45.誘蛾灯
その子が動物を食べると知ってから一週間後、ボクは田崎くんを食べさせた。不思議な感じだった。それまでも犬や猫をあげていたけど、田崎くんも似たようなもので、あまり特別な感じはしなかった。人間は、犬や猫と変わらないんだなって思った。
その子を見つけたのは二カ月くらい前のことだ。見つけることができたのは、ボクが蹴り落されたから。田崎くんたちに。
ボクは学校の裏山に呼び出されて、いつもみたいに殴られて、蹴られた。「ボクがみんなにガンを飛ばした」とか「顔がムカつく」とか、色々とボコボコにされる理由を聞かされながら。いつもならそれで終わるんだけど、その日は、田崎くんの機嫌が特別悪かった。
これは後で分かったんだけど、親に成績のことを言われて、イライラしていたらしい。
田崎くんはボクを崖のところに立たせて、思い切りお腹を蹴ってきた。凄く痛くて、ボクは立っていられず、崖を転がり落ちた。
「うわっ、ヤバすぎだろ」
「死んだんじゃね?」
転がり落ちる間、上からそういう声が聞こえてた。でも、笑いが混じってたんだ。そのすぐ後に気絶してしまったのだけど、あの笑い声だけはハッキリ覚えている。
目を覚ましたら、夜になっていた。
スマホを持っていたのはラッキーだった。たぶん田崎くんがこんな無茶をしたのも、ボクがスマホを持ってるって思ったから、こういうことをしたんだと思う。ボクは位置情報アプリを立ちあげて、自分の位置と家の位置を確認した。あんまり焦ってはいなかった。充電は充分だったし、何よりボクがいる場所は家からそう遠くなかった。
でも、そのときボクは見つけたんだ。
洞窟があった。ちょうどボクくらいの身長なら入れる、小さい洞窟だ。入口には祠があって、難しい漢字が書いてあった。
気になったけど、体中が痛かったから、その日は家に帰った。
翌日、ボクのケガを見た先生は話を聞かせろと言ってきた。それで正直に話すと、田崎くんたちは先生に呼び出されて、メチャクチャに叱られた。それで放課後、ボクもいつも以上に田崎くんたちにボコボコにされて、今度は「崖から飛べ」「飛べ! 飛べ!」って拍手をされた。
ボクは飛んだ。また転がり落ちていくとき、上の方から笑い声がした。でもボクは、今度は気絶しなかった。それに、いつもなら泣きたくなるんだけど、この日は違った。ボクは崖の下に用事があったからだ。あの洞窟だ。
ボクは洞窟に入ることにした。ちゃんと準備もしてきた。ランドセルから懐中電灯を取り出して、ボクは洞窟の中に入っていった。けっこう洞窟は長くて、ゲジゲジとか、ムカデとか、ゴキブリとか、変な虫がいっぱいいた。コウモリが飛んできたときは凄く驚いた。でもこれは三番目に驚いたことだ。
二番目に驚いたのは、1時間くらい歩いたとき、行きどまりに辿り着いて、そこで絵を見つけたことだ。
その絵に描かれているものが何なのか、初めて見た時は分からなかった。と言うか今も分かっていない。蝶か、蛾か。
ボクはしばらくその絵を見ていた。上手な絵じゃなかったけど、凄く古くて、丁寧に描かれていて、凄い絵だってことは分かった。
そのとき、小石が転がる音がした。ネズミか、またコウモリかなって思った。それで懐中電灯を向けると……これが一番目に驚いたことだ。卵があったんだ。大きくて、ちょうどサッカーボールくらいあった。黒ずんでいて、ほとんど岩と見分けがつかなかった。それでも卵だと分かったのは、ボクが懐中電灯を持っていたからだ。光を照らすと、表面に血管みたいなのが走っていて、ほんとうに微かだけど、脈打ってるのが見えたんだ。
翌日から、ボクは汚れてもいい格好で洞窟に通うようになった。卵を育てるためだ。
最初はどうすればいいか分からなかった。とりあえず、抱いて見たり、ボロ布を巻きつけたりしてみた。すると一週間くらい経った頃に、卵の先端から糸みたいなのが5本出てきた。ユラユラと揺れていて、卵からイソギンチャクに進化したなって思った。ボクはとりあえず、洞窟の中で見つけたネズミの死体を、糸が出ている卵の先端に置いてみた。すると糸はゆっくりとネズミの死体に巻き付いていった。どうなるんだろう? と思って見ていたけど、特に何も起きなかったから、その日は帰った。
翌日、ネズミは骨だけになっていて、先端から生えてる糸の数は、数え切れないくらい増えていた。ちょうど髪の毛みたいで、卵じゃなくて人間の首みたいで気持ち悪いな、と思った。近づくのが怖いから、ボクはその辺のゴキブリを何匹か捕まえて、卵に向かって投げてみた。すると、今度は早かった。先端から生えた糸は素早くゴキブリを捕えて、糸でグルグル巻きにして、雑巾みたいに絞った。けれどグルグル巻きになっているから、ゴキブリの血とかは出なかった。やがて糸がフワッと解けると、何も残っていなかった。それで分かった。「なるほど、ああやって食べるんだな」って。
ボクは虫を捕まえては、卵に向かって投げた。卵は何でも食べた。糸でグルグル巻きにして、絞って、消してしまう。しばらく餌をあげていたけど、門限の時間が来たから、その日も帰った。
翌日、洞窟の中はちょっと変だった。虫も動物も、一匹もいなくなってたんだ。
ボクは奥に進んだ。すると、卵はなくなっていた。代わりに、赤い髪の男の子が眠っていた。体中がネバっとしていて、卵の殻がついていた。ボクには分かった。「この子が、卵から出てきたんだ」
その子が目を覚ました。
「おかあさん?」
そう言われた。もちろん「違うよ」と思った。だってボクは男だし、卵を産んだのは別にいるだろうから。でも、最初に卵を暖めたのも、食べ物をあげたのも、ボクだ。
「うん」
ボクがそう言うと、その子は笑った。とても嬉しかった。
その子はお腹を空かせていた。あっという間に洞窟の中の虫を全て捕まえて、食べ尽くしてしまった。ボクもお小遣いで食べ物を買って持っていった。その子は何でも食べた。お菓子でも、生肉でも、魚も、野菜も、何でも髪で絞って、取り込んだ。でも、ポテトチップスだって、袋ごと食べてしまった。
お小遣いが底をついたから、ボクは食べ物を盗むことにした。小学校の調理室の裏には、いつも生ゴミが捨ててある。それを持って洞窟に行った。でも、それでも追いつかなくなった。だから、ボクは家の犬をあげることにした。名前はペラ。ボクのお姉ちゃんに懐いていて、ボクには懐かなくて、いつも噛まれていた。だから、あげてみた。ペラは大きな犬で、力も強くて、気も短い。散歩だっていって、連れ出したけど、洞窟の奥まで連れ込むのは本当に大変だった。その子にあげると、ちょっと苦戦していた。ボクは「がんばれ」って応援した。
20分くらいかかったと思う。ペラは赤い髪でグルグル巻きになって、絞られた。ボキボキって音と、鳴き声がした。それで静かになって、消えた。
「ありがとう、すごくおいしかったよ」
その子が言った。ボクは凄く嬉しくなった。親にも、同級生にも、「ありがとう」って言われることは、ほとんどなかったから。それに、
「ぼくたち、ともだちだね」
その子が言った。ボクは生まれて初めてそんなことを言われて、その夜は嬉しくて眠れなかった。明日は何をあげよう? 何をあげれば、もっと喜んでくれるかな? そのことばかり考えていた。それからボクは、野良猫やどっかの家で繋がれている犬、小学校の兎とか、とにかく生きてて動くものを、その子にあげた。そして――
「助けてぇ! お母さん、お父さんっ」
田崎くんをあげた。あんまりに暴れるから、ボクも押さえつけるのを手伝った。
「ありがとう。たすかったよ」
「こちらこそ」
頭を下げたその子に、ボクは笑顔を返す。髪の気でグルグル巻きになった田崎くんは、しばらくギャーギャーうるさかったけど、捩じられ始めると変な声を出して、最後は静かになって消えた。
「すごく、おいしいよ、これ」
田崎くんを食べ終わると、その子が言った。ボクはイイことをしたなと思った。
それから毎日、色々なものをあげた。まずお姉ちゃんだ。ペラはいなくなった日から、お姉ちゃんはいつもより機嫌が悪くなった。いつもはボクの背中に煙草を押し付けてくるんだけど、いなくなった日は首にやってきた。お父さんとお母さんは、それを見てゲラゲラ笑っていたけど、ボクは笑えなかった。だから、まずお姉ちゃん、お母さん、最後にお父さんの順番で連れていった。お姉ちゃんは簡単だった。ペラがいるかもしれないって言うと、簡単についてきた。お母さんは、お姉ちゃんがいるかもって言うとついてきたし、お父さんはお母さんがいるかもって言うと、ついてきた。
その子がお姉ちゃんを食べるときは、ボクの加勢が必要だった。でも、お母さんやお父さんのときは、もういらなかった。簡単にグルグル巻きにして、消してしまった。
でも、ちょっとだけ困ったことが起きた。その子が満足してくれなくなったんだ。
「こういうの、もっと食べれるところあるかな?」
「洞窟の外は?」
「お母さん、ここから出ていいの? ずっとダメだって……」
「いいよ今の君なら外に出ても大丈夫」
もうこの子は弱くない。外の世界に出ても大丈夫だ。
「だからさ、一緒に出よう」
ボクが手を伸ばすと、その子は満面の笑顔で握り返してくれる。
「行こう!」
胸が躍る。暗い穴の外には、たくさんの人がいる。みんなみんな、好きにしていいんだ。
2人で洞窟を出ると、
「わぁ……」
感動したのかな? その子は驚いた感じの声を出した。驚いて当然だよね。ずっと洞窟の中にいるように言ってたんだから。外の世界は酷い場所だって教えてたし。こんなに広いなんて、この子は考えもしなかっただろうなぁ。
「そうだ、お母さん。見てて」
そういうと、その子の背中から静かに、ふんわりと羽が生えた。蝶みたいな、紫色の羽だ。
「ぼく、飛べるよ」
「本当?」
ボクがそう聞くと、今度はその子が手を差し出した。
「本当っ」
その子の手を、ボクは握り返した。すると、羽が大きく羽ばたき、ボクとその子はフワッと浮かび上がった。一メートルくらいから、段々と速度を上げながら、ボクらは夜の空へと舞い上がっていく。
灯りが見えた。街だ。
「あそこに行こう」
ボクは言った。あそこは眩しくて、たくさんの人が暮らしている。
「うん」
僕たちは手を繋いで、光り輝く街へと飛んで行く。冷たい夜風を切り裂いて。
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