第57話君は誰

 呆気に取られる騎士達と笑い転げる王妃様も目に入らず、魔力を足元に纏わせたクロが空中に浮遊する。




「おら!掛かってこいよ!」




 挑発しながら、自分から向かって行くクロ。


 竜が翼をはためかせると真空の刃が、クロに襲い掛かる。


 微かな空気の震えとブレを頼りに見えない刃をひらりとかわし、風圧を上空高く飛んで回避すると、素早く回り込み竜の背に着地した。




「俺の楽しみを返せ!」




 恨みを吐き捨てながら、魔力の爪で竜の片翼を切断する。




「ピギャアアア」




 悲鳴を上げながら、錐揉み状態で落下を始めたのを見て結界の詠唱を唱えようとしたが間に合わない。




 地面に激突する前に、クロが竜から離れる。


 ドオオオン、と地面が衝撃で揺れる。翼から血を滴らせた竜が高い鳴き声を上げ、脚を使ってわさわさと這った。




「逃げるのか?」




 街路樹を薙ぎ倒し、住居の壁やら屋根やらを破壊しながら素早く移動するのを近くの屋根の上から冷たく見ていたクロが、飛び降りたと思ったら、竜の前に立ちはだかる。




「イチャイチャを返せ!甘々を返せ!」


「うああ、狂ったワンコだ」




「さすがイヌね、欲望に正直だこと。私と一緒ね、うふふ」




 王妃様のよくわからない感想に、羞恥でいたたまれず私は泣きそうになった。本当は顔を覆いたかったが、それはできない。


 クロと一匹の竜が対峙している所から少し離れた農園で、もう一匹がお食事中だった。




 くるんだ袋ごと桃を幾つも口に放り込み、鉤爪で樹を傷付け折りながら、葡萄を頬ばる。




 豪快だけど、果物を手塩に掛けて育てた農家さんが可哀想だ。


 それに、これは国の重要な輸出品の損害なのだ。




「巻き込まれて民の死者も出ている。情けをかけることはできない」




 王妃様の言葉に促されるように、拘束の詠唱を私は唱え出した。




 もう一匹の竜は、クロに立ちはだかれて咆哮を上げて鉤爪を繰り出した。それをクロの魔力の爪が防ぐ。


 吹き飛ばそうと強風で煽るが、魔力を盾のように展開したクロには効かない。




 竜はダメージをものともせず、クロを巨体で押し潰そうと走り出した。向かって来る竜を見て、魔力の爪を胸の前でクロが斜めに構える。


 ぐっと足に力を込めると、踏まれる直後に身を低くして体を巨体の下に滑らせた。




「…っ!」




 クロ!




 竜がピタリと動かなくなったと思ったら、ゆっくりと体を傾けた。竜の下からクロが跳びすさった直後に真っ二つに裂かれた巨体から血飛沫があがる。




 エグい!


 そしてクロが強い。




 狂犬の無事だけを確認した私は、もう一匹に拘束の術を掛けるべく仕上げの詠唱を放とうとした。




「しば」




 背後から風が吹き抜けた。なぜか言葉が途切れて息が詰まる。




「深紅!」




 傍の王妃様が、剣で鉤爪を防いだと思ったら吹き飛ばされていくのを私は見た。




 あ、あれ?




 いつの間にか地面に俯せに倒れていた私は、言葉も発せず、体も動かせない。


 力がどんどん抜けて、いやに眠たい。




 足音が聴こえた気がした。


 ズサッ、と地面に膝を付いて私の上に影を作った者が、私を抱き上げて仰向けにする。




「……く…」




 夕焼けが闇に変わる。


 その闇を背負い、綺麗な顔をくしゃりと歪めたクロが呼吸と、私を支える指先すら震わせている。




 その指先がぬるりと滑るのを、落とすまいとクロが深く抱き締める。




「深紅、ダメだ!意識を、意識を保て……っ、は、早く治癒を!」




 ボタボタと私の背中を流れる液体に、それが血だとようやく気付いた。




「もう一匹いるぞ!」




 周りの人達が、慌ただしく動いているが、クロと私だけは時が凍りついたようだった。




「ち、治癒を、おい、眠るな、早く」




 自分でも何を言ってるのかわかっていないのかもしれない。ひどく動揺しているクロは、私の手をとり背中に導こうとするが、だらりと力を失った私には、詠唱を唱えることはムリだった。




「しん、く……たのむからっ」




 ああ、やっぱりキレイだな。潤んだ金色の瞳は洗練された琥珀のようだ。




 細く目を開けて見とれていたら、頬から血を流した王妃様が走り寄って来た。




「……深い傷だ」




 私を見る王妃様に、あんなにカッコ良く討伐を受けたのに恥ずかしいと思った。


 クロにも謝らないと…




 こんなことなら、私、クロにもっと……






 私の頭と背を抱えて、肩に顔を埋めるようにしたクロが小さく呻いている。




「クロ、彼女をこちらへ渡せ!急ぎ医者へ」




「っ、触るな!深紅に触るな!深紅は俺のだ!俺から、とるなっ!」




 不安に満ちたクロの声を最後に、私は抗えない闇に意識を落とした。




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