第13話俺は離さない
黒龍の手が、ゆっくりと伸びてくる。
怖い。
紫苑は怖くなかったのに、ただ美しいとだけ思ったのに。
震えながらも動かずにいたら、その手が私を掬おうと指を広げた。
低く唸る声が聞こえて、バチバチと花火のような音が後ろから聞こえた。地響きを立てながら、紫苑が私の横を抜けて黒苑様に突進していった。
身体がぶつかり、直後に黒竜の身体を稲妻が走る。
短い悲鳴を上げながら動きを止めたのは少しの間。今度は黒竜が紫苑の腕に牙を突き立てた。
「ああっ!」
口許を押さえている私の目の前で、血が飛び散る。
通常の矢ぐらいなら弾いてしまう硬い鱗は、仲間の竜の牙には叶わない。牙の食い込んだ部位から、赤い血がつうっと流れて地面まで滴る。
銀色が朱に染まり続けている。大量の血を前に、恐怖と焦りが生まれる。
黒苑様は、紫苑を殺す気なのだろうか。生まれた時から共に過ごした双子なのに。魂の形すら似ていると言っていた、分身のような存在だろうに。
「やめてっ」
駆け寄って庇いたいのに、紫苑の尻尾が私を遠ざけようと押し退けようとする。
「もうやめてったら!私が黒苑様の番になれば済むことなんだから!」
「グガアッ」
怒ったように声を上げて、紫苑が前足で黒苑様の背中を引っ掻いた。反撃に出た黒苑様と彼が組み合ってもつれるように地面を転がった。
なんでこんなに……
砂煙を上げながら争う二匹を見て、怒りたいのか悲しいのかわからない。
紫苑は、なぜ私を渡さないのか?番だから、意地になっているのか?
こんなにも傷を負いながら、私を怪我させないように守りながら、そこまでするのが意地?
番の命は、自らの命に代えても守るという竜族の本能から?
本当に?
わからない。彼は私をどう思っているの?
「嫌いな相手に、命掛けるわけがないでしょう………紫苑?」
弱った身体の紫苑が、黒龍の尻尾になぎ倒されて、地面に倒れた。起き上がろうとしたところを踏まれてもがく銀竜を見下ろし、黒竜が牙を剥いた。
喉笛を狙っているのだと気付いた。
「や、やめて!」
嫌だ!こんな形で彼と別れるのは望んでいない!
そう強く思った。
その時、頭上から違う竜の嘶きが聴こえて、森だった場所に影を作った。
振り仰いだ黒竜に、灰色の竜が頭から体当たりをした。
「か、灰苑様なの?」
二匹の竜よりも一回り小さな灰色竜が、弾みで転がる黒龍を押さえ付ける。押し返そうとするのを、懸命に押さえているけれど、長くはもちそうにない。
「グア!ゴア!」
灰苑様が、なんとか起き上がった紫苑に頭だけを向けて鳴いた。
「……………」
弟と目を合わせて、僅かに躊躇う素振りを見せた紫苑だったが、直ぐに頭を巡らすと立ち竦む私の元へと駆けて来た。
大きく口を開けた彼が、いきなり私にかぶり付いた。
「え?!ええ!ウソ!」
喰われた!?
紫苑に、頭と片手と両足以外を口の中に収納された状態で、目を剥く。
鋭い牙が私の服に触れていて、力をちょいと入れられたら噛み砕かれるかもしれない。
「や、やだやだ!」
取り敢えず奴の唾液にまみれているし、背中に暖かい舌が当たって、色々居心地が悪い。
片手で彼の鼻面を押してもがく私を無視して、紫苑は傷付いた翼の代わりに地を走る。
銀竜の後ろから、黒龍が追い掛けようとして灰色竜を突き飛ばしたのが、私から見えた。だが直ぐに灰色竜が尻尾に噛み付いて、自由を封じる。
「灰苑様!紫苑止まって、灰苑様が!」
私達を助けてくれているのは、わかっていた。でも、この後彼はどうなるのか。まだ幼い子竜が、黒苑様によって酷い目に遭うかもしれない。
弟のように思っていた灰苑様の懐っこい顔が浮かんで、不安でいっぱいになる。
「離して!灰苑様!」
紫苑は小さく唸りながらも、私をくわえたまま森を駆け抜け、決して足を止めなかった。
黒竜と灰色竜の姿は森の木々に阻まれて、あっという間に見えなくなった。
けれど二匹の咆哮と悲鳴は長く聴こえて、私はきつく唇を噛み締め、片手で顔を覆って嗚咽を堪えた。
無力感に打ちのめされていた。
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