32.打ち合わせ

白ハゲ漫画待ったなし!という気持ち。半年後にデビューを控える新人マンガ家“わび助”こと、矢崎 博之(やざき ひろゆき)の心はヘイトに支配されていた。怒りの矛先は、彼が描いたネームに意見する編集だ。

「このキャラクターにこういう台詞をこんな感じで言わせていいんですか? この子、臆病で等身大の10代って設定ですよね。そういう子が勇気を振り絞って、前々から怖がってた悪役に対して、その思想を否定するシーンなのに、口調もいつも通りです。コマ割りも表情も、ネームの段階とは言え、普段と変化がありません。これ、不自然じゃありませんか? それとも何か意図があるんですか?」

早口。しかし活舌は異常によく、耳にスルスルと入ってくる。声自体が綺麗で、2人きりの会議室に良く響いた。

さすがだな、と思った。毎度毎度この点だけは感心する。彼は少し前に声優をやっていて、BLドラマCDでドS役を何個かやったと。実際、彼の名前「篠原 涼(しのはら りょう)」で検索をかけるとwikiが出てきた。こんなに早口なのに一切噛まず、おまけに表情をピクリとも変えない。さすがお芝居をやっていただけのことはある。背も高く、顔もいい。今だってスーツが似合い過ぎて、そういう衣装の芸能人と話しているようだ。清潔感もあるし、パーカーにジーンズ、猫背でモジャモジャ頭とは正反対(そう言えば、最後に髪を切りに行ったのは何カ月前だろうか?)。「声優は、やりたい事と違ったから辞めました」と言っていたが、続けていれば売れただろうと思う。

涼の滑やかな喋り、完璧な容姿。博之は彼と会うたび、それら点には素直に感心する。

しかし、

「それと、その後のアクションなんですが、まず助けに来る主人公の登場シーン、前後の繋がりが変だと思うんです。位置関係的に、どういうふうに考えていますか?」

それ以上に「ウザい」と思う。担当になってもらって三カ月、打ち合わせは数十回、その度に厳しい“ご指摘”をもらう。まず世界観設定でモメて、キャラのデザインでモメて、ようやく描き上げたネームも、今まさにボコボコにされているところだ。

博之の怒りは限界に達しつつあった。

偉そうにダメ出しするけど、これはオレのキャラで、オレの漫画だ。オレが書いたものが正解なんだ。オレが生み出したキャラを、何でオレより分かったような顔で語るんだ。その上、ガンガン直せってか。おまけにアクションが分かり辛いだって? それはお前の主観じゃないのか。もう我慢できない。ここまでダメ出しばっかだと許せない。クソ編集に当たった白ハゲ漫画を描いてやる!

――と、憎しみの言葉はジャブジャブ湧いてくる。けれど博之は

「は、はぁ。そうですね……」

と答える。

何故なら編集に逆らうのは良くないからだ。こんなところで躓きたくない。やっと巡ってきた商業マンガ家になれるチャンスだ。ここでトラブルを起こして「アイツは使い辛い」と業界内で噂になって、干されてしまったら……。

「先生、はっきり答えてください。どうなんですか?」

「そ、それは、言われた通りだと思います」

すると涼が溜め息を吐き、押し黙った。

重い時間。時計の秒針のコチコチという音しか聞こえない。

どうやら決定的に怒らせた、博之は悟った。

そして長針が一つ動く頃、

「この際だから言わせてもらいます」

涼が言った。

「先生、あなたには――」

出た。いよいよパワハラのギアが一つ上がるのだ。「才能がない」か? それとも「商業でやる自覚がない」か?

「あなたには才能と技術があるんです。もっとズバズバ意見を言ってください」

「……へ?」

「やっぱり分かってないようですね。この数カ月、あなたと打ち合わせをしていて思いました。あなた、自信が無さすぎるんです。もっと堂々と自分の意見を言ってください」

涼の目つきがドンドン鋭く、厳しくなっていく。マジで怒ってるのは間違いない。

博之は焦る。

まずいぞ。何て言うのが正解なんだ? 褒められているのに怒られている。どうすれば――

「先生、もしかして干されるのを心配をしてますか?」

「はい」

……博之、痛恨のミス。

何があっても基本的に「はい」「はぁ」と答える悪いクセと、思っていたことを言い当てられたダブルコンボのせいで、普通に「はい」と答えてしまった。

「やっぱりですか」

涼は椅子に深く腰掛け、天を仰いだ。

彼が何をどう思っているか博之も一発で察した。怒らせるのを通り超えて、失望させてしまったのだ。

「い……いやいや、今のは違います。篠原さんを信用してないとか、そういうわけじゃないんですけど、そのっ、何て言うんですかね……」

しどろもどろ、その末に、博之はただ一言

「すみません」

また短針の音が聞こえてきた。

涼は天を仰ぎ、博之は俯いたままだ。

しかし、再び長針が動く頃、

「いいえ、謝るのは私の方です。先生のことを分かっていなかった。最初に思ったとき、早めに言っておくべきだったんです。そうすれば話がこじれることもなかった」

「は、はぁ?」

「先生、干されるのを心配してたじゃないですか。当然だと思います。タチの悪い編集は幾らでもいますし、新人の先生が心配して、警戒するのは普通ですよね」

「へぇ……いや、そんなことは……」

「気遣いが足りませんでした。白ハゲ漫画で叩かれる編集みたいじゃないですか。私」

見抜かれていた……!

博之は自分の胸が確かにドキンと鳴るのを感じた。

「でもですね、先生。意見は言ってください。すみませんが、私は察するのが苦手で、思ったことは口に出してもらわないと分からないんです。キャラの解釈、演出の意図、全ての正解は先生が握っています。私が言うのはあくまで意見です。先生の中で理由があるなら、それを尊重します。それに――」

涼は博之の目を見た。

「先生には才能があって、私は先生の才能に惚れています。だから一緒に仕事をしているんです」

博之は答える言葉が見つからなかった。自分の考えは全て伝わっていたし、言いたいことも全て言われてしまった。

「だから、思ったことは言ってください。私が的外れなことを言っていたら、『これはこうだから、そうじゃない』って遠慮なく言ってください。お願いします」

涼は頭を下げた。

「……こちらこそ、すんません」

博之も頭を下げた。

そしてーー謝るだけじゃダメだ、言わないと。

「篠原さんが言ったこと、ほぼ全部、正解です。オレ、心配してました。新人だし、最初からトラブル起こしたくないし。『違うんじゃないかな』と思っても、黙って直すようにしてました。でも、オレ……言いますよ。これからは。違うと思ったら、ちゃんと言います」

「いえいえ、私の配慮が足りませんでした。編集として、私が未熟だったけの話です」

「それを言ったら、僕だって未熟ですよ。新人ですし」

短針が軽快にリズムを刻む。

やがて涼は溜め息とも微笑が混じったような声を出した。

「フッ……謙遜し合っていては前に進めません。それよりも未熟者同士、知恵を絞ってやってみませんか?」

「はい、お願いします」

2人は原稿を見る。

「では、さっきの話に戻しましょう。このキャラの台詞の件ですが、クールに処理しているのは、どういう意図があるのでしょうか?」

――と、落ち着いた頭で“ご指摘”を聞き、初めて気がついた。

しまった、何も考えていない。

「すんません、特に考えてなかったです。ネームだし、こういうニュアンスのことを書きたいなぁくらいのテンションって言うか、ぶっちゃけ台詞を書いたとき、ちょっと寝不足なのもあって……」

「寝不足? 〆切が厳しかったですかね。スケジュールに見直しをかけますか?」

違う。スケジュールには余裕があった。初めて聞いたときに「余裕だ」と思った記憶も確かにある。けれど、今日までの自分の行いを振り返っていくと、寝不足になった原因はマンガではなかった。

「実は、友だちとモン〇ンしてて……」

「モン〇ン?」

「はい。モン〇ンです」

博之は思った。

やべぇ。これはオレ、もしかして……。

「それで、遊び過ぎて寝不足だったと」

「はい」

もしかしなくても、ダメじゃん。

「分かりました」

涼が深く頷く。

「……すみません」

ぐぅの音も出ない。言われるまで全く気がつかなかった。

博之は痛感した。よくフィクションで『怒りは目を曇らせる』と言うが、あれは本当だ。クソ編集に当たったと怒るあまり、自分の行いを全く顧みていなかった。溜まったストレスをゲームで解消していたつもりが、それで寝不足になって、イイ加減なネームを上げた。編集にも問題があったが、自分にも負のスパイラルを作る一因があった。

……何てこった、白ハゲ漫画にされるべきはオレの方だったんだ。

己への失望に愕然としながら、

「いや、そのっ、でもですね、ゲームをやったのは、いわゆるストレス解消と言いますか……」

今度こそマジで叱られる。考えないと、何でもいいから、納得してもらえる説明をーー

「いいですね。それを前提に考えましょう」

「はい?」

「私の経験上、〆切無視して遊ぶ人の方がイイものを仕上げてくれます。そういう部分は直さないでいいです。むしろ、ちゃんと遊べる時間を用意しながら、より良いものが作れるように考えましょう」

「遊べる時間を用意? そこまでしてもらうのは、悪いですよ。編集長とか、上とモメそうですし……」

「構いません。上には私から話します」

「聖人かよっ」

思わず博之は声が出てしまった。

すると涼は

「言ったでしょう。あなたの才能に惚れているんです。それに、あなたとこういう話をしたかった。建前なしで、物を作る話です。変に取り繕わないでください。いいものが出来るなら、あなたがダメ人間でも構いませんよ」

「だっ、ダメ人間は酷いですよ!」

力強く言い返すが、すぐに自身の行いがフラッシュバックする。

やらなきゃいけない仕事を放りだして遊んだ『モンスターハンター』。作業と言って友だちと始めたのに、いつ間にか酒が入ったスカイプ。仮眠と称した、ストロング系チューハイを飲んでの15時間睡眠。

「まぁ、ダメ人間なのは事実なんですけど……」

いきり立った直後なのに、力なく座り込む。

ダメじゃないか。オレ、全然ダメ人間だ。色々な行き違いがあってムカついたのは事実だけど、それにしたって普通にダメだ。何で今まで気がつかなったんだ? ……ああ、そうか。仕事の話を他人としてなかったからだ。友だちとは楽しい話しかしない。仕事の話題になっても、未デビュー組は愚痴と軽口、商業組は暴露話だ。家族とは人生とか将来とか、もっと大きくて曖昧な話をする。

強烈な自己嫌悪が博之を襲う。が、それを振り払うような勢いで、涼が頭を下げた。

「ごめんなさい! つい口が滑って。昔の癖というか、こういうことを言うキャラクターを演じることが多くて、つい……」

博之は思った。

この人のこんな顔、初めて見た。いつも怖いのに、本当に情けないと言うか、申し訳なさそうと言うか……。この人が、こんな顔をするなんて。

驚きと共に、安堵が芽生えた。目の前にいる人間は自分と同じ、ただの人間らしい。

「ダメ人間なんて、暴言でした。本当にすみません」

「いえいえ、こちらこそ。なんつーか、そのっ、えっと、だ、ダメ人間ですみません」

待て待て、「ダメ人間ですみません」て。この自己批判は何だ?

「いや、そこは気にしなくていいんですよ。先生、作るものが面白いですから」

どこまで寛大なんだ。ダメ人間はダメだろう。ダメだからダメ人間なんだし。

「いや~気にしないとダメでしょう。オレ、もうちょっとマトモになります」

「だからマトモになっちゃ困るんですよ」

「でも、ダメ人間は嫌ですよ」

「う~ん……ダメ人間はやめてもいいですけど、それで面白いものは書けますか?」

「えっと……」

どういう質問だ。考えたこともないが……いざ考えると分からない。むしろ、これはとても難しい質問だ。自分が今の自分でなくなったとして、今より面白いものを作れるか? 哲学だよ、これ。

そんなわけで、しばらく悩んだが――。

「分かりませんか?」

「はい」

涼の出した助け舟に、ささっと乗り込む。

「でしたら、今のままの方がいいですよ。変わるのは変わるべきときにしましょう」

「はい」

この件は現状維持がベターだろう。それより、今はとにかく――。

「お互い面白いものを作ることに集中しましょう。それじゃ、原稿についてなんですが、先ほどの台詞の件は――」

「直します」

「え?」

驚く涼。その顔を見て博之は確信する。

こいつは自分と同じ人間だ。失敗もすれば、反省もする。こちらが急に態度を変えれば驚く。それに自分がダメ人間であることも知られた。今さら何を取り繕う必要がある? もうあれこれ考えるのはやめだ。思った通りに喋る。言われた通り、堂々と喋ってやる。

「オレ、篠原さんに言われた通りで、特に考えてなかったし、話を完成させることに精一杯で……たしかに言われてみれば、おかしいと思います。ネームですけど、細かいところが全然詰められてない……だから、他に気になったところも全部教えてください!」

「先生……分かりました!」

「はい!」

博之は力強く答える。

仕事が増える。面倒なことが増える。遊べなくなる。けれど妙に清々しい気分になった。何かが気に入らないと感じながら仕上げたイラストを、思い切って全削除したような気分だ。築き上げてきたものは消えたが、間違いなく新しいものに取り掛かれる。それが素晴らしいものかどうかは分からないが、今までと違うものになることは確かだ。

博之は胸の高鳴りが止まらなかった。

そして、この思いは目の前の男も同じだろうと思った。何故なら涼の目は今まで見たことがないほどキラキラ輝いていたのだから

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