乾坤一擲
第1話 災禍の種火
目覚めは暗い穴から這い出たかのように真っ暗で水没したかのように息苦しく、そして業火に灼かれたかのように全身が熱かった。
少年はそんな感想を無意識に投影しながら身を起こそうとして――何かに阻まれる。
(……?)
緩慢気味であった少年の動きが止まるのと同時にギギギ、と何かを限界まで引き伸ばしたような音が響き渡った。
少年は今度も緩慢とした動作で身を起こす。
いや、動こうとすると緩慢としてしまうのだろうか。
それから少年は窺うようにそっとあたりを見回す。
まず目線を下げると白いシーツのようなものが。
そして左を見ると大きなガラス窓がすぐそばにあり、薄くではあるが茶髪黒目の10代前半から中頃位の少年がこちらを見返している。
体は年齢を考慮してもなお細い。
もう少しで骨が出そうだ。
簡素なベットの上で上半身だけを起こしているのでわかりにくいが年齢相応の身長であろう。
そしてシーツで隠れていない腹から上は薄い水色の入院服のような何かを着ている。
(これは…僕?僕はこんな見た目だったけ?いや、どんな姿だったっけ?あれ?ここどこ?)
少しの間ガラスに映った姿を観察していた少年だが、ふとして視線を少し外してみると、大きなガラス窓には摩天楼と見紛うべき光景が広がっていた。
見渡す限り煌びやかな、ビル、ビル、ビル。
(え、ちょ!?なにがどうなってるの?)
ガラスに映る少年の姿も口を開けてポカーンとしている。正に開いた口が塞がらないとはこの事だろう。
彼はその間抜け面のまま視線を顔ごと右にやる。
視線は右往左往。
上、下、左、右、後ろ。
白い天井、金髪、壁、右腕にまで伸びているチューブ、変な機械…。
うん。別段何もおかしいことは…。
!!?金髪?!!
(エエエ!?)
訳がわからなすぎて意味不明な叫びを心の中であげる少年。
よくよく見てみるとベットに突っ伏しているのは彼と同い年位の少女だった。
スヤスヤと寝息を立てている。
頭がおかしくなったのかと何度か目を擦る少年。
暫くすると少年は急にバチンと己の顔を右手で覆った。
そしてはたと気づく。
(頭がおかしくなったのに目を擦っても意味ないし…やっぱりボケてるのかな)
右手の隙間からベットを除くが、純金を鋳溶かしたような金髪が見えるばかりである。
ベット脇の椅子に座りながら腕を枕代わりにベットに突っ伏して、何やら唸っているようだ。
そこで漸く少年は尤もらしいリアクションをした。
「…えぇ!?」
驚きのあまり大きな声を出してしまうが、幸い起こしてしまっては無いようだ。
少女は寝たまま姿勢を変える。
リンゴのような瑞々しい頬がさらけ出される。
「ぅにぁ」
どんな幸せな夢を見ているのだろうか。
(寝ているのかな?…あれ?ここにはこの娘だけ?)
ともあれ彼女以外に話しかけられる相手もいないので幸せな夢を見ている可憐な少女には申し訳ないが目覚めて貰うことになるだろう。
少年は右の手のひらを見た。
内に眠る欲望が鎌首をもたげる。
ゴクリ、と喉が鳴り、少年は恐る恐る少女が起きないか確認する。
念入りに、それはもう念には念を入れて。
そして少年はおもむろに人差し指をツンツンと突くように形作り、少女の桜色の頬を突付こうと手を伸ばし始め――途中で固まった。
理由は至極単純に少女が寝返りを打ったからだ。
現れた美貌に思わず息を呑む。
背中まで伸びる金髪が退いてみると、現れたのは女神の如き美しく尊い顔立ち。
キリッとした目鼻立ち。
少し白味が強い肌に輝かしい金髪。
その美貌を際立たさせているのは控えめだが彼女の醸し出す清楚な雰囲気に似合っている白いワンピース。
というかもはや天女の羽衣なのではないだろうか?
まさに美の女神と言っても過言ではない。
美の女神すら嫉妬でこの娘を怪物に変えてしまうかもしれない。
まず感じるのは瞼を閉じているのにも関わらず伝わってくる凛々しさであろうか。
まるで真冬の雪原に凛と咲いた一輪の薔薇のよう。
美しく、気高く、尊い姿。
昔から美しい薔薇には棘があると言う言葉があり、もしその言葉通りであれば、物凄い危険を秘めた怪物とも言える存在なのだがそうだとわかっていても手を出してしまう魅力が詰まっている。
禁断の果実を食べてしまったアダムとイヴの気持ちもわかるような気さえする。
そして桜色の頬は子供のように水分が多く大変柔らかそうである。
そして唇もふっくらとそしてほんのり薔薇色に染まっている。
しかしそんな美の女神様に何かあったのだろうか目尻が泣き腫らしたのか真っ赤になっている。
「ん、………?」
少年が見惚れていると少女が視線を感じたのか寝ぼけた眼を擦りながら顔を上げる。
蒼穹をそのまま嵌め込んだかのような瞳が開く。
「ッ!!」
咄嗟の行動も許されず少年は手を固まらせたままに少女と目が合う。
まずい、だとかバレた、だとかそんな思考も空白に呑み込まれた。
「?」
パチリ、パチリと瞬きをし、目を擦る。
そして、少女もようやく眠気が取れたのかスッキリとした青空のような目で少年を見つめる。
空白の数秒間を経て――。
それからビキリと音を立ててそうな動きで固まる少女。
その表情はまさしく驚きを表していた。
それとも恐怖だろうか。
「………」
「………」
その時、その病室だけ音が無くなったかのように無音になり、その部屋の中にいる二人は動きもしない。
少女はあまりの事態に思考がショートして。
少年はこんな表情しても綺麗だな、と言う場違いな感想を抱いて。
少年の心は遥か宇宙の彼方に旅へ出た。
そして刹那――
「いやぁぁぁぁぁ!!」
少女は悲鳴をあげた。
外にまで響く、甲高くも不愉快にならない声で。
鈴を転がしたような凛としつつもリンリン、と子供がはしゃぐかの如きその声はたとえ悲鳴であっても耳心地がいい。
「!!?」
変化する状況にもはや言葉すら出ない。
ただただ口からエクトプラズムやら何やらが漏れ出るばかりである。
「お、オバ、オオバ、オバケェェェェェェェ!」
大声で叫んで尻もちを付きながら後退する少女。
にわかに周りが騒がしくなる。
その喧騒で我を取り戻したか、宇宙の果てから帰還した少年は対話を試みる。
「?……あ、ええと…起こしてしまってごめんなさい、ちょっと聞きたいんだけど…」
と言いながらチューブが付いている杖のようなものを支えにベットから起き上がる少年。
その際、彼に繋がれていたチューブが外れ、自動で収納されていく。
「うぴゃあ!!しゃっ、しゃしゃっべりました!誰か!助けて下さい!」
対話を試みたのだが返ってきたのは悲鳴だった。
しかも意味不明な。
そこまで喋ることに驚くことはないだろうと少年は思う。
いくら寝ていたとはいえこうして生きているのだから。
しかし怯えている少女の表情は未知との遭遇であった。
「あの〜もしもし、お嬢さん?」
ともかく対話を試みる。
話しかけ方が少しおじさん臭い。
「いやぁぁぁぁぁ!来ないで!来ないで下さい!近づかないで!」
対話などさせてくれないらしい。
というか対話の意思もないらしい。
そしてそんな態度を取られたら近づけないの三拍子。
宇宙人との邂逅と言うより夜道で素っ裸になって現れた変質者や女子のスカートばかりを捲る悪ガキに対する一般女子の対応だ。
これが一般女子の対応ではなかったら鼻面をへし折られたり、何メートルもぶっ飛ばされたり、ヘンテコな能力でコテンパンにされていただろう。
そう考えると幸運だ。
しかしそんなもの非常識にも程があるだろう。
つまるところ身に覚えが無い冤罪を見も蓋もない弾劾で心をボッコボコにされているのだ。
物理的にボッコボコにされるか精神をズタボロにされるかの二択であった。
そう思うとなんだか許せる気がする。
そんな変な妄想をするほどにまいっているという事実に。
(なんか嫌われることしたかなぁ?ていうか初対面だよね。こうまで拒絶されると話しかけ辛いなぁ…)
しかし少年の不幸は止まることを知らないらしい。
「誰か!誰かいませんかぁ!助けて!助けて下さい!」
少女は部屋の外へ助けを求める。
赤い瞼を更に赤く腫らして。
ダッダッ!!と慌てて向かってくる足音を聞けばその瞬間に看護婦が横スライド式のドアをズガァン!とかバゴォン!とか擬音語がしそうな程強く――もはや弾き飛ばしている次元で――開けた。
「ど!どうしました!?」
開口一番事態を把握しようとする看護婦。
そのまま少女に近づいて肩をガクガク揺さぶっている。
揺さぶりが余りにも激しすぎて少女の首が危ない感じに曲がっているのだが果たして大丈夫なのか。
少女も驚いていたのかそれとも単純に揺さぶる力が強いのかガクガクと揺すられるがままになっている。
そんな少女の様子に看護婦はそれ程の事態なのかと更に心配と困惑を募らせる。
もしやゴリラかなんかなのではと少年の脳裏に一瞬だけとても失礼な考えがよぎる。
しかし、少年は即時にその思考を破棄した。
なぜならこれ以上看護婦の悪口を考えていたら殴り殺されそうだと思ったからである。
看護婦も少女の首の事態に気がついたのか揺さぶるからそっと、まるで割れ物を扱うかのような手つきに変わり、頭を撫で始めた。
それを見て少年は安堵した。
(よ、良かった…!)
どうやら少女よりは言葉の通じる人が来てくれたようである。
これで漸く全ての誤解が解けるだろう。
しかし少年は一つ忘れている。
そもそもあの茶髪の美人な看護婦みたいな人物はスライド式の頑丈そうなドアをとんでもない威力で開けたではないか。
ここは未知の場所。
話は飛躍するかもしれないが、問答無用で銃器をぶっ放してもきても何ら不思議はない。
そもそも自分はこの病院――のような何か――に攫われてきた可能性まであるのだから。
事情を話したからと言って少年に安全が訪れないこともあるだろう。
実際事態も禄に把握出来ていないのに看護婦の質問に答えられる訳がないし、そもそも看護婦が話を聞いてくない可能性もある。
危険である。
とはいえこのまま事態を放置しても因果応報で巡り巡って何か面倒くさい事になる事も明白だ。
勇気を出して話かける。
「あ、ええとすみません。今、目を覚ましたんですけど何がどうなっているのかわから――」
「――オバ!オオバケケケぇ!オバケが!出たんですぅ!」
少年は対話を試みたのだが少女の鈴の音のように澄んだ声で遮られてしまった。
なんてタイミングで合いの手を入れてくるのだろう。
もはや故意にやっているとしか思えない程完璧に少年の存在は誤解されたと言えよう。
そして少女の言葉を聞いた看護婦の顔は次第に青褪めて行き首を潤滑油を長いこと挿していない機械のようにギギギと少年の方を向いて、少年を見た途端立ちどころに顔色を赤から白、青と変えて百面相をしながら叫んだ。
「ギィィィヤァァァァ!!!?」
少年の受難はまだまだ続く。
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