第58話君は誰2

 だらりと力を失った深紅を抱き締めたまま、クロは助けようとする王妃や騎士達を威嚇した。




「寄るな!」


「クロ、助けたいだけだ。早く手当てをしないとその子は」


「黙れ!」




 まるで聞く耳を持たず、守るように周りから彼女を遠ざけようとするクロに、王妃は苦い表情で手を振り上げた。




「目を覚ませ、ネーデル!」




 パァン、と頬を打たれ、クロは僅かに呆然とし、それからギッと王妃を睨んだ。




 緩んだクロの手から、命ぜられた騎士が意識の無い深紅を奪うようにして抱き上げ運ぶ。




「触るな!」




 追いすがるクロの首に、ひたりと剣が突き付けられる。




「クロ……いや、ネーデルファウスト。深紅を治療するためだ。落ち着け」




 ふうふうと肩で息をし、焦燥と耐え難い不安に視線をさ迷わすネーデルファウストを王妃は冷静に見つめる。




「私はね、アテナリア王家に伝わる秘密として、お前のことを知っていたよ。お前が深紅に執着するのは、300年も封じられた時間の反動だろう?気の遠くなるほどに、お前は一人でいたのだから。差し出された手は、どんなに嬉しかっただろうか。拠り所だったのだろう?深紅が」




 建物の陰で、竜の真空の刃によって深く傷付いた背を、医者と数人の助手らしき者によって手当てされる深紅を目で追っていたクロは、ぼんやりと王妃に目を向けた。




「深紅を助けたいなら力を貸しなさい、ネーデルファウスト。お前は魔族であってそうでない者。その特殊な力をもってできることがあるはずよ」




「………力」


「そう」




 ちらりと王妃は彼の背後に目を向ける。




 まだ終わっていない。


 二匹倒して、あと一匹というところで更に新たな竜が現れたのだ。しかもそれは、他の竜の倍はある巨大なものだった。




 咆哮を上げて、家屋を粉々に破壊し暴れている。翼を一振りしただけで、人が幾人も吹き飛ばされる。




 以前討伐に向かった時は、木々の生い茂る中で複数の竜に挟み撃ちにあった。半数の死者を出しながら生き延びた王妃だが、その時は混乱で、大きさなどを見比べる余裕は無かった。




 だが、これは……




 小さい方は仔で、大きい方が成竜なら厄介だ。全てが家族だと考えるなら繁殖している可能性が高い。それに…




 轟音と共に破壊された家屋が二人の辺りに破片となって降り注ぐ。




「王妃様!ご無礼を!」




 騎士が二人被さるようにして、身を挺して王妃を守る。木片を腕で防ぎ、砂を吸い込まないように息を止める。砂埃に目を閉じた王妃が再び目を開けた時、ネーデルファウストはそれを気にもせずに立ち上がっていた。




「力…そうだ」




 強風に靡く短い黒髪から、金の瞳が覗く。掠り傷を負った騎士達と王妃は、その瞳が、さっきよりも生気を取り戻しているのを見て取った。




「聖女様!」




 手当てをしていた医者達が、顔色悪く目を固く閉じた深紅に声を掛けている。


 傷を確認した王妃には、彼女の命が長くはもたないのがわかっていた。




 今、深紅以外で治癒を使える者は、ここには誰もいない。


 聖女の術無しで、あの竜を全て倒すことは難しい。彼女が死ねば、目の前の魔族も共闘を期待できない。




 だから、王家に伝わっていた話が本当なら、この魔族に彼女を救う術を模索してもらうのが妥当だ。




「深紅…」




 彼女を見つめ、苦しげに名を呟いたネーデルファウストが、魔力の爪を自らの腕にいきなり突き刺した。




「ネーデル!」


「…うぐ、あ」




 腕から流れる血を、だらだらと地面に染み込ませた彼は、痛みに息を詰めて血溜まりに膝を付いた。




 そして、傷付けた腕を血溜まりの中心にあてがい、詠唱を唱え始めた。




「……我が血をもって、その扉を開かん」




 予想していたとはいえ、その痛々しい情景に18年前に白亜が為したことを思い出し、王妃は軽い吐き気が込み上げるのを鳩尾を押さえて堪えた。




 見届けようと決めていたので、王妃は目を反らすことはしなかった。




「出でよ、ギールバゼアレント」




 血溜まりに浮かび上がる赤い魔法陣。


 ひとまわり拡大したその中から、一人の青年の姿が浮かび上がる。




「………全く、どうしてこんな方法を使っちゃうんですか」




 ネーデルファウストの様子に、眉を上げた青年が血塗れの腕を取る。




「俺はいい!」




 そう言って手を振り払った彼に眉間に皺を寄せたが、視線に気付くと近くの王妃達に目を向けた。そして興味無さげな表情をすると、腕を隠すネーデルファウストを再び見ている。




「帰って来ないと思ったら、何です?」


「ギル、深紅を助けろ」




 魔族特有の傷の治りの速さがあっても、痛いものは痛い。




「誰?」




 呑気そうに聞いてくるギルの襟首を片手で掴み、痛みと焦りで苛立つ彼が怒鳴る。




「わかってんだよ!ずっと見てたんだろうが!早く深紅を助けろ!早くしないと、その耳引きちぎる!」




「ああ、はいはい」




 片手を腹に回してネーデルを持ち上げたギルが、深紅に近付く。




 背中の怪我を確認したギルが、わざと恭しく言った。




「仰せのままに、我が君」

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