第一八六話 腹心のメイド長が腹黒いのは俺のせい?

 帝国歴二六八年 紫水晶月(二月)



 視察旅行を終え、アシュレイ城に帰ってきた俺たちは、政務に励んでいる。



 そう、励んでいるのである。あのマリーダが!



「リシェール! 今日のノルマは終わったのじゃ! 明日の分も用意せい! すぐに片付ける!」



 いつもなら一枚印章を押すだけでも、グダグダと文句を言ってイヤイヤながら押しているのに。



 視察旅行から帰ってきてからは、文句も言わず印章を押し、今みたいに前倒しでノルマを処理しているのだ!



 これは明日も雪だな……。ううぅ、寒い。寒すぎる。



 エランシア帝国内でも、比較的暖かいはずのアシュレイの地で二月に大雪が降るとは。



 帝都方面は大雪で街道が埋もれてるという報告もきてるし。



 十年に一度の寒波が来てて、帝国北部の領地はいろいろと問題化しているらしい。



 うちの唯一の飛び地領であるラルブデリン領も大雪で街道が塞がり、客足が途絶え、温浴施設も開店休業中だと報告がきている。



 マリーダが滅多に見せない政務へのやる気を見せた結果かの天変地異だろうか。



「くくく! 船いくさの調練! 船いくさの調練! 待っておれ! 妾はすぐに政務を片付けてやるのじゃぞ!」



「兄上、母上が政務をしております……」



「そ、そうだな。あの母上が真面目に政務をこなされているとは……。父上、母上は体調でも悪いのでしょうか? もしかして病気か何かに!?」



 息子たちにそこまで心配されるほど、今のマリーダの政務へのやる気は異質だった。



 やったことのない調練への楽しみが、政務の苦しさを越えて、振り切ってるんだろうなぁ。



「ねこさーん、ねこさーん、どこー。おいでー」



 奥の居室からアレスティナが、フラフラした足取りで執務室に来た。



 最近は動物を使役して移動するのではなく、自らの足で歩くことを覚えたようなので、危険行為は減っているが――。



 俺は筆を机に置くと、目にも止まらぬ速さでアレスティナの前にヘッドスライディングをして身を投げた。



 何もないところでつまづいたアレスティナが、けがをしないよう受け止めることに成功する。



 あっぶねー! 転ぶ時は転ぶって言ってください! パパの心臓が止まりますから!



「ふぅー」



「パッパ、ねこさーんいないよー」



 アレクサ土産の大きなねこさんの子供を探してたのか。



 それなら、今絶賛俺の足をかじってるところだ。



 まだ、歯が揃ってないし、甘噛みだからいいけども、大人になってされたら瀕死の重傷になる。



 アレスティナたんが喜ぶかなーって思って、いくさの最中に親とはぐれた子虎を連れてきたが、俺の命が危ういかもしれない。



「パパの足をかじってるから、やめさせてくれるかい」



「ねこさん、めー! パッパの足はめー!」



 ねこさんを見つけたアレスティナは、子虎を抱き抱えると躾をする。



 叱られた子虎は可愛い声で鳴くと、甘噛みをやめた。



 やはり、アレスティナには動物の使役能力が備わっているようだ。



 人と話すより、動物たちと話してる時の方が多いって聞いてるし。



「おぉ、アレスティナも来たのか! そうじゃ! 今度の調練でな。しま――」



 あらぬことを口走ったマリーダに向け、刺すような視線を送る。



 例の一筆にはアレスティナの同行は禁止してある。



 破れば調練は中止するとも告げてあった。



「しまー?」



「しましまパンツを履こうか迷っておるのじゃが、どっちがいいかのぅ」



 マリーダも俺の視線で約束を思い出したようで、慌てて誤魔化した。



 アレスティナが同行すれば、島亀大暴走のフラグ回収しか見えない。



 危険は事前に排除しておくのが、軍師の仕事。



「マリーダ様、しましまパンツはダメですよー。アレクシアさんに聞いて、海兵仕様の衣装作ってもらいましたから」



 奥の居室から姿を現したリシェールの手には、ヒモとしか思えない水着があった。



「なんじゃ! その破廉恥な服は! そのような服を見た覚えはないのじゃ! 妾を騙そうとしておるな!」



「嘘じゃないですよー。ほら、アレクシアさんだって着てます。アレクシアさーん」



 冬の寒さに震えながら、奥の居室からアレクシアが水着を着て出てきた。



 寒いだろうなぁ……。特に今年は寒さがこたえる。



 俺はねこさんを捕まえたアレスティナを抱えて立ち上がると、そのまま自分の執務机に戻った



「な、なんじゃと……。本当なのか……。本当にそのような衣装を着ねばならんのか!」



「ええ、まぁ、ヴァンドラ海兵。特に女性はこれと決まっておりまして」



 明らかにリシェールに言わされてる感満載のアレクシアが、身を包む水着をマリーダに見せつける。



「妾は学習したのじゃ! アレクシアの言葉は、リシェール、そちの差し金じゃろう!」



 おっ! 嫁ちゃん、賢い! 今日は冴えてるね。



 さすがに最近はリシェールがわざと仕掛けたあからさまな罠には、かからないようにはなってるかー。



「さすが、マリーダ様。見破られてしまいましたね」



「ふふふ、妾を騙そうなどと一〇〇年早いのじゃ!」



「ですが、残念なことに以前アルベルト様の書かれた船いくさの調練を実施することを約束した書簡には、この衣装を着用しての調練を実施することが条件付けられております」



「はっ!? そのような文言は見た覚えがないのじゃ! 嘘を言うでない!」



「残念ながらここに……」



 リシェールが懐から取り出した書簡は、たしかに俺があの時書いたやつだ。



 そう言えば、あの時、リシェールが声を出さず俺に追記してくれと言われて、ものすごい小さな文字で端っこに追記したな。



 ああ、だからあの衣装か。



 たしか、『俺が規定した正装にて実施』という追記を入れた気がする。



 俺はアレスティナを抱え、マリーダの執務机に行くと、リシェールの置いた書簡に視線を落とす。



「嘘じゃ……。このようなこと……嘘じゃ。のぅ、アルベルト?」



 マリーダがこちらを見るが、書簡の端っこにはちゃんと俺の筆跡のものすごい小さな文字で『俺が規定した正装にて実施』と記されている。



「書かれてますね。私の字ですし、書いた覚えもあります」



 リシェールがニヤニヤと笑う。



 船いくさの調練と聞いた彼女が、マリーダに俺の好む衣装を着せるチャンスだと察し、あの場で追記をさせたらしい。



 リシェール、恐ろしい子。でも、グッジョブ!



「アルベルト様、船いくさの調練は、アレクシアさんが来てるこちらの衣装がよいと思いますが、いかがでしょうか?」



「予定される日は水が温くなった時期だし、よいと思うね。動きやすそうだし、採用」



「きひっぃいっ! 嘘じゃあーーーー! 妾はこんな破廉恥な衣装は着ぬ!」



「じゃあ、調練はなしでー」



「きひいいっ! 嫌じゃあああーー!」



「じゃあ、こちらの衣装でよろしくお願いしますね」



 ガクガクと震えたマリーダが、脳が焼き切れたように執務机に倒れ込んだ。



 そんなに嫌がらなくても……普段より若干肌色面積が増えるだけじゃないか。



 やっぱ俺も調練を見学しよう。



 三月じゃまだ寒いし、四月終りごろくらいがいいかもしれない。



「あ、そうそう。アルベルト様も参加するのなら、男子はこちらですねー」



 リシェールが笑顔で、赤い褌を俺の前に差し出す。



 お尻丸出しの褌とは……。くっ! リシェール、恐ろしい子。



「父上! 私もその衣装を見に纏うのですか!?」



「まぁ、そうなるね」



 アレウスたんも困惑を隠せないようだが、船いくさの調練は水練も入ってくるので、しょうがない。

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