33.いつもの夜に
いつも通りの夜だった。
沢城 恭介(さわしろ きょうすけ)は夕食の準備に使った調理器具を一通り洗い終え、食卓についた。かけた時間は、おおよそ3分。料理は作りたてが一番だと言うが、彼は食事より洗い物を優先する。大した理由はない。ただ何となく、油を使ったあとのフライパンを放置するのが気になるだけだ。食事は多少冷えることになるが、それよりもさっと片付けた方がストレスは少ない。同棲パートナーの津川 学(つがわ まなぶ)にも、「あとでまとめて洗えばいいのに」と言われるが、好きなものは好きだから仕方がない。
一人、食卓に着く。
さんまの塩焼き、千切りキャベツ、切り干し大根、白米、玉ねぎの味噌汁。47歳になったが、献立は学生の頃からあまり変わらない。米の量が減ったくらいだ。
「いただきます」
恭介は手を合わせ、食べ始めた。まずは千切りキャベツに和風ドレッシングを。1年前の人間ドッグで、野菜から食べた方がいいと医者に言われた。彼はフリー・ライターをやっている。昼間は取材で都内のあちこちに出かけるし、徹夜も多い。体が資本の職業だから、健康面には気を使っている。
一口食べると、飲み込み終わるまで箸を置く。これも人間ドッグで言われたことだ。
時計を見る。
20:00、学から連絡はない。
金曜の夜だ。会社員は、今週の仕事をシメなきゃいけない。残業だろうか?
恭介は箸を手に取る。
学はIT系の企業に勤めており、プロジェクト・マネージャーをやっている。帰宅時間は21時前後。日付を超えるときは20時頃に連絡してもらうことになっているが、なしのつぶて。これもまたいつものことだが。
箸を置く。食べ物は取っていない。
いつからだ? と思う。
いつからだろう? こうして一人で夕食を食べるのが、いつも通りになったのは。
別に普通のことだ。2人とも生活のために一生懸命になって働いている。同棲する前にも分かっていた。それぞれの仕事を考えれば、生活時間がズレるのは当然だ。それくらい平気だと思っていた。
けれど、本当にやっていけるのだろうか。このままずっと、この調子でアイツと。
ふっと溜め息をつき、箸を手に取る。
そのとき、
鍵が開く音、廊下をノシノシと歩く音。
「ただいま」
「おかえり……ん?」
学が帰ってきたが、その手には見慣れないものがあった。
「花?」
「うん。オンシジュームって言うらしい」
「何で?」
今日は何の記念日ではない。
「ん~、何となく」
「何となく?」
「帰り道に花屋があるだろ。あそこで見つけて、綺麗だな~って。買うの、ちょっと恥ずかしかったけどさ」
「何が?」
「インターネットで見たんだけど、恋人への贈り物に花って人気ないんでしょ?」
恋人。唐突に出た言葉がゆっくりと、恭介の胸の底に落ちていく。
「それに急だし、ちょっと今さらかなって」
たしかに急だ。おまけに今さらだ。でも――
「でも、この花って綺麗じゃない?」
綺麗だった。黄色の花びらは「中年のゲイカップルの部屋にコレかよ」、そう自虐的になってしまうほど鮮やかだ。
「ああ、綺麗だよ」
「よかった。そう言ってもらえて。そうそう、花瓶ってあったっけ?」
「ないよ」
恭介は台所に集めておいた缶コーヒーの空き缶を手に取った。水を注ぎ、「貸して」と学からオンシジュームを受け取り、挿した。
「とりあえず、こうしておこう」
「う~む、交通事故の現場みてぇだな」
「たしかに。花瓶がいるな。明日は休みだし、見に行こうか」
「せっかくだし、ちょっとイイのを買おうぜ。ほら、そう言えば入ったことないけど、隣駅の商店街に食器屋があるじゃん? あそこに行ってみよう」
「いいな。けど、値段は財布と相談な。あと部屋の雰囲気も考えろ。大きさもな」
「うっし……! 週末は久々のデートだ」
何を不安に思っていたのだろう。全然大丈夫じゃないか。
ほんの一本の花で、恭介の不安は消えてしまった。代わりに浮かんだ悩み事は、
明日はデートだ。どんな服を着ようか。ついでに昼ご飯も外で食べようか。
「昼、出先で食べるか?」
「おっ、いいねぇ。俺、久々にラーメン食べたいな。この1カ月くらい抜いてたし」
「そうしよう。確か美味い中華そばの店があった」
そして週末、2人は一輪挿しを買った。オンシジュームは2週間ほどで枯れてしまい、次は恭介は代わりに大きなヒマワリを買った。すると学に「存在感がありすぎるだろ」と大笑いされ、ちょっとだけイラっと来た。しかし冷静になって見ると、そこだけ夏真っ盛りかよと気がつき、「たしかに」と一緒になって大笑いした。
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