別れと証明

 日が昇る直前のまだ薄暗い駅のホームは、人が全ていなくなった終末の世界のように静かだった。灰色のホームの端で、私たちは電車を待った。

 行く先は決まっていなかった。二人だけで、ただ何処どこか遠くへ。無名の女の子になる為の長い長い旅路。私たちのレールはどこまで続いていくんだろう。どこまで逃げることができるんだろう。ふと、未来は空っぽで、目の前のホームの端が断崖絶壁だんがいぜっぺきのように見えた。不安に押し潰されて、その場にうずくまってしまいそうだった。

「レナ…きっと大丈夫だよ…」

 アンが微笑んで私の手を握ってくれた。



 その時、私たちに向かってくる足音が聞こえてきた。

 いつかやって来るだろうと覚悟していた。ただ逃げ続ける事はできないと。見捨ててしまった女の子と、決着をつけなきゃいけない時が来る事を。


「行かないで……レナ…」


 ゆっくりとこちらに歩いてくるユイの姿があった。

 立ち止まったユイは、まっすぐ私を見つめた。寂しそうな目をしていた。


 私は今までずっと単独で命令に従ってきた。でも今回初めて別のドールとペアを組むことになった。それがユイだった。

 彼女が私の監視役だという事は薄々気づいてはいた。私が使い物にならなくなったら、彼女が私を狩るのだという事も。きっと私がこうなってしまう事を、どこか予想していたんだと思う。


 ユイがポケットから真っ黒なバタフライナイフを取り出した。そして持ち手をギュッと握りしめた。覚悟をもった眼差まなざしを私に向けた。大人しい彼女が初めてみせる顔だった。

 ナイフの刃を出す小さな金属音を聞いて、ユイがドールとしてのスイッチを入れた事を私は感じた。

「アン、下がって…」

 私はバッグを持ったアンを後ろに下がらせ、ユイに向かって一歩踏み出した。


「ごめんね、ユイ」

「レナ…戻ってきて……」


 私は右手の拳に力を込めた。そして脳が体にかけているリミッターを徐々に外していった。腕が小刻みに震え、湿しめった木が割れるようなミシミシという音がし始めた。

 多分、私はユイに勝てる。道具を使う子は経験が浅いドールだから。それにきっとユイは同族を殺した事はない。人の命を奪った事も、おそらく…。


 その時、私は気がついた。ユイは一人の女の子の目をしていた。かつて私が未来を奪ってきた沢山の仲間達と同じ目をしていた。

 ユイの瞳から涙が溢れ始めた。

「行かないで…寂しいよ…レナ……私にもっと…友達の作り方…教えて欲しいよ……」


 私は右腕にかけていた力を抜いた。

 そしてアンに向かって振り返り、言った。

「ごめんね、アン。私やっぱり行けないよ」

「レナ…」


 私はユイに近づいていった。彼女は動かず、ただじっとしていた。そっと抱きしめた。その手からナイフが滑り落ちた。鋭い氷が割れるような音が、朝の澄んだ空気の中に響いた。

 ユイも私と同じ、そしてみんなと同じ。人形じゃない。人間なんだ。


 ホームに電車が到着した。私はユイに言った。

「お願いがあるの」

「なに…?」

「アンを守ってほしい。二人で逃げてほしい…」

「レナは…一緒じゃないの?」

「私は、一緒には行けない」

「どうして…」

「やらなきゃいけない事があるから…」


 ユイの目を見て思った。私たちのような存在を、もうこれ以上作ってはいけないと。その為に私に出来ることをしようと。奪ってきた沢山の仲間の命に対するつぐないの為にも。

 逃げる道ではなく、助ける道に進まなきゃいけないと、私は思った。


 ユイの両肩に手を置き、目を見ながら言った。

「ねえユイ、約束して。誰にも見つからない、どこか遠くへ行くって…」

「嫌だよ…レナ…一緒がいい……」

「私より、ずっとずっと強く生きるって約束して…」

「嫌だ…」

 ユイが私の胸に顔をうずめてきた。その小さな頭を私はずっと撫で続けた。


 発車を告げるベルがホームに響いた。

「行って…」

 私はアンに向かって言った。

 アンは私の目を見ると、小さくうなずいた。そしてユイの手を取り、電車に乗ってくれた。


 扉が閉まる直前、ユイが言ってくれた。

「大好きだよ…レナ」

「ありがと…」

 私は精一杯の笑顔を二人に見せた。


 電車がゆっくりと動き出した。

 私たちは手を振らなかった。


 二人を乗せた列車が小さくなっていく。暖かな光。朝日が昇ってきた。

 さようなら、私の初恋。



 私はユイのバタフライナイフを拾い、ポケットにしまって歩き出した。




 私はもう誰も傷付けなかった。

 ユイのナイフで自分を傷付けた。

 私たちがドールであることの証明、その再生能力を世の中に見せる為に。


 メディアを通し、人々に向かって、私は発信し続けた。ドールという存在を。

 私たちのような存在を、もうこれ以上作らせない為に、私が考えた私にしかできない事。


 でも目立てば目立つほど、私は追い詰められていった。私たちを作った人間達によって、私の言葉は少しづつ握り潰されていった。

 自分には世の中を変える力があると思っていた。でも私もやっぱりただの一人の女の子だった。それでも私を変えてくれた二人の子のことを想えば、勇気が湧いた。痛みにも耐えられた。私は戦い続けた。




 薄れていく意識の中で、アンとユイの事を想った。うまく逃げられただろうか。時間稼ぎはきっとできたはず。


 私は、二人の名前を呼んだ。


 アン。私が好きになった女の子。

 ユイ。私を好きなってくれた女の子。


 私は初めて自分の『コア』を見た。倒れたすぐ目の前の地面に落ちていたそれは、くだけてバラバラになってしまっていたけれど、みんなと同じ赤い色をしていた。涙でにじんで、キラキラと輝いて見えた。


 私はゆっくり目を閉じ、深い眠りへと落ちていった。

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十七歳のドール 倉田京 @kuratakyou

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