眼鏡の真実




「だ、旦那さまっ⁉ あのっ、な、なぜここにっ。どうして鳥なんかに姿を?」



「季節の変わり目にはいろいろあるからな。ここには人を惑わす悪戯な妖精も出る。見張ったり監視するのも僕の役目だ。鳥に姿を変えた方が大地をよく見渡せる。惑わされそうになっている者もよく見えるからな」



 それって私のこと………。


 妖精が見えて会話ができるという私の異能はまだサイルーン様に打ち明けていなかった。

 きっと気付かれただろう。旦那さまはどう思うだろう。



「ぁあの、私………ぇえっと。………助けてもらってありがとうございました!」



 私は動揺しつつもお礼をして頭を下げた。



「木の実なんかいらんぞ。もっと用心しないとダメじゃないか」


「ですけどあのときは妖精が……」


「君は妖精が見えて話せるのだな。それであの妖精に何を言われた?」


 旦那さまは私の異能に驚いた様子もなく尋ねた。


「………旦那さまのメガネは触れると呪われる眼鏡だと言うから私、驚いてしまって」


「それは妖精の嘘だ」


「そうでしたか」


 よかった!


 ホッとする私を見て、旦那さまはなぜかムッとしたような顔で言った。


「触れた者に呪いをかけるなんて、そんな危ないものを君に触らせるわけがないだろ。だいたいなんで君を呪わなければならないんだ」


「はぁ。そうですよね」


「冬を呼ぶ眼鏡とはあながち嘘でもないが。この眼鏡はこの季節だけの仕事用だ。これでいろいろ探したり、測ったり、魔法道具のようなものだな」



「へぇ。魔法道具ですか」



 その内容にとても興味をそそられるが、私はそれよりも知りたいことがあった。



「そんなお仕事用の魔法の眼鏡の掛け外しを、なぜ私にさせるのですか?」



「それは………前にも言ったと思うが。僕が僕の思い通りに決めて何か悪いのか? 僕が雇っているのは君とヘンリーの二人だけ。老いたウサギの執事にやってもらうより君の方がいいからだ。他に理由なんてない。……何か不満でも?」


 単なる子供の我が儘のような気もするが、私は黙ったまま首を振った。



「だったらべつにいいじゃないか。今まで通り無愛想でいいから、君は君の仕事を続けてくれ。それから………もう少ししたら雪が降りだす時期もはっきりしてくる予定だ。そしたら街の者たちに教えてやってもいい」



「あ、それ。私、街の人に聞かれたんです。でも答えられなくて。それで旦那さまに尋ねようと思っていて。でもあの………どうしてわかったんですか?」


 なんだかまるで。


「もしかして旦那さま、鳥の姿でどこかから見てたとか?」


 旦那さまの眉がピクリと動き、ほんの一瞬見えた気まずげな表情。そしてプイと私から視線を外したことから察するに、私の言葉は当たっているのだろう。


 旦那さまは魔法使いなのだ。


 姿を変え、こっそりと街の様子を見ることも会話を聞くこともできるはず。



「───なにを言う。そんなことは見なくてもわかる。毎年この時期、街の連中が思うことくらい予想がつくものだ」


 旦那さまは仏頂面のまま私と視線を合せようとせずに答えた。


 素直じゃないですね、と私は心の中で呟きながら頷く。



「そうですか。きっと街の皆さんも喜ぶと思います。私が知らせに行きますね」


「いや、ヘンリーに行かせるよ」


「どうしてですか?」


「街で君が無駄にニコニコと愛想良く接していたら屋敷での仕事に差し支えると思うからだ」



「大丈夫ですよ。私、ちゃんと笑顔を封印できますから。それに私の笑った顔はあまり人様に見せない方がいいみたいなので」



「そんなことはない!」



 旦那さまの大きな声に、私は驚いて首を竦めた。



「あ………いや、大声を出してすまない。 あのな………その、ほら、魔性とか言ってたろ。君の笑顔は断じて魔性の類いじゃない」



「え、でも………」



「最果ての魔法使いが言うんだ、保証する。だから安心して笑顔に………いや、だからと言ってもだな、雇用契約はきちんと守るように」



「はぁ……」



「じゃ、僕はまだいろいろ用があるからな。君は早く帰って夕食の用意でもしていろ。ところで今夜の夕食は何だ?」


「チキンのクリームシチューにする予定ですが」


「ではカボチャ入りで。それから今夜から夕食は皆で食べよう」


「え、なぜですか?」


「たった今僕が決めた。その方がもっと美味いだろうし、温まるはずだから。あ、ヘンリーは迷惑がるだろうな。あいつはニンジンしか喜ばないからな」


 私は笑い出したくなるのを堪えた。


「ほら、早く帰ってヘンリーに伝えておけ」


「はい、承知いたしました。ではお先に失礼します。旦那さまもお気をつけてお帰りくださいね」



 私の返事にサイルーン様は満足そうに頷いたかと思うと、



「それ行け!」


 こう叫び、パチン! と指を鳴らした。


 途端に馬が嘶きをあげ、私は慌てた。



「君がまた悪戯な妖精に引っかからないように、馬に魔法をかけといたからな。屋敷まで馬が駆けることを止めない魔法だ」



「ええッ!───ちょっとそんないきなりッ⁉」



 馬が勢いよく駆け出した。


 私は顔を顰めながら馬上から振り返り───、


 そして驚いた。



 風変わりで偏屈で気難しい、あの北の魔法使いの銀眼鏡の奥に一瞬だけ、確かに見えた細い笑み。


 それはなんとも悪戯めいた、意地悪っぽい微笑だったけれど。


 私の胸にドクンと響いた。



「もう!旦那さまったらッ」



 走り続ける馬上で揺られながら、そのうちになんだか不思議と、私は心が楽しくなるのを感じた。




 見上げると青空の中を、鳥の姿になった魔法使いが翼を広げて気持ちよさそうに飛んでいる。



 私は気付かれないように、そっと微笑んで屋敷へ向かった。



 ♢♢♢



 お屋敷に帰った私はヘンリーさんに領収書を渡しながら、サイルーン様が雪が降りはじめる頃を教えると言っていたことを伝えた。



「その時期がきたら街の人達にも伝えるようにと言ってましたよ。それから今夜から夕食は私たちも一緒に食べるようにと仰ってました」



「ななななななんじゃとぉ⁉」



 ヘンリーさんは赤い眼を見開いて、茫然自失とでも言うような姿で私を見つめていたが、ぶるんと身震いをした後で私に言った。



「わしは遠慮するっ。サイルーン様と食事など、恐ろしくて喉も通らんわい! 食事のときくらい好きなものを好きなだけゆっくりと味わいたいからな。おまえが相手をしてあげたらいいだろう。『夕食を共にする係』となればいい」



「はぁ? なんですかそれ。もう、またそんな勝手な係名付けないでくださいよ。私も辞退します」



「二人して断れば機嫌が悪くなるに決まっているだろ。そもそもわしは人間の作る料理があまり好きではない。腹をこわしたこともあるのじゃ。アリスの料理が不味くて下手だと言っておるのではないぞ。異なる種族における味覚と好物の違いじゃ。だからこればかりは仕方がないのだ」


 ヘンリーさんは「はぁ」とため息をついた。


「……やれやれ。アリスが来てから旦那様は益々ワガママになったような気がするのぅ。では後は頼んだぞ!」


 ヘンリーさんは私から逃げるようにぴょこぴょこ跳ねながら行ってしまった。


「まったくもぅ………」



 旦那さまのワガママを私のせいにしないでほしい。


 少しだけイラっとしてモヤっとした気持ちになりながら。


 私は大きく深呼吸し、自分の仕事に取り掛かった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る