第2話 混沌の中に差し込む一筋の光

つい先程叫んだ看護婦は少女と抱き合って震えている。

そう思うならそこは二人で逃げろよ、とかなんで大の大人が少女と抱き合っているんだ、とかいうツッコミは少年の中で内々に処理された。

そして少年の意識には友好的な歩み寄りによる対話をそっちのけで悲鳴を上げられたという事実だけが脳内をグルグルと回っている。

もう事態が二歩にっち三歩さっちも進まない。

互いに歩み寄りをやめたせいでいつまでも状況が変わらない。

しかしその静寂は霧のように容易く霧散するもので――。

ダッ!!

と力強く廊下をかけてくる反響音を聞き取った三人は虚ろになりかけていた――少年は割と本気で旅立ちかけていた――眼に希望の光を取り戻し、一斉に扉へ振り返った。

バガゴォォン!!

と爆発音のような音を立ててドアが吹き飛ぶ光景を部屋にいる三名は目の当たりにした。


「「「………へぇ?」」」


その衝撃は正気に戻った少年少女(+α)のSAN値をゴリゴリと削り、間抜けな声を出させる程であった。

ここの人は横スライド式の扉に何か恨みでもあるのだろうか。

親を殺されたとか。

いいや普通に考えたらありえない。

ドアが自由意志をもって襲いかかって来るなんて世紀末すぎる。

もしかしたら足の小指を挟んだのかもしれない。

ヘナヘナと抱き合って崩れ落ちる二人。

そして廊下から現れたのは中肉中背より少し背が高い程度の身長に毛先を遊ばせたと言うより寝癖そのままの黒髪に眠そうな瞳をして剃った髭を強調した医者らしき男であった。

その寝癖をファッションにとでも言いたげな医者は眠そうな瞳を少し見開いて叫んだ。


「幽霊はどこだぁ!何処だァ?!ゆ・う・れ・い・!」


そのセリフで少年が白目を剝いて小刻みに震え始めたのは言うまでもない。

そしてその姿を見て女性二人が顔面蒼白になったのも想像に難くないだろう。

――きっとすれ違った人がこんな顔していたらギョッとするだろうから。

しかし変人幽霊探しの医者は止まることを知らない。


「ンン!んんん!ンぅんん!!」


医者がいきなり首を九十度少年の方に向けたと思うと唸り声ともつかぬ声を発して一歩一歩踏み出し、下から覗いたり横から見たりととにかくクネクネしながら少年に近づいて来た。


(ああ、あばばばばヤバイ人ダこのヒト)


白目を剝いてガクガク小刻みに揺れる少年にそれを見て更に震える少女と看護婦。

そこに変人を混ぜると更に事態が混乱します丸そしてその変人は無駄に頭が良くて効率を考える人なので自分で事態を混乱させて自分のコントロール下に置くのです。


「…さてと諸君。事態を整理しよーじゃぁないか。まず言っておきたいのだがね彼――あぁ、アシュ君は幽霊ではないよ」

「…え?」

「…へ?」

「…ほぇ?」



上から順に白目、金髪、ナース。

ポカンという擬音が流れていそうだ。

三者とも間抜けな表情で医者を見た。


「だってほら触っても透けないし、浮いてないし、その杖についてるチューブだって繋がってるしね。それに何よりこの部屋でポルターガイスト現象が起きた気配もなければ、この部屋が特殊な儀式場でもないし、魔法の気配もないし」


そう言って両手を広げてどう?とジェスチャーを送る男。

最後の方は「チョットナニイッテイルノカヨクワカラナイ」状態の少年は取り敢えず安堵した表情を見せる。


(初めてだ……ようやっと…やった……神様はまだ僕を見捨てていなかった。三度目の正直最高!)


ここを逃すと多分一生口が聞けなくなると危惧した少年は行動を起こす。


「…ッ!そっそうです!僕は幽霊ではありません!只の人間です!一般人です!善良な市民です!そもそも今何がどうなっているのかヨクワカラナイし、急に目覚めたらこんな所にいるしそもそもココが何処だかもわかりませんので取り敢えず僕は無実です!幽霊ではありません」


マシンガントークもかくやという速度で吐き出された言葉は果たして震えて抱き合う二人に聞き取れていたかどうか。

そもそも早口で捲し立てていたので言い訳くさいし、後半の文章がおかしい。

医者の話の最後の方はまるっきり無視して幽霊じゃない事を証明しようとする少年。

ということは大事なことなので三度繰り返したのだが逆にそれが怪しさを倍増させている。


「……ええと?つまり幽霊ではないのですか…?──じゃあ、本当に」


少女がおどおどとした口調で看護婦の陰から聞いてくる。

そして、後半には息をしずらそうにして、涙まで流して何事かを確認しようとしている。

医者のお蔭で――三分の一位は彼のせいだが――事態は終息するかに思われたが中途半端に大人で医者の人と成りを知っている看護婦は容易くハイそうですかと首を縦には振らないようだった。


「ちょ!ちょット待ってください!確かな証拠はあるんですか?前半の透けてないとかポルターガイストのくだりはまぁ納得できるとして魔法の可能性は否定できないでしょう?!ま、透けない幽霊だっているかもしれないですが。そもそもこの子達はなんですから。常識的な一般人!?善良な市民!?そんな嘘信じられないですよ!!」


後半になるにつれヒステリックになっていく看護婦。

そして少年に向けてビシィ!っと吹出しが出ていそうな右人差し指を突きつけて、左手で小刻みに震える少女の手を握る看護婦。

少年はその会話に疑問を持った。


(――魔法…?あんな事…?何言っているんだろうこの人たち)


少年の中での常識に照らし合わせれば『魔法』なんて言うのは空想の中の物であり、非日常の代名詞。

彼女が言っているのはボーイミーツガールの作品の要素の上位十本の指に入り一度は誰もが夢見るあの魔法であろうか。

そんな考えに耽っているうちに事態は進展して――。

フゥ、と溜息とも取れる呟きを医者は漏らす。それから気障な人物のように髪をかき上げ、看護婦に改めて向き直って言う。


「落ち着き給えよ結子君。アリスちゃんが怯えてるじゃないか。大の大人が怖がってちゃぁ世話ないよ。…まぁ結子君。彼が幽霊じゃないと私は言ったが前言撤回しよう」


ここで少年は医者の言葉を否定しなきゃいけない気がした。

認めたら本当に幽霊認定されそうだしあまり会話に参加しないと本当の幽霊みたいにいない存在にされかねない。


「ええぇ!そこは撤回しないでくださいよ!」

「まぁ待ち給えアシュ君。話はまだ終わってないよ」

「…?アシュ?」

「さてとね結子君。君はと言っていたね。…でもなのだからなっているのではないのかね。ともかく私が言いたいのは彼が結子君の言っている害をなすような存在ではないということだよ。まぁ、それは彼らもこの子らも同じだね。奇しくも同じような状況だねぇ…想い人が添い寝してると眠りの王子は起きるのかな?ははは」


やはり少年は彼らの持って回ったような言い方が気にかかる。

それに対し、落ち着きを取り戻したらしい看護婦が口を挟む。


「まぁ害意がないのは認めます。ですがですよ?私達が全力を尽くしても分かることのほうが少ないこの子達が何をするのか予想も付きません。警戒しても罰は当たりませんよ。ほんと、今日という日はなんなんですかね昏睡してた子が突然起きたり、死者が蘇ったり」

「それを言うならアリスくんも例外なく当事者の一人なのだがね?」

「グ、ぐぅの音も出ませんね」


それを自分で言うのか、と一同は思った。

それにしても一体何なのだろうか。

アシュと呼ばれた少年は考える。

想像もつかない事が起こりすぎて情報が錯綜して先入観と誤解が独り歩きでもしているのか複雑に絡み合った事態を断ち切るには勇気という刃が必要らしい。

対話を拒絶されたという錆はあるが覚悟を決めて聞いてみる。


(聞かぬと不平を言うよりも進んで話を進めよう!それしかない!)


「あ!あの…!さっきから…そ、その一体何の事を話しているのですか?」

「…アシュ君?君にはその辺りは話した記憶がある気がするのだが?」


医者は告げる。

しかし最初に気にかかったのは呼びかけられた名であった。

聞きなれない名だった。


「ア、シュ?ええとそれ僕の名前ですか?」

「?それ以外に何があると言うんだ?」

「…え?」

「…ッ!?!アシュ君!もしかして君は何も覚えてない?名前は?育て親は?故郷は?僕らの名前は?ここの場所は?」

「あぁ………僕の名前ですか?………そんなものアシュなんかではなくて……じゃなくて……なく……て?」


(あ、……れ?)


――何かがおかしい。

自分が何者なのか考え始めた途端に頭が割れ鐘の様に警鐘を打ち鳴らして酷く煩い。

それ以上考えるなと本能が告げている。

そういえば無意識のうちに考えることを避けていたが、そもそも自分の姿を見たとき猛烈な違和感を感じた筈だ。

これは誰だ、と。

思い出していくに連れ少年の動機が激しくなっていく。

自分自身を見たくせにまるで他人を見るかの様に観察していた。

でもその違和感も映った体が自分の思う通りに動くと自分自身なのだと変に納得していた。

そしてそれを未知の下に不安と違和感と共に押しつぶして考えないようにしていた。

段々と語尾が不安定になって行き、頭を抱える少年――アシュ――は膝をついて崩れ落ちる。

そのまま自らの殻に籠もって自問自答を繰り返す。


(僕は誰だ?誰だ?!誰なんだ!?ここは?彼らは?………全部だ。全てわからない。思い出せもしない。何処なんだ?一体何が起きているんだ!?…誰か教えてくれ)


泣き喚きたかった。

ヒステリックに叫びたかった。

全て滅茶苦茶に壊したくなった。

何も覚えていないと言う衝撃に耐えきれず意識は混濁し、精神は乱れ、思考回路はエラーを出している。


「うう…あぁ……くぁ…は…は……――一体誰…?」


自分が自分自身である証明を喪った衝撃はいとも容易く見た目の齢十の少年を叩きのめす。

両目から自然と涙が出てくる。

思考回路のオーバーフローで言葉にもならない嗚咽を漏らして頭を抱える少年に。

震えていた少女は何を思ったのか。

ソロ〜っと看護婦の後ろから顔を覗かせてチラリと蹲る少年を潤んだ瞳で見つめる少女。

そしてゆっくりと医者に近づいて、裾を引っ張る。


「…先生。その…アシュは……は…、なんですか?」


ある種の悲壮を湛えた瞳で少年を射抜くアリス。


「……わからない。見た目は完璧にアシュ君さ。でも名前も思い出にも反応しない。記憶がなくなっているのか………それともアシュ君の魂は…もう…擦り切れて亡くなったのかも…代わりの魂かも、知れない」

「…そう、ですか」


沈黙は短かった。

歯を食いしばっていたアリスは俯いてワナワナと震えだす。

俯いていて表情は見えない。

しかしきっと真実を知って幼いなりに、いや幼いからこそ受け止めているのだろう。

逃避もせずにまっすぐと目を逸らしたくなる現実から。不条理から。

その様子はまさに風雨に逆らい凛と咲く一輪の花であった。

そしてアリスはキッと勢いよく顔を上げるとスタスタと少年の横に立った。

――そして。

――そして。

――そして。

バッと少年の逞しいとは言えない胸元に顔を埋めてポカポカと両の手で握り拳を作って叩き出す。


「――何故!何故なのですかアシュ!あなたは私を一人にしないと誓ってくれたではありませんか!それなのに私一人だけ置いて、何処へ行ってしまったんですか。病気を一緒に治すと言う約束は?!幸せにすると言う約束は!?なんで私なんかの為に…」


泣きながら自分叩いてくる可憐なる少女に意識を奪われていく少年。

孤独で悲嘆に暮れていたつもりだったのに、いつの間にか可憐な少女も傍で泣いている。


「何故!覚えていないのですか。アシュぅ。なんで…」

「――ッ!」

「――お願いですから…私を…独りにしないで…」

「――ぅあぁ…ッ!」


少年はまたマジマジと少女をみた。

息を呑んで、短く喘いで。

そしてその言葉を皮切りに次第に叩く手は背中に回り、顔は更に胸に埋めて終いには言葉も聞こえなくなって。

只々少女の嗚咽だけが病室に木霊した。

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