♢街へ林檎を買いに

 ♢♢♢


 魔法や妖精、精霊たちと繋がりをもつこの世界の四方の果てに。


 四人の魔法使いが住んでいた。


《最果て》とも言われる辺境で、魔法使いは支柱樹と呼ばれる〈世界を支える四本の大樹〉を守護する役目を担っているのだと伝えられていた。


 東樹、西樹、南樹。

 そしてここは北樹のある北の最果て。


 辺境の地。


 北樹を護る偉大なる魔法使いの名はサイルーン。


 琥珀色の艶やかな髪と黄緑色の瞳。


 玲瓏たるその容姿に目を奪われる者は多いのだが。



 笑顔を浮かべることのない魔法使いは『風変わりで気難しくて偏屈な男』という評判で。


 広い屋敷には白ウサギの執事と、美しい銀色の髪と空色の瞳のメイドが一人だけ、彼に仕えていた。



 ♢♢♢



 屋敷から馬を一時間ほど走らせれば街に着くのだが《北の最果て》と呼ばれているだけあって、街までの道中は民家も畑も何もない荒野が続く。


 頬を撫でる風の冷たさに、秋の終わりを感じた。


 北の大地は冬を支配する精霊たちが真っ先に降り立つところ。


 魔法使いによって【四季の扉】が開かれると精霊たちも交代し、季節は変わる。



 冬の扉は北の魔法使いサイルーンが管理しているのだと言われていた。



 季節の扉が開けられる日は四人の魔法使いたちの間で定めてあるそうだから、それがいつなのかは誰も知らないのだけれど。



 ヘンリーさんの話では、まだ冬の扉は開けられていないそうなので。



 今のうちにいろいろと冬支度を進めておかなければと私は思った。



 今はちょうど、季節の境目の時期だと言っていいだろう。


 境目の頃はいろいろと不安定になる。


 晴れていたのに急に曇り、雨になったり。


 季節風が暴れたり。



 天候だけではない、季節が変わる境目期間には気をつけなければならない事がたくさんある。



 ───たとえば、何もない荒野に何かが現れたりすることも……。



 早々に、馬を走らせる横から何やら白く霞んだものが靡いた。



「あら、お屋敷の〈笑わないアリス嬢〉今日はどちらへお出かけ~?」



 この辺りでは悪戯好きで有名な霧の妖精の声が私の耳をくすぐった。



「ねーねー、どこ行くの? どこ行くの~?」



 妖精の声にはやたらに言葉を返してはいけない。



 私は無視を決め込んだ。



「ちぇっ。教えてくれたっていいじゃんか。相変わらず可愛くない子だね!それに人間のくせにあたし達の声が聴こえるだなんて。おまえ、何者だい?」



 幼女のようなソプラノの声と一緒に、霞のようなもやのような白い塊がくねくねと、まるで蛇のように長細く形を変えながら飛び回る。


 邪魔だけれど、ここで馬を止めてはならない。



 悪戯好きの妖精の誘いに乗ってしまったら簡単には戻れなくなる。


 迷宮へ誘い込まれ、進むことも後戻りもできずに迷子になってしまうことがあるのだ。



「フン! そうやってツンツンすましていられるのも今だけさ」


 妖精がクスッと笑ったような気がした。


「北の魔法使いが眼鏡を掛けはじめたね。───ねぇ、笑わないアリス。あの眼鏡の秘密、知りたくないかい? 教えてあげようか?」



 妖精の言葉に、心が半分持っていかれそうになり私は慌てた。


「うふふ。本当は知りたいンだろ?」


 私は無言で馬の腹を蹴り、行く手を邪魔しようとする白い霧の妖精を振り払うように、駆ける速度を早めた。



「フフ、あの眼鏡は魔法の眼鏡さ。魔法使い以外の者が触るとどうなると思う?」


 妖精の囁きがとても近くに聴こえて、思わず耳を塞ぎたくなる衝動にかられるが、手綱を持つ手を離すわけにはいかない。



(冷静に………冷静に!)


 私は心の中で強く自分に言い聞かせながら前を見据えた。



「笑わないアリス、耳を塞がなくていいのかい? じゃあ教えてあげるよ。あのねぇ、魔法使い以外の者があの眼鏡に触れるとね、呪いがかかるのさ!」



「のろいッ……⁉」



 唇から漏れた自分の声におもわず息を呑む。



(しまった!)



 掠れていても声は声。妖精の言葉に応えたことに私は後悔した。



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