39.社交辞令

セックスが終わった。

頬を伝う汗と、弾む息。相手の名前を呼び続けたせいで枯れた喉。そして自分の腕の中で満足そうに笑う顔と、それを映し出すラブホテルの間接照明。

互いに果てたあと、しばらく余韻に浸る。いつまでとは決まっていないが、どちらかがそれとなく、後始末を始める。

片付けが終わると、多井中 肇(たいなか はじめ)はベッドに横たわった。3時間の休憩コース。着替えとシャワーを考えても、あと1時間ほど横になっていられる。

「ヤバかったな」

肇が言うと、

「ああ、久しぶりに、マジになりそうだった」

相手もそう言いながら横になった。名前は谷口 一郎(たにぐち いちろう)というらしい。本当かどうかは分からない。ついさっきバーで出会って、こういうことになったのだから。

「『マジになりそう』ね。ってことは、マジにはなれなかった?」

ちょっと意地悪な質問をしてやろう。どうせ一夜限りの相手なのだから。もう二度と会わないかもしれないヤツだ。取り繕うよりも、楽しむ方が大事だ。

「マジになっちゃダメだろ。オレがあんたをマジで好きになったらどうするよ?」

「そりゃ困る。遊びだもんな」

「そういうこと。むしろマジになりそうって、一番の褒め言葉だよ」

一郎は笑った。肇は、むしろこっちの方がイイ。セックスよりも、こっちの笑顔の方が胸に来るなと思った。決して美形とは言えないが、愛嬌がある。親戚の甥っ子みたいな……と、オッサンみてぇなこと言ってるな、と一人で勝手に笑ってしまった。

「ん? オレ、なんか変なこと言った?」

「いいや、何も。オレが勝手に笑っただけ」

もう一度、一郎を抱きしめる。

「あと一時間くらいあるけど、もう一回やっとくか?」

本気だった。賢者タイムから持ち直すので、時間的にギリギリではあるが。

「いや、やめとくよ。それよりシャワーを浴びて、サッパリしよう。明日も仕事あるし。あんたもそうだろ?」

一郎が脱ぎ捨てられたスーツの山を見る。

「会社勤めは面倒だよなぁ」

「仕事は?」

「オレはシステムエンジニア。そっちは?」

「車の営業」

「そりゃ大変だな」

「ああ。ノルマだノルマだ言われて、上も厳しいし。時々マジで死にたくなるよ」

「オレも納期だ納期だって死にたくなるわ」

話題が世知辛すぎる。もうそういう雰囲気じゃない。

肇は上半身を起こした。

「ま、たまにこういうことがあるから、何とかやってけるけどな。今日は楽しかったよ。えっと……一郎さん?」

「あんたの言う通りだ。ありがとな、肇さん」

やっぱりイイ顔をしている。今夜限りにするのは勿体ない。

「なぁなぁ、また会わない?」

「機会があれば。オレ、あの店にはたまに行くから。次に会ったら、またご一緒しようぜ」

「ありがと。楽しみが一つ増えたぜ」

2人は身なりを整え、ホテルを出た。



翌朝。

肇は駅のホームで溜め息をついていた。

足の踏み場もない。人、人、人。いつもの3倍は人間がいる。電車が遅れているのだ。

「何なんだよ、朝からツイてねぇ」

ツイッターを立ち上げて、情報を探す。使う路線を検索欄に打ち込むと、すぐに「遅延」「人身」という言葉が出た。

「飛び込みか。どこのバカだよ」

「駅」「事故」「飛び込み」と言葉を選んで、さらに検索してゆく。

すると、

「〇〇駅」

「女の人の悲鳴が聞こえた」

「男が飛び込んだ」

「スーツだった」

「若い男の人がフラフラしてて」

何となく、話が見えてきた。

そして満員電車に揺られて出勤して、1日の仕事を終えて退勤、家へと向かう頃には正式なニュースになっていた。案の定「投身自殺」だった。

帰りの電車では、運よく座れた。

肇はスマートフォンに表示された見出しをタップし、詳細に目をやる。

「死亡したのは会社員男性  田中一郎さん(29)と思われる。現場には田中さんのものと思われる遺書が残されており、警察では詳細を調べている」

読み終わったとき、「まさか?」と思った。しかし報道が続くうちに、思った通りだと分かった。

事件から数日後、写真が出た。履歴書の写真だ。

あの夜、あんなにいい顔で笑っていたとは思えないほど、暗い目で不安そうな顔をしていた。報道によれば、遺書には両親への謝罪と、会社のパワハラを告発する記述があったという。

全てが見えた日、肇は仮病を使って会社を休んだ。

六畳のワンルーム。上下のスウェット姿で、ベッドに倒れたまま天井を眺める。立ち上がる気力も、何もする気もおきなかった。

「何が『機会があれば』だよ」

あの夜、一郎が言った言葉を一つ一つ反芻する。どこまでが社交辞令で、どこまでが本音だったのか。それは分からない。肇に分かることは二つだけだ。

一つは、あの夜の話の中身は、ほとんどが嘘だったこと。

そしてもう一つは、一郎が本当の名前だったこと。

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