第3話 死した勇者に手向けの花を
ポカポカと胸を叩く衝撃よりも心に残るあの声が少年の耳にいつまでも木霊する。
――何故覚えていないのですか!
その糾弾のような、そして問いかけるような悲壮に満ちたその声音は誰に向けられたものなのか。
今胸を叩かれている
それとも亡くなった
どちらかは
どちらともかもしれない。
或いは神のような因果のような理不尽に訴えて反抗しているのかもしれない。
(――きっと僕が目を覚ますまで苦しみ続けてきたんだ)
現実を見るのに少女は幼すぎた。
少年が対処するには問題が大きすぎた。
何も知らない少年には少女を苛む暗雲を払う事など出来はしない。
(――僕には想像もつかないけれど、この子は長い間とても苦しみ続けたんだ)
苦しんだ末に彼女は問いかけてきたのだろう。
沢山の大人に。
理不尽に。
そして何より自分自身に。
――その問いは願いの裏返しなのだろう。
――あの日々を覚えていてほしい、と。
(――僕が誰かは、わからない。…もし僕が何者でも無いのなら、僕は彼女を幸せにする人になりたい。心の底からそう思う。なんでだろう。そう思ったら僕が誰だなんてどうでも良くなってきた)
胸に顔を埋めて心情を吐露する幼い姿を見ていると、自然と少年を苛む悩みは何処かへ散ってしまった。
何故だろう、少女を放っては置けない。
少女の助けになりたい。
自分はこの少女に
今、この瞬間に。
そうしたら助けてもらった様に少女を助けたい。
持ちつ持たれつ。
互いを互いで満たせるように。
切にこれだけを願う
(僕はアシュになる。この子をもう、泣かせたくない)
今この
グスグス、からヒックと少し落ち着いてきた泣き声を機にアシュはアリスに語りかける。
胸に顔を埋めているアリスの肩を優しく引き離し、両目を合わせる。
たどたどしくはあるがしっかりと芯のある声で。
長い時間をかけて出した結論を。
彼女の心に確かに響くように。
「アリス、ちゃん。…僕はね、自分が誰かわからないんだ。もしかしたら僕はアシュなのかもしれない。もしかしたら違うかもしれない。だからさ、その、僕が何者か思い出すまでさ。僕の傍にいてくれないかな?きっと僕は独りじゃ何もできないから。アシュを知っている君がいればわかる気がするんだ」
アシュの言葉を受け止めたアリスは赤く腫れた
「――アリス、です」
突然、呟くように放たれた意外な言葉にアシュは耳を疑った。
「…え?」
「だから、私の事はアリスと呼んで下さい」
「どうして?」
そう理由を聞いたアシュにアリスは一言一言を噛み締めるように語り始めた。
「お前は、アシュになるのでしょう?それならばアシュと同じく話すべきです。もちろん行った場所は全て巡って、そして帰る場所も同じくして、一緒にやったことももう一度やりますよ?…だってお前はアシュなのですから」
そう言ってアリスはアシュから視線を外し、遠くを見据えた。
昔を懐かしむような声で。
その思い出を慈しむ様に。
それでいて突き放すような冷たい、アリスには似合いそうで幼気な少女には似合わない言葉を吐く。
少し間があったのは断言するのを躊躇ったからだろう。
「あっ…ごめん。辛いこと思い出しちゃったりしたよね」
配慮が足りなかったと十代前半の少年にはおよそ似つかない反省をするアシュ。
周りからするとそれを少年に強要する事は酷であり、批難されるべき行いであろう。
しかし相手もまた少女。
結局アシュは無遠慮に辛い記憶にズケズケと入り込んでしまったという自責の念に苛まれることになる。
「別に。楽しい日々でしたから」
先程まで泣いていた事などまるで無いかのようなアリスの立ち振る舞いにアシュは少し混乱する。
困惑しながらもフッと笑って目の前の少女をまっすぐと見る。
「そっか」
「ええ。ですから記憶を取り戻して貰わないと困るのです」
そう言ってアリスは無理に笑顔を作ろうとする。
それを見てアシュは酷く心が傷んだ。
歪に組み立てたカラクリ人形みたいに笑うその顔を、して欲しくない。
それを取り繕い、唇は自然と言葉を紡ぎ出す。
「うん。…僕もそんな楽しい、て言ってもらえるような思い出を作りたい。そしてアリスと笑い合いたいな」
「――ッ!!」
澄んだ笑顔がアリスの目の前で炸裂する。
アリスは少し頬を赤らめてビューとまるで音を置き去りにしたかのような速度で看護婦の後ろに隠れてしまった。
彼女らも少年少女とはいえ10代ともなると急に相手を異性同性で区別し、無駄に異性を意識してしまうお年頃である。
そんなアリスにとってはちょっと照れくさい言葉だった。
これはあれだ、と察しが良ければ気づくだろう。
アシュももう少し察しが良かったら或いは、と言うのは結果論だろうか。
つまりアリスは今の言葉と笑顔でハートを射止められてしまったのかもしれない。
もともと小さい頃から一緒にいたのだからテンプレと言われればそうである。
記憶は一欠片もないが。
この瞬間にもバッキューン、と幻聴が何処からか流れてきそうである。
もしかしたらアリスは今頃正体不明の胸の痛みに襲われているかもしれない。
流石の鈍感でもこれだけの事態なら少女の抱いている想いを少しでも理解できる筈だ。
「???」
しかし当の本人には自覚どころか何が起こっているかすらもわからないみたいだった。
これには部外者二人も手のひらで顔を覆った。
曰く、嗚呼、神よどうしてこんなに鈍感なのですか
アリスは恥ずかしすぎてショートしていると言うのに。
世界中から朴念仁め!という怨嗟の妬みやっかみが聞こえてきそうだ。
「…ハァ。アシュ君キミはどれだけ…まぁいいや。取り敢えずこれからの事を主治医として話しておこうと思うんだが?」
「あっはいお願いします」
とここで結子看護婦が余計な一言を。
「こうなったのも全て先生のせいですが。そもそも先生も人のふり見て我がふり直せなんですけどね」
(ええ、そうですね。今のアシュ君では分からないことだらけですもんね)
「おい結子君?本音と建前がまるっきり逆だぞ?」
「あ!」
「…常々思っていたが馬鹿かね?君は」
「いやぁえへへ」
誤魔化し笑いを浮かべながら冷や汗をかく結子看護婦。
それを半眼で睨みつける医者。
周りの空気は弛緩したが、微妙な間が続く。
それに耐えかねたアシュが話の続きを催促する。
「あの!すみません。そんなくだらない事で争ってないで教えてください!何が起こっているんですか!?そもそもここは何処なんですか!?」
「…くだらな…!?…あぁすまない。…で、何処から質問に答えようか」
「ではまず私達の存在から紹介を始めてみては?それが記憶を取り戻す切っ掛けになりやすそうですし」
「ふむ、一理あるな。さてとアシュ君。私は
「同じくあなたたちの経過観察として派遣された
「そしてそこに隠れているのが、君と一緒の孤児院に住んでいるアリスちゃん。彼女も現実乖離性症候群だね」
「…あの、更にわからないことが増えたんですけど」
アシュ的に現実乖離性症候群が出てきたあたりで話に追いつけない気がしてきた。
やっぱり変人は変人だと再認識させられた瞬間であった。
「じゃあ順々に解決しようか」
「ではまず、現実乖離性症候群?ってなんですか?」
まぁ普通の人ならこんな反応になるだろう。
医者に聞いたこともない専門的な病気の名前だけ聞いてハイそうですかと納得できる訳がない。
殆どは症状と段階と後遺症を聞いてみて始めて危険性がわかるのだから。
それもまだ義務教育も終わっていないような子供である。
漢字変換すらも危うい。
そう旭主治医も考えていたのかわかりやすく――主治医的には――説明を始める。
「現実乖離性症候群っていうのは君たちの診察でで初めて確認された奇病だよ。現代で最高の科学技術を持つこの国でさえ一切原因もメカニズムも何もかもわからないのさ。患者は君やアリス君を含めて18人。内全て君たちの出身の孤児院に住んでいる。その原因については魔法による過去視での調査や呪術による呪怨の可能性、血統、土地神、パンデミック、分類不能の魔術系統…っと考えられる可能性は全て検討したがどれも違う。確認されて5年が経つけど一切合切何一つとして判明していないブラックボックスだね」
「は、はぁ。つまりヨクワカラナイものだと言うことですね?」
「患者によって現れる症状も様々だからね。現実乖離性症候群って一纏めにしているけれど実際は違うかもしれない。そして有効な治療法もまた――」
旭主治医はその先は言葉にしなかったが部屋の誰にも有効な治療法はないのだと言外に理解した。
「まぁそれは理解しました。そんなことよりもですね」
「?」
何か含みのある言葉に首をかしげる医者。
何かそれ以外に困惑する要素はあったか、と。
「旭先生が言っている魔法と言うのは…その、例えば手の平から炎の球を出したり、箒で空を飛んだり、悪魔を召喚したりとかそういうものですか…?」
少年の言葉には信じられない、とか否定してほしい、と言う意思が感じられた。
それには旭だけでなく他の二人も同時に
「「「…はぁ!?」」」
声を大にして叫んだ。
まるで隕石が目の前に着弾したかのような驚きようだった。
「え!?アシュ、流石に冗談ですよね?!それ以外に何がと言うより常識ですよ?!」
とまるで成人なのに漢字を知らない人を見たと言う様な表情で信じられないと宣うアリス。
「…アシュくんはこの国で生まれてんですよね?てかこの星で生まれたんですよね?常識、知らないんですか?」
おっとりとした顔と声をしている癖にタンスの角に小指をぶつけた並に地味で意外と痛い所を的確に抉ってくる結子看護婦。
看護婦の振りかざす刃物は言葉だろうと鋭く、的確に執刀されるらしい。
看護婦は執刀するかは疑わしいが。
もう看護婦じゃなくて女医として心の小さな腫瘍を切除していればいいと思う。
「…二人とも病気による記憶の欠損の可能性は考えていないのだね」
「さすが主治医の旭先生!頼りになります!」
救いの神様はなんと稀代の変人であった。
アシュの手のひらはドリルの如く高速で回転し、主治医の評価を改めた。
そんな手のひらが複雑骨折していそうな手のひら返しを見せられた主治医だが、他人の評価には露ほども興味が無いと言わんばかりに無視をして話を続ける。
「アシュ君の言っている魔法は私達が話ている魔法とは少し違うね。いや、合ってるのか?まぁ魔法の中でも出来るし、似たような魔術ってものは手の平から炎の球を射出するし、金属を流体にしてブレードを形成したりしてるね」
そう言って旭主治医は左の手の平から20センチくらいの炎を出してみたり、どこからともなく取り出したメスを自由自在に伸ばしたり曲げたりする。
「…ッ!!!?」
衝撃で開いた口が塞がらないアシュ。
後ろを向くと結子看護婦は両の拳を何度も打ち合わせている。
打ち合わせるたびに翠の閃光がバチバチバチ!っと火花を散らす。
それを見せびらかしてニィッと不敵に笑う様にアシュは恐怖した。
(す、素直に怖い)
「驚いたかい?まぁここらでは珍しくないから慣れておいたほうがいいよ?なんなら簡単な魔法なら教えてあげてもいい」
「え?普通魔法って非常に才能に左右されて、ごく僅かな人しか扱えない物なんじゃ?」
どんな本にも魔術やら魔法とは極めて難しく、複雑で教えを乞うことも難しく歴史に埋もれ限られた末裔だけが扱える酷く属人的なものだと書いてある。
何故かアシュにはそんな気がした。
「確かに魔術は相も変わらず属人的な代物ですよ。才能が物を言う世界です。でもね今は魔力さえあれば人は扱いやすいように改造された魔法って物を扱えるんですよ。ま、それ専用の臓器があればですがね」
「じゃあみんなが使っているのは魔法なんですか?」
「あぁ周辺の国じぁそうだねぇ。でもこの国はとても特殊でね。半分は元の血統重視も残っている。しかしもう半分は驚いたことにこの都市は機械と魔法の融合技術が発達しているんだ。それに多くの才能がある人たちが集まっているから魔法を使う人もいれば魔術に長けた人もいるし、よくわからない能力を使う人、科学でそれらを捻じ伏せちゃう人とかもいるんだよね」
「はぁ…?」
「よくわからないだろう?」
「はい。というかそんな世界なのに幽霊にびびってるんですか?」
「彼女たちは怖がりだから」
「先生もなんであんなに血眼になって探してたんですか?」
「いやぁ…幽霊を見つけるのが私の夢でね。あのホラー映画みたいなドキドキハラハラが堪らないんだ。私も一回でいいから実際の幽霊でハラハラドキドキしてみたいのさ!」
「幽霊に追いかけられたらホラーですけど、幽霊を追っかけたらそれはもはやシュールギャグなのでは?」
これが魔法ですと実際に見せられた所でハイそうですかと納得はできない。
にわかには信じ難い現実である。
ましてや相いれない筈の科学と化学変化をしているなんてとてもとても信じられなかった。
アシュがいくら少年であっても彼の中の常識はきっちりと固められている。
「そう言えばここは魔法で病気を治す所なんですか?」
「魔法オンリーではないね。魔法がそんなに万能なら科学なんて必要ないし。そしたら君たちも完治して平和に暮らしているだろう」
「…?」
主治医の言葉に些細な違和感が感じられた。
しかしそれは明確な形になる前に掻き消される。
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