第八十八話 東部奪還作戦の青写真

 帝国歴二六三年 カンラン石月(八月)


 溜まりに溜まった決裁の山。


 溢れる仕事に、文官たちの悲鳴。


 ノルマ未達を詰るリシェールの怒声。


 追い込まれた状況のマリーダがあげる奇声。


 執務室は地獄の様相を呈していた。


「まったく、この家はどうなってるんだろうねぇ。あたいは仕える家間違ってるんじゃないだろうか」


「クラリス、そんなこと言ってると、またストレスを貯めたマリーダの生贄にされるぞ。かなり追い込まれてるから、そりゃあもう激しいだろうな」


「ひぅ!? 激しいのはダメだって、壊れちゃうから!」


 産休に入ったリュミナスの代わりに、ワリドと俺の連絡係になったクラリスが蒼い顔をして奥の部屋を見ていた。


 うん、あの様子なら確実に今夜はヤバいと思われる。


 翌日、腰がガクガクになっちゃうコース確定だよ。


 リュミナスに特製ドリンク用意しておいてもらわないと。


「アルベルト様、手が止まっております。アルベルト様の決裁を必要とする書類も溜まっておりますので、手を動かしながらでお願いします」


 イレーナもかなり追い込まれてるな。


 さすがに余裕がないと、眉間に皺が寄ってきちゃってる。


 でも、それもそそるが……って、そんな場合じゃなかった。仕事、仕事。


「じゃあ、あたいからの報告は決裁しながらでよろしく」


「おぅ、そうしてくれると助かる」


 クラリスの率いる『倉鼠』は、ワリドと話し合ってノット家の情報集めに集中させてる。


 ゴシュート族も一部重要なところには送ってるが、数でカバーしないと色々な情報を得ることが難しいからだ。


 倉鼠とゴシュート族とあとは、ヨアヒム派のカーマインのところの組織、ステファンの諜報組織という未曽有の物量で情報集めをさせている。


 これだけの物量で情報収集できるのは、やってよかった秘密協力協定のおかげだ。


「はいはいっと。まずは現在の戦況分析から」


 決済の手を止めず動かしている俺の前に、クラリスがエランシア帝国東部の地図を差し出した。


「ノット家の守護する東部地域の五割を喪失。特に要衝グカラ、ツンザの二領が陥落してることで、敵国からの補給を容易にしてて、べネワ山地に塹壕を掘ったり、砦を作って防衛拠点化が進んでる。べネワ以東は全て敵の勢力圏になっちゃってる」


 悪いとは聞いてたが、とんでもなく戦況が悪いな。


 敵は本国から豊富な物資を運び込める大きな街道二本を抑え、守りやすい山地に塹壕掘りつつ最前線基地を設けて防衛線を構築中。


 しかも、べネワ山地はノット家の守護する東部領域の中央を南北に走る山地だ。


 そこに防衛線作られたってことは、東部は真っ二つに分断されたって状況。


「悪すぎだな。そりゃあ、こんな戦況じゃ、魔王陛下に隠したくもなる」


「だね。あたいはいくさに詳しくないけど、ノット家単体で勝てるような気配は全く感じないよ」


「戦力次第では勝てないこともないが、そっちの報告も頼む」


「はいっと、これがそのノット家現状の戦力。重装騎士三〇〇、従士七〇〇、農兵三〇〇〇が限界みたい。あと、騎馬は壊滅してるってさ。機動力は徒歩のみ。糧食もかなり少なくなってて、矢弾の残りも少ない」


 は!? こんな戦力無理ゲーじゃん! 仮にも四皇家でしょ!


 シュゲモリー家だと、農兵も含め二~三万の兵は余裕で動員できるのに!


 農兵含め四〇〇〇!? 四〇〇〇だと! しかも機動力皆無とか!


 食い物も消費物資も残り少ないなんて、ありえねぇ!


 なんで、こんなボロボロになるまで黙ってるんだよ! 脳みそイッチャッテルのか!


「て、敵の戦力はどれくらいだ」


「えーっと、見る?」


「見るしかないだろ」


「じゃあ、はいこれ。前線防衛拠点に一万、グカラ、ツンザ防衛にそれぞれ五〇〇〇ずつ。あと騎馬兵二〇〇〇が街道警備。全部隊、装備や練度はそれなりらしいって。敵の新兵器は前線部隊に集中してるみたい」


 総勢二万二〇〇〇!? 多すぎじゃね!?


 四〇〇〇VS二万二〇〇〇でどうやって勝機を見出してるのさ!


 オライトの脳みそ、いくさのしすぎで溶けちゃってるだろ!


 敵がエランシア帝国が総力上げて攻勢してくると思い、陣地構築しててくれるから、助かってるようなものの、一気に攻められたらひとたまりもないだろ。これ。


「アルベルト様、手が止まっておりますが」


「す、すまん。手は動かす」


 あまりの酷さに、俺の脳みそまで思考停止しかけたぜ。


 ショタボーイ、お前の叔父さんかなりファンキーな脳みその持ち主らしい。


 オライト排除とノット家戦力の再掌握は、早急に推し進めないと援軍行く前に壊滅しかねないぞ。


「戦力はおおむね把握した。新兵器についての情報を頼む」


「はいはい、実物の破片だけしか手に入らなかったけど、これが敵の新兵器らしいよ」


 素朴な陶器の破片と錆びた釘が机の上に置かれる。


 陶器に微かに残る黒い煤。


 あと、錆びた釘か。


 この世界でも創り出せるし、いずれお目見えするとは思ってたけど。


 黒色火薬による手榴弾だな。これ。


 金属製の鎧を着込んでる重装騎士には効果は薄いだろうけど、従士や騎馬、農兵とかには被害甚大だろうな。


 ご丁寧に錆びた釘には土が付いてる形跡も見られるし、爆発で飛び出した錆釘が体内にぶっ刺さったら破傷風まっしぐらな感じ。


 手榴弾で重軽傷者多数発生して、後送人員に人手取られ、戦力ダウンで敗走ってパターンを繰り返した可能性高い気がする。

 

 籠って投げられるのも、とっても厄介だよな。


「だいだい、使用意図と方法、威力は把握できた。とってもマズい武器だな」


「すごいね。アルベルトは、これだけで分かるの!?」


「ああ、実物は見たことないが、似たような武器の記述を本で読んだ覚えがある」


 実際は、前世の知識だけどな。


 手榴弾対策もしつつ、ヨアヒムを総大将として南部兵も引き連れ、大軍で待ち構える敵を領内から追い出さないといけないか。


 これは思った以上に難事業になるかもしれん。


 東部奪還作戦における優先実行目標。


 一、ノット家のオライトの穏健な排除とヨアヒムの家臣団再掌握。


 二、東部奪還作戦におけるエルウィン・ステファン連合軍の前哨基地として、ステファンの領地の東北端、テルイエ領に糧食と矢弾の集積。


 三、当主ヨアヒムの許諾のもと、ノット家の現状を包み隠さず魔王陛下に告げ口して、南部兵を主体とした親征軍の出兵依頼。


 四、親征軍とノット家の集結地点として、イントス領を指定し、戦線の再構築を行う下準備。


 五、ゴンドトルーネ連合機構国内の地理に詳しい人物の捕縛。


 取り急ぎ、これくらいを進めておかないとマズい。


 収穫終わったら相手も、さらに動員してくるかもしれないし、時間との勝負だな。


 決裁の手を一旦止めると、脳に浮かんだ言葉を紙に書きだした。


「クラリス、東部奪還作戦の第一段階はこれをもとに進めていくと、関係各所に連絡しといてくれ」


「はいはい、すぐに連絡しとくよ」


 思った以上の大いくさになりそうで、脳筋たちが喜び踊るだろうが、うちもかなりの戦力を出すことになるので、赤字にならないよう上手く立ち回りつつ勝利を手にしないとな。


 はぁ、マジで頭いてぇ。


 アレウスたんとユーリたんのお世話して癒されてぇなぁ。


「アルベルト様、手がまた」


「は、はい。すぐにやるから」


 東部奪還作戦と並行して、領内のお仕事とか地獄だぜ。


 東部の大いくさが終わったら、絶対にのらりくらりと参戦要請断って、五年くらいかけて内政だけしかしねぇ。

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