第6話 胸に抱いた誓い

アシュとアリスが見たものはアシュが握った鉄パイプで男が吹き飛ばされる光景であった。

目を疑うような非現実的な光景。

二人から見た男は正に巨人の如しであったが、その巨体から齎される影は徐々に薄れていった。

何故か?それは文字通りに倒れたから。

では何故倒れたのか?

それは誰にも理解不能わからない

男からすれば歩いてきた廊下の先に鉄パイプが転がっていて、怪しんで男の方から見て左の扉を開けると十歳くらいの男女がいて、目を合わせたらいきなり顎に衝撃があった事だろう。

アシュからすれば不意に脳裏に電撃が疾走はしったと思ったら目の前の男が仰向けに倒れ始めた事であろう。

アリスからすれば扉の向こうを覗いていたアシュがいきなり後ずさり、見知らぬ男が顔を見せたと思ったら直後に凄まじい音が鳴り響き、男が仰向けに倒れ始め、近くにいたアシュは手に鉄パイプを持っていた。

となる事だろう。


「「え?」」


困惑の声が重なる。

当然こうなる訳だ。

突然の出来事に放心する2人だったが、さすがにそういうことに耐性が着いてきたのか、差程動揺することも無く、冷静に現状を分析し始める。

とにかく今すべきことは


(さっき男は多分この病院を乗っ取った奴だからこのままじゃ不味いな…)


アシュはそう考えて、後ろを見て決心を固くする。

というか今考えるべきは一つだ。

もう一度拳を硬く握って――勇気を。


「アリス!」

「え!?あっ!?」


目いっぱいに手を伸ばして、アリスの手を掴むと男の脇を抜けて全速力で廊下へ走り出す。

アリスが何やら言っていたようだが、一刻も早く男から逃れたいと懸命に走るアシュに気にする余裕はない。


(絶対にアリスを守る!もう二度とあんな悲しい思いはさせない!絶対に!)


胸に抱いた願いに誓って。

熱く、熱く煮えたぎるマグマの如し想いを燃料にして。

廊下に出て、先程とは逆方向に全速力で走る。

後ろに着いてきているアリスに階段への道のりを聞きながら同時に索敵も行っていく。

索敵の能力など無いに等しいがそれでもしないよりはマシだ。

右、左、直進、直進、……。

どうやらこの施設は迷路のような構造になっているらしく、いくつもの分岐路がある。

単純に広いのか、わざとこの様な作りなのか。

ワザとだとして何を目的としてこのような作りにしたのか。

小一時間問い詰めたい衝動にアシュは駆られる。

追っ手を撒くこちらとしては大変有難いのだが、果たしてこの施設は何故このような構造にしたのだろうか。


(絶対に普段迷う人出てくるよ、コレ)


なんでこんなにも階段への道が遠いのだろうか。

とはいえ普段はエレベーターしか使わないのかもしれない。

窓から外の景色を見たところかなり高そうだった。

そんな上の方にある階なのに文明の利器を使わないというのは考えにくい。

音がたつ事を躊躇いもせずに全力疾走したアシュとアリスは階段が見えると、所構わず倒れ込んだ。

持久走もかくやという距離を走ったのだ。

これは当然の結果であろう。

全力で走ったあとの発汗した体に病院の冷たい床は気持ちがいい。

ひんやりとした感触が汗ばんだ体を包んで離さない。

走ってる最中は恐怖で疲れを感じなかったが、緊張の糸が切れたのか二人とも起き上がる気配はない。

二人とも冷や汗で服が濡れている。

特に背中辺りが。

湿った服が肌に引っ付いて気持ち悪いのかアリスは突っ伏しながら背中を弄っている。

それから少し紅く上気した頬を挟んで何事か考え始める。

時々頭を振って悶々としてるあたりアシュよりは元気そうだ。

一方アシュは目を閉じて死んだかのように――胸は上下しているし、心臓も動いている――倒れている。

余程全力疾走で肉体的にも精神的にも疲れたらしい。

やはり一人で逃げるのと大事な守るべきものを守りながらでは疲労度に違いがあるのだろう。

ともあれこのまま寝転がっている訳には行かない。

いつ追っ手や見回りが来るかも分からないのだ。

まだ警戒の薄い今すぐにでも外に出て、あわよくば助けを呼んでくるべきだろう。

言う事を上手く聞かない体に苦心してアシュは起き上がる。


「はぁ…はぁ…うぇっ…」


突然込み上げてきた吐き気に涙目になり嘔吐えずきながらアシュは地に足を付ける。

急に走ったり、倒れたりした弊害か三半規管にダメージを負っていてまだ少し足元が覚束無い状態で立ち上がったら当然――


「うわっ!」


足を縺れさせて、倒れ込んでしまう。

そしてアシュが最初に感じたことは転倒の床にぶつかる衝撃ではなく…


「キャッ!」

(あれ?あまり、痛くないし、柔らかい?)


柔らかな何かであった。

クッションと言うには暖かく、温もりがあり、毛布のようにフサフサはしていない。

と言うよりサラサラでスベスベだ。

疑問に思って、床に手を付き顔を上げてみるとそこには――

――女神の赤らんだ顔があった。

瞬間少年は悟った。

自分はアリスの上に着地してしまったのだと。

顔を胸の辺りに埋めて。

しかも体を密着させる形で。

またその格好は誤解の余地がありすぎる。

まるで動けないアリスに襲いかかったかのような構図に誤解を解く解法はない。

不可抗力だという説得も通じないだろう。

故にアシュは一言しか発さなかった。


「…あっ」

「ッッッ!さっさとどいて下さいこの変態!ドスケベ!ケダモノ!やっぱりこんな事が目的だったんですね!最低!何が『あっ』ですかバカ!ホントに信じられません二度と近寄らないでください!」


そう言ってアシュから遠ざかり、胸に両手を当てて隠すアリス。

顔は林檎に負けず劣らずの赤さだ。

花も恥じらう乙女が恥じらう。

その行為は美貌を美しく輝かせるばかりで、何も損なわない。

しかし、唯一の残念なことといえば、その腕を押し上げる膨らみは無い事だろうか。

まぁ、なくても充分に男を虜にして離さないのだから今あっても無用の長物だろう。

いや、本当に無用の長物なのだろうか。

大は小を兼ねるとも言うし、体のことで帯に短し襷に長しなんてことはそうそう起こりえないだろう。

今より成長したらまさに虎に翼になる可能性がある。

というかなるという確信を抱くほどにアリスの美貌は可能性があるのだ。

このままでいて欲しいという欲求ともっと妖艶に育って欲しいという欲求という二律背反の欲求を持つ程の。

そもそも生来の性として男というものは揺れるものが好きなのだ。

そうして巨大という物も好きなのだ。

ポニーテールしかりロボットしかりロマンしかり──そして何より女性の胸しかり。

胸が小さくても、壁みたいでも興奮する輩は居るが、形のいい胸で興奮しない輩は居ない。

だからアシュが少し、本当に少し残念がるのはアシュの人間性に問題があるのではなく男生来の欠陥と言い訳をさせていただく。

そんな様子のアシュを睨みつけ、絶っっっ対に許さないとオーラで威圧する。

こうなったらもはや彼女の機嫌を直す術はないのかもしれない。

ヒートアップしたアリスは縮こまるアシュに罵声のマシンガントークをこれでもかと食らわせる。

やれ倒れ込んで密着するなんてありえない。

やれ女の子はデリケート。

やれTPOを弁えろ。

など言いながら間に二、三回ぐらい変態と挟んで彼を糾弾する。

マシンガンの如し糾弾の掃射だ。

そんな弾幕を張られたら近づこうにも近づけない。

近づいたら蜂の巣にされるのは明白の理。

もはや口答えする事も忘れたかのようにアシュはただ糾弾に塹壕に身を隠すが如く、小さくなりながらすみませんでしたを連呼する機械と化していた。

やはり嵐は這いつくばって過ぎるのを待つに限る。


(…と言うかTPOの問題かなぁ?確かにこんな時にやるなってのは分かるんだけど怒るとこそこじゃないでしょ。故意にしても)


そんな彼も 心の中では言い訳と言うか現実逃避を始めていた。

実際には彼女が怒り出すのが火を見るよりも明らかなので口に出せないが。


「そもそもなんであんなカッコイイ感じのことをしといて…もう台無しです!最低!変態!」

「はい…すみませんでした」

「そもそも追っ手がいるのにそんな破廉恥なことをして…」

「はい…すみませんでした」

「私の気持ちも考えてください!」

「…はい、すみま――」


ネチネチと続くアリスの糾弾に全く同じ返答をしようとしたその時、

今度は足音と共に何か重いものを引き摺る音を。

身体中に、怖気が走った。

これでもかと言うほど、恐怖を感じた。

化け物と目が合ったとか怪物の口内にいるかのような悪寒。

人間の第六感とも言うべき器官が警鐘を鳴らしている。

曰く、ものすごく危険だと。

アリスはまだ聞こえてないのかそれほど大きくもない声でアシュのことを詰り続ける。

このままではまずい。

冷や汗が頬をつたい、背中を這い回り、地面に滴り落ちていく。

その音が引き金となり、遊は行動を開始する。










巨大なモニターに突如、地図と写真が表示される。

そしてサイレンが鳴り響き、注意をひく。


「どうした?何があった?」

「はい…お待ちください。…これは…出動要請です!早急の出動要請です!場所は…四区です!」


司令官のような人物が小型のモニターの前に座っていた部下に尋ねる。

それから部下から帰ってきた報告に目を剥く。


「四区?あそこは医療機関や孤児院、少年院などの更生機関が集まっている場所だろ?」

「はい。そこに緊急の出動要請が。奇妙ですよね。〈MAGI〉システムの故障かなぁ」

「地震とかでは無いのか?」

「いいえ。出動信号パターンは黒です」

「黒だと?カウンターテロ?一体何があった」

「わかりません。そこに誰かが向かったという情報もありません」

「この機密回線にアクセスして出動要請だと?奇妙だな」

「どうしましょう?」

「ええい考えているだけでは埒があかん。〈暗機工作士フロッケン〉に出動命令を出せ!」


その言葉を皮切りに部下たちが忙しく動き始める。


「一体〈MAGI〉にアクセスし、要請したのは誰なんだ…?」


その言葉は忙しない靴音に掻き消された。


「とりあえず、主任と大旦那様に繋げ!状況を報告する!」

「了解しました!大至急お繋ぎします」

「それと時継様にも連絡を入れてくれ。休暇中だが、あの方が居なければ万全を期したとは言えん」

「あの方は丁度四区に向かっていたのでは?」

「そうなのか?…あぁ、の件か。…そうだな、そうだな。あの方も心は有るからな。冷たく見えるだけで。…願わくば今回の件に〈オロス〉が関わってないことを祈ろう」

「そうですね」


その後、通信が繋がるまで司令室には沈黙が舞い降りた。

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