♢噂と眼鏡と過去の出来事




 私はいつも人々から好奇な眼差しを向けられる。


 この街でも。


 どうやら私の髪色がとても珍しいようだ。


 私は気にせず馬を進め、ヘンリーさんに頼まれた買い物を済ませてから果物が並ぶ商店を目指した。



 ♢♢♢



「こんにちは。林檎を六個ください」



 旦那さまが注文したデザートのほかにジャムも作ろうと思い、私は林檎を多めに買った。



「領収くださいね」



 老婦人の店主は頷き、少し待つようにと言って店の奥へ引っ込んだ。



 そのとき、何やら外套の裾をクイクイと引っ張られた。


 見ると小さな男の子が不思議そうに私を見上げていた。



「ねぇ、お姉さんは雪の国から来た精霊の一族なの?」



「は⁉」



「僕が読んだおとぎ話の本に書いてあったの。冬になると冷たい風の精霊と雪の精霊が来るって。精霊は人の姿になったり、白銀の狼の姿にもなるって聞いたけど本当?」



(お、狼!)



「あ、でもね、雪の国の女王さまもお姉さんと同じ銀色の髪だって聞いたよ」



(……うん、狼より女王さまのがいいなぁ)



「それからさ、それから……」



 男の子は、まん丸な茶色の目をじっとこちらに向けながら言葉を続けた。



「あのさ、お姉さんは恐ろしい北の魔法使いに魔法をかけられたから笑えなくなったってホント? それから、最果てには聖なる樹が本当にあるの? 北樹は眩い白銀ってほんと? ねぇ、雪がいつ頃降るのか知ってる?」



「……え 、っと。あのね………」



 私が答えを返そうとしたときだった。



「ジョニー⁉ こっちへ来なさいッ!」



 金切り声と共に一人の女性が慌てて近付き、目の前の男の子を抱き寄せた。



「ママ!」



「坊やったら一人でフラフラとっ、近付いてはダメと言ったでしょ‼」


「でもママ」



 近付いてはダメ……って。


 私ってそんなに恐ろしい者だと思われているのだろうか。



「いいからこっちへ来て! あ……あのっ、も、申し訳ございません! この子が何か無礼をしたのでしょうか………あ、あの……」


 男の子の母親は青ざめた顔で動揺していた。



「だってママ、お姉さんの髪とっても綺麗なんだもの。いろいろお話してみたくて」



「ああ、ジョニー。申し訳ございませんっ、お許しくださいっ。どうか銀樹の旦那さまには」



『銀樹の旦那さま』とはサイルーン様の呼び名でもある。



「なにも………」



 ひどく怯えた様子の母親に、私は静かに言った。



「その坊やは何も悪いことはしてません。その子を叱らないでください」



 私は屈み、男の子と同じ目線になって話した。



「あのね、私は精霊の一族でもなんでもない、ただのお屋敷のメイドだよ。

 それから私が仕えてる北のお屋敷の魔法使いはそんなに恐ろしい人じゃないよ。髪を褒めてくれてありがとうね」



「うん、お姉さん笑えるんだね。よかった!」



「さあ、ジョニー。帰りましょう」



 母親は子供の手を引き、逃げるように立ち去った。


 気付けばいつの間にか野次馬に囲まれていた。



 ───何の騒ぎ?



 ───ほら、あの娘よ。



 ───ああ、最果てのお屋敷の?



 ───あんな偏屈で風変わりな魔法使いによく仕えてるねぇ。きっとあの娘も変わり者に違いないさ。


 ───魔法使いを怒らせると変な呪いをかけられるらしいぞ、気をつけなけりゃ。


 ───あの娘にも用心したほうがいい。なにせ髪が銀色だ。災いを招く色と言われてるからな。



 ざわつく気配の中で囁き合う声が、私の耳を掠めた。


 そんな中、いつの間にか店の奥から領収書を持って出て来ていた店主が話しかけてきた。



「あんたあんな顔もできるんだ」



 女店主は驚いた様子で言った。



 あんな顔、というのはさっき男の子と話すうちに笑顔になっていた顔のことだろうかと私が考えていると。



「あんたは笑顔になるのが不器用なだけで笑顔を忘れたわけじゃないんだね。もしかして笑顔が嫌いなのかい?」



 店主が尋ねた。



「嫌いではありませんが。上手く笑うことができないだけです」



「ふうん、そうなんだ。それよりさ、私もあの男の子と同じで今年はいつ頃雪が降るのか知りたいんだがね、銀樹の旦那は何か言ってないのかい?」


「何かとは?」


「毎年今頃の季節になるとあの方は決まって眼鏡をかける。そうすると吹く風が冷たく変わってくるんだ。だから街の者は皆、あれを『冬を呼ぶ眼鏡』って呼んでる。北の魔法使いが眼鏡をかけるとそろそろ冬なんだなぁと思うわけさ」



「そうでしたか。でもすみません、私なにも知らないので」



「そうかい。まぁ、いいよ。もし判ったら知らせてもらえるとありがたいんだがねぇ。私だけじゃない、ここで暮らす者なら誰でも知りたいことさ。冬支度するのにいろいろと準備もあるからね」


「わかりました」


 私は店主から領収書と林檎の入った包みを受け取り店を後にした。



 ♢♢♢



『冬を呼ぶ眼鏡』か。


 それとも〈触れると呪われる眼鏡〉なのか。



 冬を呼ぶ眼鏡の方がいいに決まってる。



 それにしても、いろんな噂されてるんだなぁ。



 あの男の子の母親はサイルーン様のことをとても怖がっていたように思う。



 私は旦那さまに魔法をかけられた覚えはない。


 笑顔だって笑いたいときは笑うし、必要ないときは笑わないだけ。


 無愛想にも本当はちゃんと理由があるのだが。


 でもそんなこと、わざわざ街の者たちに説明する気などなかった。


 雇用条件が合っていたから、私はあのお屋敷を紹介してもらい、運良く採用されただけなのだ。



 私の髪色は生まれつきの色だ。

 母は栗色の髪で、私の銀髪は父親譲りだと母は言っていた。


 父は私が生まれてまもなく事故で亡くなったと聞いている。


 私は自分のような銀髪の人をまだ見たことがない。


 以前働いていた東方の街にも、それ以前に働いていた南部の街でも。それよりももっと昔、子供の頃に住んでいたところでも、銀髪の人はいなかった。


 確かに珍しいにしても、災いを招くなんて今まで言われたことはなかった。


 幼い頃は髪色より私の態度や行動を不気味がる人が多かったのだ。


 人には見えることのない妖精や魔性のある妖霊の類い。それらが悪戯に起こす怪現象など。幼い頃は皆が同じように見えるのだと思っていた。だから、妖精があそこにいるとか、妖精が話していた内容などを言ってしまうときがあった。


 その結果、周りの子供たちには嘘つきだと言われ、いじめられたりもした。

 そして大人たちからは気味が悪いと言われた。


 それでも母はいつも私の味方だった。妖精が見え、その声が聴こえることは悪いことじゃないと言ってくれた。


 けれどそういう異能を好まず、受け入れない人間が多いことも現実だと母は言った。


 私は幼いながらも、異能はなるべく隠して生きていく方がいいのだと感じるようになった。


 裕福ではなかったけれど、いつも笑顔で楽天家な母との暮らしは楽しくて幸せだった。


 母は裁縫の腕が良く、貴族御用達の衣装店で働きながら私を育ててくれた。


 ───アリスの笑顔が大好きよ。笑顔はね、人の心を温める魔法なのよ。


 だから笑顔を絶やさずに生きてほしい。───が口癖だった母は二年前、私が十八歳のときに病で亡くなった。


 その頃、私は母が働いていた店主の紹介で、貴族邸のメイドとして働いていたのだが。


 母の死に気持ちが沈む日々が続いた。


 大切な人を失って、心に大きな穴があいたような感じだった。


 気持ちが落ち込むと決まって何処からか意地悪な妖精が現れて、弱った心の隙間に入り込み話しかけてくる。


 妖精が見えても無関心でいること。


 母は言っていた。


 こちらが好奇心を向ければ彼らも同じように好奇心を向けてくる。


 妖精の中には人間が好きで優しく、好意的な妖精たちもいるけれど。

 そうでない妖精もいる。

 性質は種族よって様々で、妖力や魔力の強い妖精もいる。


 悪意を持ち、人間に取り憑いて不幸にする妖精もいるのだ。

 あまり馴れ合うことのないように。


 取り憑かれても祓うことができるのは、特別な力のある魔法使いだけだと、そう母に言われていたのに。


 母を亡くした頃の私は寂しくてつい、妖精の呼びかけに応えてしまったのだ。


 小さくて可愛らしい姿だったその妖精は、とても優しい声と言葉で私を励まそうと話しかけてくれた。


 私は嬉しくなり、妖精と親しくなれたと思っていた。


 けれど妖精の目的は私を困らせて愉しむことだった。


 数日後、ある日を境に働いていたお屋敷で問題が起き始めた。


 物が壊れたり紛失したり。


 食器に鏡、衣装部屋が荒らされたような状態になったり。


 そしてそれは決まって私の身近で起こった。


 私が片付けた物が破損して見つかったり、紛失したり。私が掃除したばかりの場所がすぐに汚れていたり。


 私がお屋敷の中で担当していた仕事の場所や内容や時間帯に問題が起こるようになったのだ。


 お屋敷で働いていたメイドは私以外にもいたけれど。


 疑われるのは私だけ。


 私は何もしていないのに。


 誰も私を信じようとせず、職場の雰囲気も私の評判も悪くなっていった。


 そしてあるとき、私は気付いた。


 叱られていた私を見て愉しそうに笑う妖精の姿を。



 全てはあの妖精が起こしたイタズラだったのだ。


 けれど妖精のことを話しても、誰も信じるはずがない……。嘘つきだと言われて不気味がられるだけ。


 私は何も言えなかった。


 それから私は自分が解雇されるかもしれないという噂を聞き、そうなる前に自らお屋敷のメイドを辞めた。


 あの妖精はいつのまにか姿を見せなくなった。私を陥れて満足したのかもしれない。


 悔しかったが私は忘れることにした。


 母に言われたことを守らなかったせいで妖精に遊ばれたのだ。


 もう二度とこんなことのないようにしなければと誓ったが、生まれ育った場所は小さな街だったので、お屋敷のメイドを辞めた私のことを、あれこれと噂する者は多かった。


 結局、次の仕事を見つけることが難しくなり、私は母と暮らした街を出る決心をした。



 他所の街でも仕事はメイドを続けた。


 妖精が見えても絶対に関わらないと心に決め、私は仕事に励んだ。


 けれど───、




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