♢笑えない理由


 ♢♢♢



 笑顔でいると同僚に妬まれた。


 お屋敷のご主人の気を引くつもりなのだと陰口を言われた。


 そんなつもりはないのに。


 メイドという職に就いたばかりの頃は、笑顔が苦痛ではなかった。


 寧ろ愛想は良い方だったと思う。


 けれど生まれ故郷を出て別の街に暮らしを移し、雇われたお屋敷で働いていたとき、屋敷の当主にいきなり共寝を迫られた。


 いつも笑顔でいる君がとても気に入ったからと主人は言った。


 妾として別宅に住まわせてもいいとさえ言い出す主人が、正直恐ろしかった。


 主人には妻子もあり、何より主人に対して恋心などという感情は欠片も抱けなかった。


 なんとかその場を回避したが、私を意のままに従わせられなかったことを根に持った主人に疎まれ、契約期限前に解雇された。


 その後もほかの屋敷でも似たような事が幾度かあった。



 どうしてだろう。なぜ………?


 笑顔は魔法だと、人の心を温かくするものだと亡くなった母は言っていたのに。


 そう教えられたのに。


 愛想よく振る舞うと誤解を生み、憎まれる。


(私は………笑わない方がいいんだ)


 笑えば嫌われる。笑うと嫌なことが起こる。怖い思いもする。


 いつしか私は笑うことが怖くなった。素直に笑えなくなった。


 仕事は完璧にこなせても人付き合いは苦手になった。


 たまに見かける妖精たちに惑わされないように意識を保ち、冷静沈着に振る舞うようになった。


 その結果、身についてしまった雰囲気もあってか、無愛想という理由で解雇されたり契約が続かなかったりと、故郷を出てからの二年間、私はメイド勤めを転々としていた。



 けれどそんな『笑顔不信』になってしまった私に転機が訪れたのは三か月と少し前、夏が終わる頃。

 東方の街で暮らしていたとき、失業中で次の職場を探していると変わった条件のメイド募集を役場で見つけ、応募すると採用された。


 それがここ、北の最果て。


 風変わりな魔法使いと白ウサギの執事のいるお屋敷で、雇用条件の一つには〈笑顔を封じること〉があった。


 屋敷の中では無愛想でいるのが丁度いい、たとえお客の前でも笑顔を浮かべる必要はないのだと、サイルーン様は言った。



「僕は愛想の良い女が大嫌いでね。ヘラヘラ笑っている娘より君のように無愛想な子に働いてもらうことを望んでいる。

 今まで雇った奴は薄っぺらい笑顔でろくに仕事をしないで僕に媚を売る子ばかり。中には僕の魔法が目当てだった奴もいたりね。いい加減、笑顔とか愛想とか嫌になったんだ。そういう人間をそばに置きたくないくらいにね。

 だから執事も人語を話せる獣の種族を雇っている。奴らの顔に表情はない、動物なら胡散臭い笑顔を感じる必要がないからな」



 お屋敷の旦那サイルーンさまは笑顔が大嫌いな魔法使いだったけれど。

 そんな訳あり雇用でも、上手く笑うことのできない私に、お屋敷はとても居心地の良い場所になっている。


 それに今まで暮らしていた街よりも不思議と妖精の存在が少なく、お屋敷の中ではまだ一度も妖精を見ていない。


 これって魔法使いの住む邸だから?


 旦那さまが偉大なる魔法使いだからだろうか。


 妖精などを祓えるのは強い力のある魔法使いだけと母も言っていたし。


 祓われるのを恐れて妖精も姿を現さないのかもしれないと思ったり。


 今まで働いた何処のお屋敷よりも、ここは変わってるけれど。


 私はサイルーン様がそれほど恐ろしい人だとは思えなかった。


 何を考えているのか判らないことが多い人だとは思う。


 眼鏡を他人に掛け外しさせるような、変人なのか我が儘なのか判らない部分もあるけれど。


 ───でも。


 用意した食事は残さず綺麗に食べてくれる。


 デザートやケーキや、お菓子が大好きなところが子供みたいだし。


 街人たちが囁くような誤解はなるべく解いて、もう少し評判が良くなるといいのにと、今日は久しぶりに街へ来て改めて思った。



 ♢♢♢



 街からの帰り、再びお屋敷へと続く荒野を前に、私は気を引き締めた。


 帰りも何が起こるか判らない。


「妖精が現れても惑わされないようにしないとね」


 馬にも言い聞かせるように呟いてから歩みを進めていると、霧の妖精から助けてくれたあの灰色の鳥がまた現れた。


 低木に留まり、じっとこちらを見ている。


「あなた、もしかして待っててくれたの? 」


 私は話しかけた。



「もしもまた悪戯な妖精が現れたら追い払ってくれる?」



 冗談半分で言ったつもりが、鳥は答えるように羽ばたくと馬の頭に飛び乗った。


 意外なことに、馬は驚くことも嫌がることもなく平然と歩み始めた。



「驚いた。あなた達知り合い? 」


 そう尋ねたところで返事があるわけでもない。


「………まあ、いいか。お屋敷へ着くまで話し相手になってもらおうかな」


 私は馬を進めながら話を続けた。


「今日街でね、小さな男の子に冬の精霊なの? って聞かれちゃったの。私の髪色が珍しいみたい。それからね、北の魔法使いに魔法をかけられて笑顔を取られたのかって聞かれたわ。もちろん、そんなことありませんって言ったの。………私はね、上手く笑えないだけだから。私、以前働いてたお屋敷でね「おまえの笑顔は魔性だ」って、そう言われたことがあって。それから余計に笑うのが怖くなったの。

 昔のこと、いつまでも気にしてたらダメなんだけどね。でも笑わなくていいって言ってくれるサイルーン様に雇われて、とても良かったと思ってる。でも街での旦那さまの評判、あまりよくない感じだったなぁ。

 恐ろしい人とか思われてるみたいだから、そうじゃないって、もっと伝えたかったけど。私もあまり愛想良く対応できなかったから。今度、街へ来るときはもう少し街の人達とも話してみようかなって思ったわ。それからね、旦那さまのあのメガネ、冬を呼ぶ眼鏡って呼ばれてるんですって。本当かしら。霧の妖精が言ってた触ると呪いがかかる眼鏡よりはずっといいけど。私はね、あの妖精のことなんて信じようとは思わないけど。……でもね、少し怖くなったのは本当よ。旦那様に聞いてみたいけど………。余計なことは聞いてはダメだとか怒られるかなぁ」



「怒りはしない」


「そう? ……って、───えっ?今喋ったのあなた⁉」



 確かに今、声が目の前の鳥から聴こえた。しかも私はその声に覚えがある。



「あ、あなた───そ、その声……」



 まさかそんな!



「君は意外とお喋りなんだな」



 馬が歩みを止めた。


 そしてバサバサと灰色の鳥が馬の頭から羽ばたいたかと思うと、あっという間にその姿は人へと変わった。



 琥珀色の髪と、銀縁の眼鏡で遮ってしまうのがもったいないくらいに美しい黄緑色の瞳が私を見つめていた。



 風変わりで気難しくて偏屈などと言われてはいるが、その風貌は玲瓏で人を惹きつける魅力に満ちていて───。



 目の前に、北の最果ての魔法使いが立っていた。





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