第一九八話 仕込みはしっかりと


  帝国歴二六八年 紅玉月(七月)



「アルベルト! もう出陣してもよいか! よいな! 行くぞ! 行ってしまうのじゃ!」



 嫁ちゃんは完全武装したまま、ノルマ達成後の報酬ゲットキャンペーンでおやつ代を稼ぐため、執務室で印章押しを続けている。



 いくさとおやつ代という、二つの報酬を目の前にぶら下げられた嫁ちゃんのヤル気は高い。



「まだ、早いですよ。ちゃんと、おやつ代稼げましたか?」



「30日は賄える額を稼いだのじゃ! だから、もう行くのじゃ!」



「ああ、残念。想定されるいくさの日数は3か月以上。つまり90日以上のおやつ代を稼いでおかないと足らなくなる可能性が――」



「な、なんじゃと! 嘘じゃ! 妾らが参戦して30日で終わらぬわけがなかろう!」



「連戦なので、一度では終わりませんよ。なので、頑張って稼いでください」



「きひぃいっ! なんということじゃ! リシェール、妾の仕事を増やすのじゃ! はよう書類を持ってくるのじゃ!」



「はーい。まだまだ、いっぱいありますよー」



 おやつ代という報酬と、いくさへの期待とで脳がバグったマリーダが、とんでもない社畜化をしている。



 まぁ、でもまだマリーダはマシだ。



 こっちがもっと面倒くさい。



「アルベルトー! もう街道敷設の仕事がないぞ! なにか予算を稼ぐ仕事はないのか!」



 こっちも遠征費稼ぎの肉体労働を求めて、毎日俺の執務室に押しかけてきている。



「港で荷物の受け渡しの人手が足りないって話が――」



「港だな! 行ってくる! ラトール! 今日は港だ!」



「おぅ、分かってらい! すぐに兵たちを集める!」



 ブレストとラトールに率いられた正規兵たちは、いくさの予算獲得のための労働に汗を流してくれて、労働力不足に喘ぐ現場で力を発揮してくれていた。



 脳筋たちは、いくさのための訓練と称し、筋トレできれば満足なので、文句が出ないのはありがたい。



 問題は――。



「イレーナ、俺はちょっと別室で仕事するから、政務はよろしく」



「承知しました。重要なご判断を仰ぐ必要があるなら、わたくしがお伺いしますね」



「ああ、よろしく頼む」



 俺は政務もそこそここなしつつ、連日マルジェ商会の諜報員たちがもたらす情報を精査する作業に忙殺されている。



 リュミナスに作らせた防諜対策が施された部屋に移動すると、中にはワリドの姿があった。



「すまない。待たせた」



「いや、問題ない。それよりも、娘が考案したこの部屋はどうです?」



「ああ、ここは外に声が漏れないし、天井裏にも忍び込めないし、出入り口が監視しにくいような位置に作ってあるのがいいね。これなら、安心して秘密の話もできる」



「アルベルト様に褒められれば、リュミナスも喜ぶでしょうな」



 天井裏には常に警備の者がいるし、ここに忍び込んで盗み聞きするのは、相当熟練の技がいると思う。



 辺境伯家に出世したことで、いろんな貴族家から情報集めを頼まれた者が侵入する事案も増えてきてるし、安心して策を練れる場所ができてよかった。



「でも、まだアレスティナは山の民の族長にするのを承認したわけじゃないからね」



「分かっております。なので、仕事をしっかりと果たして来ましたぞ」



 ワリドは、リュミナスと俺の子であるアレスティナを山の民の次期族長にしようと仕事に励んでいることを知っているが――



 天使のようなアレスティナたんは、自分の手元で大事に育てようと思っているのだ。



 パパとしては、娘を嫁の実家に預ける気はありません!



 ワリドから差し出された書類に目を通す。



 調べさせていたのは、マヨ自治連合国の現首長エディスの出生や容貌についてだ。



「ローソンの双子の弟という説は、極めて信ぴょう性が高い。赤子だったエディスは、マヨ自治連合国の一部族に奴隷として買われ、成長とともに戦士として圧倒的な力を示し、その一族の娘をもらうと、周囲の部族を平定し、首長の座を奪い取ったいくさ上手。ゴンドトルーネ侵攻も成功させ、首長の座は盤石ということです」



「容貌はどうだった?」



「はっ! 商人として潜り込み会ってまいりましたが、種族的な特徴を除けば、容貌は瓜二つでした」



「ワリドの目にそう映ったなら問題はなさそうだね。では、例の仕込みをしてきてくれたかい?」



「はい、エディスに面会した際、エランシア帝国皇家ヒックス家のローソンに似ているという話をさせてもらいました。反応を見ると、本人は自らの出自を知らぬようだったので、入手した情報を伝えて、本来ならヒックス家当主だった可能性もあると吹き込みましたぞ」



「エディスの反応はどうだ?」



「本気にしてなさそうでしたが、アルベルト様の指示通り

気になるならヒックス家に交流を求める使者を出してみてはとお伝えしてあります」



「エディスは動くかな?」



「半信半疑なので、動かないかと。それよりも、ゴンドトルーネの駐留軍撤兵派との確執解消と旧王国復興派の弾圧に忙しそうでした」



 まぁ、エディス側が動くとは思ってなかったので、疑惑の種は仕込んだところでよしとしよう。



 俺たちが動かさないといけないのは、ヒックス家当主ローソンの方だからな。



 あちらにはクラリスを通じて、双子の弟が生きていて、マヨ自治連合国の首長となり、当主の座を要求するため、ヒックス家の領域を狙っているという噂を拡げさせている。



 ローソンが出生の秘密を知っていたら、なんとしても阻止に動きたくなるはずだ。



 ローソン自身が知らなくても、知ってる人が残っているため、そこからの出兵への圧力がかかることを期待する。



「あとはゴンドトルーネ側を動かしてやる必要があるね。そっちはどうだろう」



「例の無償割譲は、ボーが独断で動いてた話みたいです。アルベルト様が予想していた通り、エランシア帝国を引き込み、マヨ自治連合国の駐留軍を動けなくさせ、軍事クーデター計画を進めています」



「そうか……。なら、無償割譲を受け入れつつ、ボーの支援をする形でトグンダ地方に進駐し、軍事クーデターを引き起こしたら、王国復興を目指すベングドを唆し、ゴンドトルーネ国内を混乱させ、その間にトクンダ地方の残りを頂くとするか」



「ベングドとボーは使い捨てですか?」



「状況による。種を巻いておくヒックス家のローソンと、マヨ自治連合国のエディスの対決姿勢が鮮明になれば、ゴンドトルーネ側の人材は残しておいてもしょうがないからね。ただ、ローソンやエディスが動く気配を見せなかったら、釣り出す餌として残すのもありだ」



「承知した。ボー殿とベングド殿への連絡役はヨアヒム殿に任せてもよろしいですかな?」



「ああ、私は今回は完全に裏方だしね。ヨアヒム殿にも謀略の何たるかを経験してもらうには、ちょうどいい機会だ。ただ、不測の事態には対応できるようにしておいてくれ」



「承知した。では、そのようにヨアヒム殿には伝えておくことにしますぞ」



「ステファン殿には私から使者を送っておく」



 ワリドは無言で頷くと、その場から姿が消えた。



 さて、ステファン殿の領地に兵糧を集めてもらっておくか。



 年内には一区切りつけたいところ。

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