った鼓動を聞き分けるのは困難だ。

鎌首をもたげるその疑問を即座に切り捨て、音の在処を扉を通して把握する。

聞こえてくる足音は一人分。

引き摺っているものは石のように硬い何からしい。

石臼でも使っているのかという程の音を響かせている。

ゴリゴリ、ゴリゴリ。


(どうする…考えろ、考えろ、どうにかしないと)


すると不意にこちらへと近づいていた音が急に小さくなった。

どうやら難は逃れたらしい。

そう判断したアシュは身を硬くするアリスに声をかけた。


「…アリス、もう大丈夫みたいだよ」

「…」

「アリス…?」


ふと考えてみれば今の状況もアリスにしてみればアシュが口を塞いで部屋に連れ込んだわけだ。

ろくに事情も説明せずに。

ちなみにアリスとアシュの身長差はあまりなく、必然的に顔と顔が近くなる。

そしてアシュはアリスと向かい合うようにアリスを膝に乗せて抱え込んでいた。

さっきのことと言い何故こう誤解の避けられないようなことしか起きないのだろうか。

恋愛ごとの神から愛されているのか嫌われているのか。

果たしてどちらなのだろうか。


「あっ!ごめん!」

「もう…いいです。わざとじゃないのは伝わりました…変な所でアシュはアシュですね…全く…」

「え?あぁ…え?」


紅く染まった顔でボソボソと吐息を吐きかけるアリスの言った内容に困惑気味のアシュ。

ともあれ、アリスを膝の上から降ろすべきだろうと考え、自分が横にずれる。

そうしてフゥ、とため息を着いた時に、


「あーもしもしお二人さん?いい雰囲気のところ悪いけどちょっといいかな?」

「なっ!」


そう言って話しかけてきたのはベットから上半身を起こした薄いオレンジ色の髪色の青年だった。

眠そうな瞼に吸い込まれそうな深紅の瞳。

そんな顔と細い体と、病室の服が相まって今にも消えてしまいそうな雰囲気をしている。

深窓の令嬢ならぬ深窓の君子だろうか。


「おっと…驚かせてごめんね?ただ入って来るなり扉を背にして耳を澄ましてるから外は危険だと思ってね。一応退けておいたから教えてあげようってだけで別に他意は無いんだ」


そう言って笑う青年。

その笑いはなんというか人を引き込む雰囲気を持っていた。

初対面なのになんでも話してしまいそうなカリスマ性を持っている。

何故こんなに事態の理解が早いのか、と言う疑念が鎌首をもたげたがアシュは無視して質問をする。

時間は有限なのだ。

いちいち後ろを振り返ってはいられない。


「えっと…あの退けた、ていうのは…?」

「あぁ…君たちは外にいる奴らから逃げてきたんだろう?」


そう言ってその青年は首を傾げる。

魔法があるというだけでこんなにも物騒なことが起きるのだ。

こんな世の中で治安は一体どうなってるんだいるのか少し気になる。

しかしよく考えてみれば毒には毒、魔法には魔法なのだろう。

そんなことに起用されるなんて魔法使いの人生は波乱万丈らしい。

アシュもあまり人の事を言えたものでは無いが。


「どうやって…?」

「それは僕の魔法さ」


そう言ってふふん、と得意げな表情をする。

随分と感情表現が豊かな人だ。

ただそこに不快感はなく、ただ好印象として残る。

あちらの方が幾分か年上の筈だが、微笑ましいと形容すればいいのか。

それがアシュの彼に対する印象であった。


「魔法ってあの…変な呪文を唱えて爆発を起こしたり、人をボッコボコに殴ったりする?」

「うーん…いやぁ、それもあるけど。それも魔法ではあるんだけど。そんな魔法だったら良かったんだけどねぇ」


今度は彼方へと視線をやり、少し考えるような、大切な何かを思い出すような表情をする。

その顔は先程までは打って変わって何処と無く話しかけづらそうで、絶望と後悔に塗れている。

彼のナリもアシュと同じ病院服の様な格好だったので儚げな雰囲気を助長している。

きっとこの青年にも込み入った事情というものがあるのだろう。

その苦衷の深さは誰にも理解されないし、されたくもないだろう。

それも親友でもなんでもなく、いきなり部屋に飛び込んできた少年少女に。

それに、アシュなどの年下に心配されるほど青年もヤワでは無いようで。


「ごめんね、少し昔を思い出してね。さっきの話だけど僕の魔法は殴りあったり、剣で斬りつけたり、見ただけで捻り潰したりするガチガチの戦闘系じゃなくて『遠視スクリーム』…ま、遠くを視られるっていうちょっと変わった魔法なんだ」

「遠視って…そのまま読んで字の如く遠くを見たりするものですか…?」


アリスが興味津々に問い返す。

心無しかいつもより瞳の輝きが増えている気がする。

余程その魔法が気になるのだろう。

もしくは青年の巧みな話術による親しみやすさのなせる技か。


「うん。遠くを視たり、物を詳しく視たりできるよ。そして今回は追っ手の視界に別の景色を映して混乱させているんだ」


今はどこかの草原でも見て、肌で感じてるのかもね、と可笑しそうに微笑みかける青年。

つまる所この青年は他人の視界をジャックして行動を制限させているらしい。

言葉だけ聞けば大した事はなさそうだが、人というのは殆どのことをするのに視覚に頼っているので、それを潰されたとなれば余程の訓練を受けていなければまともな行動すら起こせないだろう。

そう考えるととても厄介な魔法だ。


「こういう幻術というかそういう類の妨害系魔法は欠陥があってね。奴らが視界潰されても問題ない達人だったり、魔法抵抗力レジストが高いやつじゃなくて良かった。抵抗されると効かないし、掛けたことがバレるし、それに僕には直接の戦闘力は無いに等しいからね。いやー良かった。妨害札としてはメジャーな方だから対策、と言うより訓練は積みやすいんだよね。勿論、対策があるからってその技術が一朝一夕には身につかないけど」


そう自嘲気味に苦笑いながら、ポンポンと音を立ててシーツの足があるであろう辺りを叩く。

どうやらそれが戦えない理由らしい。

青年が自らの包帯が巻かれた手でそこを捲ると現れたのは右足が膝下から欠損した状態の下半身だった。

膝下あたりは包帯が何重にも巻かれ、辛うじて痛々しい傷跡を隠している。

まず普通の生活を送っていればこんな事にはならないだろうという程に惨たらしい破壊の爪痕だった。


「足がこんな事になったもんだから攪乱ぐらいしかまともに出来なくてね。移動も車椅子だから誰かの手を借りなきゃいけない。手は、ほら、ご覧の通りまだ傷口が完治していなくてね。握ると痛いんだ」


手を握ったり放したりして、顔を顰める。


「だから僕達を助けた、と?」

「うん。僕も聖人君子じゃないから他者に向ける善意には打算があるんだよ。だから助けたことは気にしなくていいよ」


自分の行為は欲にまみれた行動であると言う青年。

それは青年なりの不器用な気遣いなのか。


「いえ、そんな打算があろうとなかろうと、して貰った事に対して感謝するもの恩を返すのも、――そして困っている人を助けるのも人間として当たり前です」


アリスはそう言い切る。

あたかも自分自身を戒めるかのように。

そうあるべきだと己が身に刻み込むように。その言葉に郷愁めいた感覚を抱き、慈しみ、過去に瞳を潤ませて、懐かしむ。


「それはかい?なんともまぁ比翼連理な仲だねぇ。甘々で砂糖の塊を吐き出せそうだよ」

「あ…っいえ、そんなことは…ありますけど…まだそんな関係じゃ…」

「え、えっと彼、というのは?」

「ん?!あっ…自己紹介がまだだったね」


そう言って青年は佇まいを正すと、静かに名乗る。


「僕の名前は、片岡かたおか秀次しゅうじ。ここに入院してる…元魔道士さ。今は道化師に近い身だけどね。よろしくね」


そう言って握手を求めるかのように手を差し出す秀次。

それを慎重に握りつつアシュも自己紹介をする。


「僕は…アシュです」

「私はアリスです」

「アシュ君にアリスちゃんね…了解」


秀次は一瞬で気持ちを切り替えて一言。


「君たちみたいな子供ですらも巻き込んでしまって大変心苦しいんだけど、頼れそうなのは君たちしかいなさそうだ。本当にすまない。テロ鎮圧の機動部隊が来るまでにここがバレないとも限らない。というか機動部隊自体呼べてないかもしれない。だから僕達三人…いや僕を除いて二人は必ず助けを呼びに行かなくちゃ。そうして、この事態を一刻も早く打開しなきゃ…人が、死ぬ」


確信を持っているかのように語る秀次。

事実、修羅場を潜り抜けて来たであろう彼の考え方はアシュやアリスよりもずっと洗練されているだろう。

だからこそ、二人も素直に従う。


「大丈夫です。僕は、彼女を─アリスを守りたい。こちらこそ是非、協力させてください!」

「私も、受けた恩は必ず返します。それに、困ってる人の力になれるなら私は頑張れます」

「…ふふ。ありがとう二人とも。…とするとまずはこの部屋を抜け出さないとね」


ふぅ、と集中しながら吐息を零し、瞳をドアに移してこれからを語る秀次。

その瞳は燦然と蒼く輝いて、自然ではありえない状態になっていた。

蒼穹を嵌め込んだアリストは違う、淡い色だった。

例えるなら南国の浅瀬の海だろうか。

それが秀次が先程言っていた遠視という魔法だろう。

そう二人は理解した。


「……どうやらこの近くに奴らは居ないようだ。これなら安全にエレベーターまで行けるね」

「エレベーターですか?大丈夫ですか?」


それは車椅子は乗れるのか、という心配と敵と遭遇しないかという心配が混ざっていた。

それを汲み取っての発言はあっさりとしたものだった。


「大丈夫だよ、どっちも。僕には魔法があるからね」


自信ありげに言う秀次の車椅子を押すアシュ。

その隣で不安そうに辺りを見渡すアリス。

賽は自らの手で投げた。

ぬさは海に投げ入れられ、神はついに振らないはずの賽の目を振った。

神ですら想像のつかない物語が胎動を始めたのだった。




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