37.夜の街の鉢合わせ
「ありがとう」最愛の人からそう言われることが、こんなにも気まずいなんて。
胸が苦しい。ドロっとした、油まみれの飴玉が喉の奥に詰まっているようだ。結城 悠人(ゆうき ゆうと)は唾を飲み込むが、その感覚は消えない。
「助けてくれて本当にありがとうございます! あなたがいなかったら、僕はどうなっていたか……」
涙ながらにそう言うのは、矢田 大吉(やた だいきち)。27歳、会社員。身長は178センチで、体重は72キロ。ボサボサの髪と大きな瞳の童顔のせいで、20前後に見える。しかも今夜は口もとに痣があるせいで、殴り合いをした高校生のようなワンパクな雰囲気があった。
いや、実際に大吉は殴り合いに、暴力的な事件に巻きこまれていたのだ。
「警察、呼びますね。みんな失神してるみたいだし……」
2人の男が倒れている。金髪で、筋肉が浮き上がるようなピッチリとしたシャツにジーンズ。そして長財布にチェーンという、典型的なヤカラ・ファッションをしていた。彼らはその見た目通りのチンピラで、大吉と目が合った途端に「てめぇ何見てんだコラ、土下座して15万出せ」とインネンを吹っかけたのだ。
悠人は彼らのオールドスクールなチンピラぶりに驚いたが、とりあえず大吉を助けるために彼らに戦いを挑んだ。幸い、悠人は身長185センチに85キロ、就寝前の腕立て100回が習慣になっている強者だった。彼に思い切りブン殴られたチンピラ2人は、一撃でゴム毬のように跳ね飛んだ。そして感謝されているわけだがーー。
電話を取り出す大吉に、悠人は「あ、あぁ」と曖昧な返事を返す。彼は元々かなりの人見知りだ。その上、状況が状況だ。悠人にとって人生の岐路だと言っていい。
オレは、オレは……どうすりゃいいんだ?
悠人は大吉のストーカーだった。軽度だと自分では思っていたが、ストーカーであることに違いはないとも思っていた。彼の職場の前に待機し、家までの帰り道、一定距離を保持したままピッタリと張り付いて歩く。それが何よりの楽しみだった。大学生だから時間の都合は幾らでもついた。むしろ大吉が残業で会社を遅く出るとき、彼は長く待たされるわけだが、それはそれで愛を試されているようで楽しかった。今夜も大吉をストーキングしていたわけだが、それによってチンピラ達から彼を救えたのだ。
しかし、だからこそ気まずい。彼の中には確かな意識があった。「オレがやってることはストーカーで、いけないことなんだ。感謝されているけれど、一歩間違えばオレだって、あそこに転がってるチンピラたちみたいに、いや、もっとタチの悪いことをお前にしていたかもしれないんだ」最愛の人に正義の味方扱いをされる。それは太陽のように眩しく輝く光であり、それに照らされたことで、彼は初めて己にこびりついた悪の影の濃さに気がついた。
「もうすぐ警察と救急車が来ます。あなたのことも説明しますよ。僕を助けてくれた恩人だって。凄く強くて、本当に助けられたって」
童顔がさらに幼さを帯びる。
悠人の胸はさらに苦しくなる。眩しい。自分の眼前だけが夏の昼間のようだ。
このまま黙ることも出来るだろう。この笑顔を曇らせる必要だってない。だけれど、影はグングン濃ゆくなっていく。こびりついて、離れないほどに。
「ごめんなさい、そんな資格はないんですよ、オレには。本当に」
「何を謙遜してるんですか! あなたはヒーローですよ!」
「違う、オレは……ストーカーだ。あなたのストーカーなんです!」
「えっ……」
輝きと影が薄れた。
「あなたを町でたまたま見かけて、それからずっと尾行してた。今日だってオレは、あんたの後ろにいたんだ。だからアイツらをブッ倒せた。怪我の功名って言うか、オレは、とにかく……立派なことじゃないんです」
「ストーカー……なんで?」
そんなことを聞かないでくれよ、と思った。けれど答えなくちゃいけない、すぐにそう思い直した。
「あなたが、好きだからです」
最低の告白だった。
2日後の夜。
悠人は電車に乗っていた。夜の街で気晴らしに遊ぶためだ。もちらん周りに大吉はいない。
最低の告白は、もちろん最低の結末に終わった。大吉の顔から笑顔が消え、無言の、しかし雄弁な侮蔑・嫌悪が降り注いだ。それでも「ごめんなさい、あなたの気持ちには応えられない」大吉はそう言って頭を下げてくれた。悠人はそれだけで十分だと思えた。
自分でも驚くほど、未練が湧かない。何より胸が軽やかだ。もう何も喉には詰まっていない。影は綺麗さっぱり消え失せた。
今夜は夜の街のネオンの輝きに身を任せよう。電車が止まると、悠人は軽やかな一歩を踏み出した。
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