42.今日は降られて帰るから

湯舟に洗剤を撒いて、スポンジで擦る。終わったらお湯で流して、そのまま湯を溜める。これで終わりだ。このアパートは水圧が強い。5分もすれば肩までつかれるほど風呂がいっぱいになるだろう。


真希 俊介(まき しゅんすけ)はルームシェアをしている。相手は高校の同級生で、名前は宇野 洋(うの ひろし)。同じ大学に合格し、「せっかくならデカい家に住もうぜ! 風呂トイレ別の!」と洋の提案で一緒に暮らすことになった。部屋は1LDK。寝室は畳敷きの和室。

ルームシェアを始めたばかりの頃は戸惑うこと(些細な生活習慣の違い、互いの留守を狙っての自慰など)も多かったが、半年も経つとすっかり慣れてしまった。今や台所には各自好みのカップ麺が積み上げられ、和室には万年床を2つ並べている。快適そのものだった。特に風呂・トイレ別なのは強い。お湯をザブザブ流せる風呂は(部屋自体は借りものだけれど)周りに自慢したいくらいだ。ほとんどの学生はワンルームに住んでいて、大学周囲には銭湯もない。学生の身分で毎日こんなイイ風呂に入れる者はなかなかいないだろう。

その風呂を溜めている。

「今日は、濡れて帰るから」

洋からそう電話があったからだ。


朝、洋は言った。

「オレ、告白しようと思う」

突拍子の無い発言に、朝食のカップヌードル・シーフードを啜る口が止まった。テレビのスポーツまとめ情報だけが部屋に響く。少しの間をおいて、またズルズルと飲み込むと、

「誰に?」

俊介は尋ねた。

「吉岡先輩」

洋が所属している映画サークルの先輩だ。俊介はサッカー部に入っているので詳しくは知らないが、2~3回くらい洋と3人で雑談したことがあった。

「ああ、あの人。でも――」

「大丈夫。ここだけの話やけど、あの人もゲイらしいから」

「そうなんだ、あの人もか」


洋はゲイだ。ルームシェアを始める前に聞いていた。そのとき初めて知ったが、何故かビックリするくらい心が動かず「あ、そうなんだ」と心の籠っていない返事をしてしまい、逆に「そんな薄いリアクション?」と理不尽なツッコミを受けた。そこから話は雑談になってゆき、「俊介は友だちだよ。好きだよ、人間としては。でも、これは自分でも不思議なんだけど、お前にはそういう気持ちが全然湧かない」と言われて、俊介は「逆にちょっと失礼だな」と思った。まるでオレに魅力がないみたいじゃないか。


「じゃあ、上手く行くよ。あの人、入学したときから、ずっとお前と仲いいんだろ? おまけにそういう踏み込んだ話までしてくれるってことは、たぶんそういうことじゃん」

「オレもそう思う。むしろ、そっちが来ないから、もうオレから行くよって感じ」

「勝ち戦じゃん」

「ふふん♪」

「あっ、でもヤるなら先輩の部屋でヤれよ。今夜オレ、普通に家にいるからな。課題やんなきゃいけねぇし」

「中学生じゃないんだから、性欲くらい抑えられるわ。それにヤるってなったら準備もあるし、とにかく、そんな所かまわずヤるわけねぇだろ。つーか付き合って初日にそんなことになるわけないし」

「さっきから超早口なんだけど。実際、そういう展開期待してんだろ? 顔真っ赤だし」

「バ、バカバカ、変なこと言うなってば~!」

「……何だそのリアクション。恋する乙女か」

テレビが天気予報になった。今日の降水確率50%。シーフードヌードルをすすり終えた俊介は、あつらえたようだなと思った。


しかし、残念ながら降った。

窓に雨粒が当たる音がする。激しくはないが、優しくもない。普通の雨だ。この雨に打たれながら、今ごろ洋は歩いているのだろう。

「そろそろかな」

思った通り、風呂の湯はピッタリ溜まっていた。半年で培った勘のおかげか。

これであとは洋の帰りを待つだけだ。

あいつが帰ったら、「風呂、入れといた」と言ってやるだけでいい。あとは向こうが上がったら、オレが入って、そのあとで向こうが話し始めるのを待つだけだ。これで同じだな。


俊介は一か月前に失恋した。告白したのは英語で同じクラスになった女の子だ。何度か2人で飲みにも行った。絶対にイケると思ったが、アッサリとフラれた。あの日も雨が降っていて、「フラれた。傘もないし、今日は濡れて帰るわ」と電話をした。すると洋はこうしてくれていたのだ。暖かい風呂に入ると、それまで我慢していた涙がどっと吹き出した。

今度はオレの番だ。やっぱりルームシェアにしてよかった。

そう俊介が思ったとき、家の扉のチャイムが鳴った。

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