第14話隠す竜
夜の森の中を、竜が走る。いつの間に暗くなっていたんだろう。それすら気に留める余裕がなかった。
「紫苑、傷を手当てしないと」
何度も繰り返し言うのだが、彼は一度川に身体を半分沈めて上流まで上って血を洗い流しただけだった。
人目を避けているのか、町を迂回して深い山を伝い谷を渡る。
獣道さえ無い場所を、時に木々を薙ぎ倒しながら進む。
どこへ行くのだろう。
迷いは無さそうなので、目的地があるのだろう。
彼にくわえられていることにも慣れてきて、身を任せて数時間が経ったように思う。
森の木々の間から、小さく灯りが見えた。どうやら森を抜けた所に町があるのだろう。紫苑は今度は森を出ようとして、次第に町の景色がはっきりしてきた。
家は一つ一つが大きめで形も見慣れないものが多くて、ここがまだ竜族の国だと分かった。
その内の一際大きな屋敷の敷地に、紫苑は迷わず入ろうとする。
目立つ巨体に気付かないわけがなく、門番が矛を振り上げ警戒の態勢をとった。だが、近くで彼を確認すると驚きの声を上げた。
「貴方は、殿下!?お怪我を!」
彼が怪我をしているのを見るや「ヒトを呼んで来ます!」と、一旦屋敷へと入って行った。
「ここは?」
知っている屋敷なのだろう。紫苑を心配していた門番の表情からして信じて待っていても良さそうだ。
ようやく私を口から離して地面に下ろした彼は、そのまま手足を畳んで横になったと思ったら、ドオンとひっくり返って倒れてしまった。
「紫苑!」
慌てて彼の身体に手を触れようとしたら、また彼は光に包まれてしまった。
「し……きゃあ!」
光が消えた後には、人型に戻った紫苑が横向きに倒れていた。怪我はそのままで、特に背中が血だらけだった。翼があったはずの肩甲骨の辺りは噛み跡が小さくなってそのまま残っている。
「う……」
「紫苑、大丈夫!?」
血は粗方止まったけれど、たくさんの傷があるし、かなりの血を流した。痛々しい噛み跡や引っ掻き傷が、彼の引き締まって無駄肉の無い肌に見てとれる。肌に……
目を薄く開けた紫苑が、こちらを見てから顔を隠すようにして呻いた。
「み……見るんじゃない。こんな……体」
「それは怪我のこと?それとも全裸だということでしょうか?」
「うう、どっちもだ」
私に背を向けた紫苑は、竜化が解けたのはいいが全裸だった。
うん……そうだよね。人に戻る時に服も戻るなんてありえないよね。あるとするなら、それは物語の中のご都合主義だ。
「別に気にしてませんよ、良い裸してるんだし見られても大丈夫ですよ。あ、でも下半身は隠して下さい、さすがに許容範囲外なので」
「う、あ」
顔を手で覆う彼には悪いが安心した。
ちゃんと意識があって、そんなことが言えるなら死ぬことはないだろう。
竜族はタフだと言うが、怪我に強いということか。
そっと肩に触れたら、ピクリと身体を跳ねさせた。
「紫苑、その……ありがとう、助けてくれて」
「………それはお前の方だろ」
つん、としてるが、何となく嬉しそうしている。
城にいた時より、少しだけ彼のことがわかったような……わかりかけたような気がする。
「でも……」
べっちょりと濡れた服を摘まんでみる。
「一人で逃げてくれても良かったんですよ?何も私をくわえなくても」
「………どうしてこうお前は……」
「はあ、べちょべちょ……紫苑の体液まみれですよ」
「んなっ?!たいえ……」
身を丸めて何かぶつぶつ呟いている。
「く、やべ、妄想が。は、俺の歯に感触が残ってるのに……柔らかくて形がわかって……ほんと美味しそうで……じゅるる」
今、口を拭いたのはなぜだ?
「まさか本当に私を食べる気だったんですか?」
「いやそうではあるが、じゃなくて」
傷付いているくせに以前と変わらず、わたわたする彼に思わず笑ってしまった。
「無事で……良かったです。貴方が……死んでしまうかと……」
死んでしまうかと思ったら、とても怖かった。そこまで言うのは恥ずかしくて言い淀む。
笑いながら涙を拭いていたら、それを見ていた紫苑が口を開きかけた。
「ローゼ……」
突然ふわり、と花の香りがした。春の野のような控えめな甘さのある匂い。
「紫苑ではないか。そなたとしたことが、かなりやられたのう」
屋敷から黒い喪服を着た女が出て来て、扇子で口許を隠しながらこちらを見下ろしていた。
香りは彼女から漂っている。
「誰?」
「そなた、番か」
ルビー色の瞳が、私をしげしげと見つめる。
まだ少女のような幼さを残した顔立ちだが、口調や不遜な態度は大人びている。
白い髪を腰まで伸ばしていて、それをさらりと払う。真っ直ぐな髪が羨ましい。
彼女の部下らしき者達が、紫苑に毛布を被せて支える。
「手当てをしてやれ。その娘には休める場所……あと着替えだ」
テキパキと指図する彼女に、頼れそうで不安が薄まる。珍しく紫苑が頭を下げた。
「すまない」
「あまり長くは匿えんぞ」
屋敷へと私達を入れて、彼女は渋い顔をした。
「既に城より報せは届いている。そなたはお尋ね者というわけだ」
フフンと悪そうに笑う彼女が、私の頬をつついた。
「美しい娘よ、案ずるな。しばらくは守ってやろう」
「ありがとうございます。あの貴女は?」
私が聞くと「なぜ教えていない」と椅子に座らされて手当てを受ける紫苑が叱られている。
「ローゼ、このババ……この女性は」
「母じゃ、ローゼ。母と呼べ」
「……………あの疲れたので休ませてもらってもいいですか?取り敢えず紫苑が付けまくった体液にまみれた身体を清めたいので、お風呂には入りたいのですが」
「うああ、あ、ぐ!」
また椅子から転げ落ちた紫苑を、虫けらを見る目で見てから、彼女は喪服の裾を摘まんで礼を取った。
「申し遅れた。我が名は
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