主人も執事も風変り




 朝食の支度を整えてから、私はお屋敷の当主である旦那さまに声をかけにいく。



 寝室の前でまずノック。



「……どうぞ」



 大概、返事がある。


 いつも決まった時間帯のせいか、旦那さまは目覚めていることが多い。



「失礼致します。おはようございます、旦那さま」



 部屋へ入ってまず最初に、私は大きなカーテンを開け、部屋の中を朝の光で満たす。



「ん~……」



 旦那さまはベッドの中からため息混じりの眠そうな声を出した。



 どうやら今朝は目覚めたばかりのようだ。



「朝食のご用意が整いました」



「ああ、では眼鏡を」



「はい」



 私は静かに歩み寄り、ベッドの脇の小さな丸テーブルの上に置かれた旦那さまの眼鏡を手に取る。



 細い銀色フレームの眼鏡だ。



 そしてベッドの中に身を沈めたまま、ぼんやりと視線を天蓋へと向けている旦那さまに声をかける。



「では旦那さま」



 返事はないが、旦那さまが目を閉じるのが合図だ。



 かなり緊張する瞬間なので、目を閉じてもらえるのはありがたい。



「失礼致します」



 私はゆっくりと眼鏡を旦那さまの顔へと近付ける。



 最初の頃は手が震えて、正確な位置に掛けてあげるのが本当に難しかった。



 左右の耳上に掛ける眼鏡の部位の先端の位置を的確に定めないと、掛けたとき鼻の頭にブリッジなどがしっかり当たらない。



 これが慣れるまで結構大変だった。



 そのうえ就寝前には外してあげなければならない。



───なんだって私がこんなこと………。

 眼鏡くらい自分でかけなさいよ。どうせ顔を洗うのにすぐに外すくせに。



 どうしてこんなことをやらせるのだろうと何度思ったことか。



 なぜなのかと訊いてはみても「僕が決めたことだから」という返事でおしまい。



 雇われている以上、旦那さまの命令は絶対なので、口ごたえせずに慣れるしかなかった。



 こんな変な仕事でもなんとか二週間でマスターした私は、正確にそして丁寧に尚且つ敏捷に。そして優しく。



 朝晩、慣れた手つきで 旦那さまの眼鏡の掛け外しができるようになった。



「………ふむ」



 眼鏡を着けた後の旦那さまは短く息を吐くと、もぞもぞと起き上がる。



「おはよう、アリス。始まりの朝をありがとう」



 毎朝決まったお言葉の次に、私を見つめながら旦那さまは言う。



「うん、今朝も実にいい無愛想っぷりだな、アリス。その無表情が素晴らしい」



 愛想がない。とよく言われる私の表情を旦那さまは褒める。



 そんな旦那さまだっていつも無愛想で無表情で不機嫌なところがあって、私といい勝負な気がする。



「さてアリス。今日は朝食の後出掛ける予定がある。帰りは夕方になるから昼食はいらない」



「はい、かしこまりました」



「ああそうだ、アリス。たまには林檎が食べたいな」



「リンゴ、ですか。では焼き林檎にしましょうか、それともコンポートがよろしいですか?」



「そうだな、夕食後のデザートに白ワインで煮た林檎にマスカルポーネを添えたのが食べたい。熱々のやつを夕食後のデザートで」



「はい、承知致しました」



 さっそく林檎を買いに街へ行かなければ。



 私は一礼し、寝室を後にした。




 ♢♢♢




「おーい、アリス!アリス・マーリェント!」




 午前の雑務を早々に済ませてから、街へ林檎を買いに出掛けようとした私は、厩舎の前で執事のヘンリーさんに呼び止められた。



「アリス・マーリェント。街へ行くならついでに頼まれてくれ」



 私のフルネームを呼びながら、ぴょこん ぴょこん! ───と、人とは違う歩き方のヘンリーさんは白ウサギだ。


 見た目は兎。けれど仕立ての良い服を着て言葉を話す不思議な獣人けものびと


 私よりずっと小さいが、私よりずっと長くお屋敷に仕えているそうだ。



「ふう。やれやれ、間に合ってよかったわい」



 たいした距離ではないのに高齢なせいか、息をきらしてやってきたヘンリーさんに私は訊いた。



「何ですか? 頼まれ事って」



「足りない備品が少しあってな。品物を書いたメモを渡すから、ついでに買ってきておくれ」


 ほれ。と言ってヘンリーさんは私にメモとお金を渡す。


「領収書を忘れるでないぞ」


「はい。……あの、ヘンリーさん一つ訊きますが。旦那様はなぜ急に眼鏡を? 視力が悪かったのですか?」



「………そ、そんなことはおまえなんぞが知らぬでもよい話じゃ!」

 


「でもヘンリーさん。あの人本当に魔法使いなんですか?」



 私の言葉にヘンリーさんは飛び跳ねながら怒った口調で言った。



「何を言うのじゃ! 決まっておるじゃないか。言葉に気をつけるのじゃ! サイルーン様はああ見えて恐ろしいところもあるお方なのだぞ!」



〔北の魔法使い・サイルーン〕は風変わり。



 気難しくて偏屈だという噂はあるけれど。



「旦那さまは風変わりで気難しいと聞いてますけど。恐ろしいって、まだあまり実感がないですね」



「そんなこと言っておると後で痛い目をみるぞ! ここで長く働きたければ、くれぐれも旦那さまの怒りを買わないことじゃ」



「はぁ………」



 ヘンリーさんはその痛い目とやらに合ったのだろうか。



「眼鏡くらい子供じゃあるまいし。旦那さまがご自分でなさればいいと思いますけどね」



 しれっと言った私の態度が気に入らなかったのか、ヘンリーさんは苛々した様子で飛び跳ねながら言った。



「こんの~っ、メイドの分際で!つべこべ言わずに言う通りにせんかい!あー、もうっ。忙しいぞ、忙しいノダ〜!」



 怒りながらくるりと背を向けて、ぴょこぴょこと屋敷の方へ戻って行く。



 私はそんなヘンリーさんの後ろ姿を見つめながら小さく息を吐いた。


 眼鏡係などという、ふざけた役目が私にはどうしても理解できない。


 けれど自分の雇い主でもあり、お屋敷の当主でもあるサイルーン様の命令に背くことはできない。



 お屋敷へ雇われて三か月が経ち、ようやく仕事にも慣れた。



 ここへ雇われる前は訳あって幾つものお屋敷を転々とした。



 あんな経験はもう御免だ。



「仕方ないなァ」



 ここでの暮らしは自分に合っていると思う。



 主人も執事も風変わり。そしてこの場所も辺鄙なところだけれど。



 自分もある意味『変わり者』なのだから、居心地が悪くないのかもしれない……。


 などと考えながら、私は馬に跨り街へと向かった。






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