7-2 「……あたし、今夜告白する」

 翼と美香と東野君……


 美香と東野君と翼……


 東野君と翼と美香……




「なにぼやっとしてんのよ」


 朝食のビュッフェの列に並んでいた舞は後ろからせっつかれて我に返った。後ろに並んでいた美香がトレイの角でぼんやりと立ち止まっている舞の背をつついたのである。美香の後ろにはまだ長蛇の列が続いていて、思案している舞を不思議そうに眺めていた。朝食会場となっているカフェテリアには同じ学年の生徒たちがひしめきあっており、湖側の大窓をいち早く陣取って、朝日を浴びながら豪華な朝食を楽しもうと競い合っている。


 慌てた舞は何がなんだかわからないまま、銀色の容器に盛られた料理をトングで引っ掴んだ。よくよく見てみるとそれはジャーマンポテトなのであったが、気づいたときにはジャーマンポテトの山が皿の上に築かれており、トングは美香の手に渡っていた。


「朝からよく食べるわね……」


 美香は舞の皿を見て驚きあきれつつ、じゃがいもをほんのひと切れだけ取った。舞は自分の量の多さよりも美香の量の少なさに目をみはった。舞の皿にはサラダ、ベーコン、玉子焼き、ソーセージ、ほうれん草のおひたし、納豆、パン、苺ジャム、味噌汁、ごはん、それにジャーマンポテトの小山と、色鮮やかに飾られていたが、と美香の皿にはサラダとゆで卵とじゃがいも一切れしか乗っていない。


「えっ、美香……えっ、それしか食べないの?ぐ、具合悪い?!大丈夫?!」


 舞が思わず叫ぶと、美香は周りをみまわしながらしーっと人差し指を立ててみせる。


「声が大きいわよ、あんたは!べ、別にいいでしょ!その……朝だから食欲湧かないだけよ」


 絶対に嘘だ、と舞は直感的に思った。だって、毎日サッカー部の朝練に励んでいる美香がそれしか食べないで昼まで持つはずないもの。ほんのりと桃色に染まったままの美香の横顔が、色とりどりのフルーツの手前でためらいの色を映すのを確かに認めたその時、舞はそっと美香の耳元にささやいた。


「フルーツは太らないから大丈夫だよ!」

「ちょっ……!」


 美香がたちまちゆでだこの如く真っ赤になったので、舞は自分の勘が当たっていたことを知った。やっぱりそうだった。美香はきれいになろうとしてダイエットをしようとしていたのだ。赤くなる親友を前ににこにこと微笑んでいた舞は、この甘酸っぱい一幕がほろ苦い一面を押し当ててくるのを遠のけることができなかった。


「ちょ、ちょっと……こんなによそってくれなくてもいいったら!」

「あっ?お前がついでだから自分のもよそってくれって言ったんだろ?」


 騒ぎの方に目を遣った舞は、どきりと鳴った心臓が不協和音を立てるのに早くも気づいていた。声で大体わかっていた。見てみるとやはり翼と恭弥だ。味噌汁の鍋と炊飯器の前にそれぞれ立って並び合っているのだが、どうやら手間を省くために互いの分までよそいあうことで合意したのらしい。相手が盛ったその分量に不満だというので二人は揉めているのだ。


「そ、そりゃそうだけど、こんなに食べられるわけないでしょっ!」

「べっつにこれぐらい食えるだろ?」

「食べられないったら!」

「嘘つけ!米一合ひとりで食ってたじゃねぇか。今更ぶりっ子したってかわいくねぇぞ」

「あんた相手にぶりっ子なんかする意味ないでしょ!というか、米一合っていつの話よ?!も、もう、とにかく減らして……!」

「全く自分で減らせよな。あっ、俺あさり嫌いだから」

「知ってるわよ!だからこっちはわざわざあさり抜いてやったのに」


 ぶつくさ言いながらも、恭弥は米の山をしゃもじで乱暴に削りはじめる。その量たるや駝鳥の卵でも茶碗に載せているのかと見間違えるほどであるから、翼の苦情ももっともだと思われるが、もうひとつ同じような茶碗が彼のそばに置いてあるところを見ると、彼自身はどうやらいつもその量をたいらげているらしい。


 舞は気づかれないようにそっと美香の方へ視線を移す。美香は先ほどのためらいはどこへやら、フルーツをせっせと皿に盛るので忙しない。美香の皿の上はさながら南の島の宴会かと思われるほどだ。さすがの舞も「その辺でやめておいたら」と止めかけたところで、美香はうつむいたまま舞にだけ聞こえるようにぽそっとつぶやいた。


「舞、後であんたに話があるんだけど」

「えっ……」


 ちらりとこちらを見た美香の瞳が揺れているように見えたのは、眼鏡が遠い湖面のきらめきを反射しているためだったのだろうか。美香はすぐにふいと顔を背けてしまったのでわからない。いずれにしてもこんな気弱そうな美香を見るのは初めてだった。眼鏡は普段と同じままに、髪型をお団子に変えているから、なんだか別人のようにも思われる。でも、やはりその横顔を見つめてみれば、佐久間美香その人に他ならない。いつも気丈で、サッカーが大好きで、文句を言いながらも舞の世話を焼いてくれる佐久間美香だ。ずっと隣にいたからわかる。美香がこんなに頼りなげな様子を示すだなんてよほどのことだ。舞の胸は痛んだ。


「……うん、いいよ」


 舞はそう言って、先ほどとは違うやさしい微笑みを美香に向けた。




 ようやく二人きりで静かな時間がとれたのは、龍明山のハイキングの時であった。最初はクラスごとにきちんと列になって進んでいたはずなのだが、次第に列は乱れ始め、ところどころ前後に間隔をあくようになってきたのである。舞と美香はわざとゆっくりと歩いて目の前を歩いていた佐々木と矢嶋から距離を取った。後ろから来る女子三人組をうまいこと引き離してからも、舞と美香はしばらく黙ったままでいたが、やがて美香が深いため息をついて切り出した。


「舞、今朝言った話のことなんだけどね」


 舞は何も言わないままに美香を見つめて先を促した。何が話されるかがわかっていても、美香の言葉で聞きたかった。そうでなければ意味がないと思っていた。


「……あたしさ、好きな人ができたの」


 まるでそれが悪いことであるかのような弱々しい告白であった。


「できたのって言い方おかしいかな。あたし、東野のことがずっと好きだったの。去年の秋ぐらいからかな……黙っててごめん」

「謝らないで。東野君のことが好きな気持ちは美香ひとりのものだもん。友達だから打ち明けなきゃいけないなんて、そんなことないもん」

「でもあたし、好きな人なんていないってずっとそう言ってたから。なんか嘘ついたみたい」

「美香の性格じゃしょうがないよ」


 舞は美香の背中をぽんぽんと叩いた。木漏れ日が霏々ひひとして少女たちの頬にこぼれかかった。聞き慣れない小鳥の声が飛び交うなかに、降り積もった落ち葉を踏む二人の足音が響く。後ろの話し声は間遠だった。


「東野君のどんなところが好きなの?」

「わかんないけど……多分、なんだかんだいって優しいとこかな。すごく周りのこと気遣ってるの、あいつ。それがわかってから好きになっていたかな。部活の時もリーダーシップがすごいし、責任感も強いんだなってわかるし。それにサッカーやってる時の東野、ほんとかっこいいもん……!」


 美香の頬はみるみるうちに紅葉のごとく染まっていく。舞の口元がひとりでに綻んだのは、美香の語った恭弥が以前の司とよく似ていたからだ。以前の司も優しくて、周りのことを気遣っていて、リーダーシップも責任感もあって、テニスやサッカーをしているときの姿は本当にかっこよかったもの。


「……でもさ」


 美香の声が低くなった。


「東野ってモテるでしょ。そりゃそうだよね、あんなかっこいいから。だからあたしの方なんか振り向いてくれないって、ずっとそう思ってたんだけど、でも……!」


 美香の声が上ずって、そのまま小鳥のかなでる調べに吸い取られていく。


「……でも、こないだの夏祭りのとき、あんたも結城もいなくなっちゃったから二人きりになって……あの時間、東野があたしのことだけを見ててくれたの。二人でお祭りを回って、花火を見て、なんだかデートしてるみたいで、すっごく楽しくて、すっごく幸せで。あたし、ずっとこうしてたいって思ったの……このままずっと東野の隣にいたいって、そう思ったの……!」 


 舞は美香が泣き出すんじゃないかと思った。リュックサックを背負う美香の肩は震えていたのだ。そのリュックサックのファスナーに揺れているのは、龍明神社の恋守り――いつの間にか二人は立ち止まっていた。


「あたしね、告白するつもりで来たんだ、今回の移動教室」


 美香にじっと見つめられて、舞は思わず目をしばたいた。まさか美香がそこまで思いつめていたなんて。すると、これまで親友をただいじらしいとばかり眺めていた舞の心がかき回される。澱が浮かびはじめる。藍色の髪と水色のリボンが、木漏れ日に刺された瞼を横切った。



「だめ、かな……?」


 縋りつくような声だった。


「だめ、じゃないよ」


 吐き出す呼吸が苦しかった。


「……本当に好きなら、好きって気持ちを伝えたいなら、そうするべきだと思う。そうじゃないと、伝えられなくなったときにきっと後悔するから」

「伝えられなくなったとき?」


 けげんな顔をする美香に舞はなんでもないと急いで首を振った。


「ねぇ、聞いてもいい?東野君の返事、美香にはわかってるの?」

 今度は美香が首を振る番だった。


「わかんない。昨日まではすごくうまくいってると思ったんだけど、今朝、東野と青木さんが話してるの見てたら不安になっちゃった。幼馴染の仲ってやっぱり入り込めないなぁって思ってさ……」


 そう打ち明けてから、美香はすぐに何かに気づいたようにごめんと舞に謝った。


「あんた、青木さんとも仲いいのにさ」

「私のことは気にしないで。それでも美香はやっぱり好きって伝えたいんでしょ?」


 美香は一瞬ののち、こくんとうなずいた。


「このチャンスを逃したら、あたし、一生伝えられない気がするから……」

「じゃあ、伝えなきゃ」


 「ありがとう」と美香は小さく言った。なんだか泣きそうな顔で微笑みながら。舞もまた泣きそうになっている自分に気づいていた。翼のことを思うとつらかった。美香の恋がどうなるかはわからない。もし美香の恋が叶うのだとしたら翼は……けれども、舞は佐久間美香に向けられるのは、佐久間美香の親友としての言葉だけだ。いくら翼のためとはいえ、美香を留まらせるような卑怯なまねは絶対にできない。逆も然りだ。どちらの恋が叶ってほしいというのではなく、舞は自身の友情に対して誠実でありたかった。たとえそのために苦しまなくてはならないのだとしても。


「……あたし、今夜告白する」


 歩み出した二人の背中に、後続の女子たちのおしゃべりが迫ってきていた。


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