第5話 目覚める白痾

アリスと共に部屋を抜け出したアシュは足音を忍ばせて下に降りる階段を探していた。

先程発見したエレベーターは動かすと階下で察知され、出待ちを喰らうので却下した。


(ここの内装、そう言えば聞いてなかった!)


今まで直感に任せて右へ右へと逃げてきたが、事前にアリスに聞いておけばよかったと今更ながら後悔する。


(下衆の後知恵になるとこだった)


アシュはゆっくりと速度を落として曲がり角の先を伺い、何もいないことを確認してから振り向いて小走りで追いついてきたアリスに小声で話しかける。


「(ねぇアリス、階段ってどこにあるの?)」

「(え!?アシュは階段の位置も知らなかったのですか!?馬鹿ですか?まったく…階段は反対ですよ)」


アリスはアシュを窘める。


「(ごめん。逃げるのに必死で)」

「(言い訳はどうでもいいので早く行きましょ)」


そう言ってアリスに手を取られて今度は左に進んで行くアシュ。

なるべく足音を立てないようになのか格好が忍びの抜き足、差し足、忍び足である。

すると不意に

カツン、カツン、カツン。


「「ッ!」」


と微かに廊下に反響する靴音にビクッとするアシュとアリスは咄嗟に右の部屋に身を潜めた。

部屋に入って急いで、しかし音は立てずに横スライド式の扉を閉める。

そしてアリスはそのまま部屋のベットの反対側に隠れてしまった。

苛烈な口調とは裏腹に意外と臆病らしい。

まぁ真っ昼間から幽霊を怖がっている可愛い女の子なのだから当然と言われれば当然ではあるのだが。

その臆病さも魔法と銃弾が飛び交うこの世の中生き残るためには必要なのだろう。

この見た目と年齢で某看護師みたいにバトルジャンキーな行動に移られていたらもう放心するしかなかった。


「ふぅ…」


アシュはしばらく扉を閉めたままの姿勢でゆっくりと呼吸を整えてから部屋に目を向ける。

アリスほどではないにしろ、荒事慣れなどしようはずもないアシュも大分怖がっていた。

あまり表にそれを出さないのは男の矜恃というやつだ。

男とはいつだっていい格好をつけたがるものだから。

特に可愛い女の子の前では『漢』であろうとするのだ。

部屋の中は使われていないのだろうがシーツなどが一纏めに折り畳まれて置いてあるベットが2つと窓際に置かれていた赤い薔薇の入った花瓶があるだけの空虚な部屋だった。


カツンッ!カツンッ!


今度はハッキリとそして近くに音を感じた。

確実に距離が詰められている。

二人の居場所がバレたのだろうか。


(まずい…下にいた人が上がってきた?)


そうだとすれば丸腰の子供と銃器を持った大人との戦いになり、二人は容易に捕まってしまうだろう。

どうしよう、とアシュは辺りを忙しなく見回すがこの部屋には何か武器になりそうな物も無いし、立て籠もろうにも鍵など銃器で簡単に開いてしまうだろう。

それとも筋肉式突入強行突破だろうか?

相手には自動ピッキングの道具なんかもあるかもしれない。

なんにせよこんな大きい施設――病院なんかでも――を相手どるテロ集団ということは相当場馴れしているし、何らかのバックアップもあるだろう。

警備の魔法使い――魔法があるのだから多分職種としているだろう――とタメを張れる又は圧倒できる人がいると考えることもできる。


(さっきの人達は一瞬で凄まじい攻防を繰り広げていたし、普通なら警備の人も多分倒されてるよね…警備の人もあのレベルだったらもう人間じゃないよ…。そもそも普通に考えて病院だなんて狙われないだろうし警備員とかいるのかな?いたとしても必要最低限だろうし)


警備の数が多く、練度が高いなんてことは有り得ないだろう。

とすると敵の目的はなんなのか。

分からないことだらけの現状がジワジワとアシュの精神を蝕む。

真綿で首を締められているかのようだ。

思考の渦に嵌りそうになったアシュはとりあえず行動を起こそうと決意した。

ひとまず扉の隙間から様子を伺うアシュ。

正面には特別隔離病室と書いてある部屋がある。

多分きっとそれがアシュたちが先程出てきた病室だろう。

中から時折すごい音が響いてくる。

具体的には何かが軋む音とか、引き裂く音とか、爆発音とかが。

その正体がなんの音かは皆目検討もつかない。

その様はまるで異界の様で、辺りの静けさとの対比がますますその考えを助長させる。


(そう言えば旭先生も結子さんも凄かったな。なんというか医者と看護婦と言うより変装した特殊部隊って言われた方が納得できる。荒事慣れしてるよね絶対)


あの時に部屋を出ていなかったらどうなっていただろう。

旭と結子が必ず守ってくれるとは言いきれない。

多分相手も相当な手練なのだ。

そう考え事をしているとまた、別の方向から物音がした。

その音を聞きつけてやってきたのはなんの変哲もないアサルトライフルを抱えた額に傷のある男であった。

黒色を基調とした防弾チョッキのようなものを着ている。

きっとあれがテロ組織の戦闘服なのだろう。

アサルトライフルを持って何の変哲もないというのもおかしな話だが、さすがに魔法とか巨大な爪の前では銃なんて可愛いものだ。

こんなことをやっているからなのであろうかガタイが良く、仁侠もないし堅気の人間でもなさそうである。


(どうしよう…)


このまま男が部屋に入れば旭と結子は劣勢になってしまうだろう。

しかしこのまま出ていっても二人共捕まって助けを呼べなくなってしまう。

ここはアシュが囮になるべきか。

流石に小さいといえども男。

少女を囮にすることはできない。


(怖い…けど!誰かがやらなくちゃ!このままじゃ最悪にっ!)


その決意を瞳に宿し、いざ囮にならんとするアシュの目の前に――

――カラン、カランと決して小さくない音を立てて鉄のパイプが転がってきた。

反響する音。

扉を隔てた先に先程までは無かった物が転がっている。


(あれ?これはどこから転がって来たんだろう?)


そして手を伸ばしかけた刹那に。

男と目があってしまう。


(―――ッ!!!)


思考が真っ白に染まる。圧倒的な絶望と恐怖がアシュを支配する。

動きかけた足がまるで凍ったかのように動かない。


(だめだ…見つかった…勝てない。アリスも、僕も助からない)


そう思った途端に足から体全体にかけて全てが氷の様に冷たくなってゆく。

血も凍った様に冷たく全身は死んだかのように動かない。

そしてアシュの視界では男がゆっくりと銃口をこちらに向ける。

そしてアシュの脳裏にさっきのやり取りが聞こえてくるようになった。

それは、走馬燈であろうか。


『――一緒に病気を治すと言う話は!?』


困惑するアリス。


『――何故私なんかの為に!』


憤慨するアリス。


『――記憶を取り戻して貰わないと困るのです』


無理に笑顔を作ろうとするアリス。

短いやり取りではあったが確かなアシュへの想いを感じ取れた会話だった。

聞いているだけで心温まる話であった。


『――僕もそんな思い出でアリスと一緒に笑い会いたいな』


そしてその後に自然と自分誰かの口から紡がれた言葉。

やはり、これが俗に言う走馬燈だろうか。

こんな短い間に人生を終えるなんて。

男の指がトリガーに掛かり、銃口がこちらを向く。

浅はかな希望を抱かせてまた自分誰か彼女アリスを悲しませるのだ。

パンドラの箱よりも質が悪い。

見せかけの希望を絶望に塗り替えているだけ。

最後の箱底の希望パンドラ・ホープすらない。

アシュになるなんて大見栄切った癖に。


『――私を……独りにしないで…』


笑顔を見たかったからと出来もしないことを言ってまた傷を抉るのだ。

希望を仄かにチラつかせ、取り上げる。

何度も何度も死人に鞭を打つかの如く。

古傷を抉りだすその外道を許すことは出来るだろうか。

きっと、誰であれ許せはしないだろう。


(僕は…最低だ。また彼女アリスを苦しめるのか!約束なんて果たせないのになぜ約束した!)


不意に目頭が熱くなるような気がした。

男が何かを怒鳴ろうと口を大きく開ける。

もう少しすれば、アシュは撃ち殺されてしまうかもしれない。


(たとえ見せ掛けの希望だとしても…救われたいと願う人がいるのなら、せめて…せめて救われたいと願う少女の願いぐらいッ叶えて見せろ!贋作アシュ!)


体の底から何か力が湧き上がってくる気がする。

まるで全身が炎になったようだった。

全身を襲っていた恐怖も熱に溶かされるかのように自然と消えていた。

後に残ったのは立ち向かう勇気。


(せめて…鉄パイプさえあれば…


瞬間脳裏を電撃が疾走はしった様な錯覚がした。

ついで、痺れるような痛みが。

そして次にゴガン!では済まされないとてつもなく大きな音が前方でした。

驚くアシュとアリスが見たものは。

男の顎を正確に捉えたアシュの右腕から伸びた鉄パイプとそれに打たれ、仰向けに吹っ飛ぶ男の姿だった。



















様々な種族が、様々な種類の車、様々な公共交通機関に乗ってこの国を練り歩いている。

今日は建国記念日ということで様々なふだん職業に就くもの達も、休日を思い思いに過ごしている。

家族サービスに精を出すものもいれば恋人と手を繋いだりするものも、友誼を深めるものもいれば、寝たきりで過ごすものもいるだろう。

その中に暗い表情をした者がいた。

中肉中背に少し届かないくらいの黒髪の少年であった。

歳の頃は14より下であろう。

この国の年齢層的に言えばまだ中等教育を受けている年頃であることがそのナリからわかる。

と言っても制服を着ている訳では無い。

何の変哲もないジーンズにパーカーという格好だ。

そんな庶民的な格好をしてもなお、往来を行き交う人々とは少し位相がズレた場所にいるような気配がする。

人の姿を取っているのに人ではありえないほどの存在感。

超越者とでも言われそうな少年であった。

その少年が懺悔するように吐き出す言葉は優しく、それでいて恐ろしい。


夏鈴かりん、もうすぐで決着が付きそうだぞ…待っていてくれ。そしたら、きっと、面と向かって話が出来ると思う。──本音で、な」


空に向かって優しく語り掛けるさまはどこか涙を誘うような感情に濡れていて。

そこには悲嘆があった。

絶望があった。

諦念があった。

苦しみがあった。

希望があった。

団欒があった。

苦労があった。

──そして何より、縋り付くような懇願があった。

超越者は縋る神の名は持たないのか。

いいや、そもそもそんな者居ないと気がついたのかもしれない。

敬虔けいけんな信徒でもない超越者は、きっと嘆いたに違いない。

なぜ、弱者の語る希望は強き者の希望では無いのか、と。

しかし超越者は向けた相手以外の何者の名も語らない。

祈る神の名を持っていたのならそれをこの場で口にしただろうから。

自身を赦していたのなら、自らの名を上げていただろうから。

少年がそれほど遠くない過去に思いを馳せていると、ポケットが振動した。

正確に言うとポケットに入っていた多機能通信機が連絡の通知を知らせたのだった。


「こちら時継。何かあったのか?」

「第四区への緊急出動要請です!休暇中すみませんが出動してください」

「わかった。火急の用があるのなら、おちおち話もしてられない。四区の何処だ?」

「〈雅色総合病院〉です」

「……そうか。すぐ向かう」


了承の言葉と共に通信を切る。

そして独り言を零す。


「この格好じゃダメだな。新型のアレ試してみるか」


何も無い空間に手を翳すと、空間に黒い孔が開き、その中からジュラルミンケースの様なものが出てくる。

それを少年は持つと、役目は終えたと言わんばかりに孔は閉じる。

ジュラルミンケースの上部にある赤いボタンを押すと、白と黒の入り交じったレザーコートに変化した。

素材は合皮も使ってるが、大部分は皮や繊維のような伸縮性を持たせた金属である。

しかし見た目は完全に皮製だ。

耐久力は抜群で、なおかつ普段来ている服のように動ける。

それがこの代物だった。

そして少年は真っ直ぐ目的地へ進む。

嵐の足音がする。

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