27.オークション

視界が開けた。しかし全身が恐怖に震えた。

八神 栄斗(やがみ えいと)は、もう何が何だか分からなかった。そもそも、ここに至るまでの記憶が所々が欠けている。

最後に覚えているのは、いつも通り高校から家に帰ったところだ。玄関を開けて食卓へ――と、見慣れない紙切れ。両親の名前と何やら文章が。置き手紙だった。

「栄斗、ごめんなさい。お父さんとお母さんは凄く大きな借金をしてしまいました。先方と話し合ったのですが、お前を売ることになりました。本当にごめんなさい」

……は? と思った直後、全身に激痛が走った。バシシシという電撃の音も聞こえた。

次に目が覚めたときは真っ暗だった。何も分からない、何なんだ?

朦朧とする意識。だけど自分が全裸なのに気がつくころ、

チクッ。

今度は二の腕に痛み。注射針だと分かったら、また意識が飛んだ。

次に目が覚めたとき、歓声が聞こえた。相変わらず自分は裸で、それどころか首と両手足に、ひんやりとした金属の感触。これは首輪と手錠と足かせだ。そう思ったとき、地面が動いた。自分は台車に乗せられているのか? 「わっ、わっ」と声を出すが、体の自由がきかない。でも耳は聞こえる。

「会場にお越しの皆さま! 支配人の私が自信を持って最初にご紹介するのは……なんと! 国産品! まぎれもない日本産の少年でございます!」

よく通る中年男性の声が聞こえ、地面が――台車が止まった。

「憐れな少年! 彼は親に二束三文で叩き売られ、このステージに流れ着きました! まさに現代日本の貧困を象徴する存在と言っていいでしょう! さぁさぁ皆さま、彼に夢を! 彼の価値はたかだか三桁万円ではないことを教えてあげてください! 皆さまの善意を、ありったけの善意を彼に注いであげましょう!」

よく通るが、なんて嘘くさい声なんだ。芝居がかった口調のせいか。

――と、次の瞬間、視界が開けた。頭に袋を被せられていたのだ。同時にあの声の主が、思った通りの中年男性が、ひときわ通る声でまくしたてた。

「ご紹介しましょう! 今日最初の品物は、八神 栄斗! 日本人、16歳、身長は165センチ、56キロ! 病気なし! 異性・同性との交際経験なし! 整形なし! タトゥー・ピアスもなし! 正真正銘、無垢な美少年でございます!」

何がなんだか分からない。けれど栄斗はぞっとした。

思った通り裸の自分、首・手・足に嵌められた、黄金色のドッシリとした拘束具。そんな自分が、サーカスをモチーフにしたステージの中央に投げ出されている。さらにそれを見つめる百人近い好奇の視線。舞台袖には、同じく裸で拘束具をつけられた少年・青年たちが見えた。大半はアジア系だが、中には金髪の外国人までいる。

これ、何だ?

ダンダン!と、木槌を叩く音がした。

あの中年男性だ。口ヒゲにタキシード。両手には白手袋をはめて、いかにも紳士然としている。笑顔は太陽のように明るいが、目は全く笑っていない。

栄斗は徐々に分かってきた。

おいおい。まさか今、オレって――

「それでは最低価格1000万から!」

売られているの!?

気がついた瞬間、つまりは競りが始まった瞬間に、電話を持った男が手を上げた。

「1200!」

彼の一言をキッカケに、続々と、

「1300!」

「1350!」

「1500!」

男の声も、女の声も、カタコトの声も。とにかく数字はドンドン吊り上がっていく。栄斗の混乱を置き去りにして。

え? え? 1500って? 万円、万円なんだよね? オレって今、1500万円で売られるの? って言うか、売られたらどうなる――

「2000!」

1500に被せるように女性の声が。すると最初の携帯電話の男、電話先の相手にだろうか? うんうんと頷いたあと、

「3000!」

一瞬の沈黙。しかし、支配人はすぐさま熱気を煽る。

「3000! 素晴らしい! 彼の両親が受け取った額より、ジャストで0が一つ多い! 素晴らしい値段がつきました! つまりは10倍! どうです? 嬉しいでしょう?」

支配人が栄斗に尋ねた。

いや、嬉しいも何も――

「では! 3000万円! 3000万円より上はいませんか!?」

無視された。だったら最初から聞くな……いや、最初から答えなんてどうでもいいんだ。ワケが分からないけど、きっと肉屋に並ぶ牛だって、何で自分がグラム幾らで売られてるか、その理由なんて分からないだろう。オレは今、商品なんだ。

「いない! 素晴らしい! ちょうど10倍と言うのがイイ! キリが良いのは何よりです! きっと彼も満足したことでしょう! では、3000万で――

「5億!」

「えっ」

は?

ザワッ。

支配人、栄斗、会場の空気が一つになった。

何だ? 今、何て言ったんだ?

「きっ、聞こえませんでしたか? 5億です」

一人の男が立ち上がるのが栄斗にも見えた。

若い。会場にいるのは圧倒的に中年以上、50代より上だ。しかし、その男は若かった。20前後、おまけに背が高く、スタイルも抜群だ。やや緊張気味だが、華のある男だ。きっとこういうヤツがモデルか俳優になるんだろうと栄斗は思ったが、すぐにまた冷静を失った。もっと大変なポイントがあったからだ。

こいつ、今なんて言った?

「お客様、5億と仰いましたか?」

支配人が栄斗の思いを代弁してくれた。

しかし、男は続ける。緊張はしているが、声の震えは止まっていた。

「はい、たしかに言いました」

「いっ……ゴホン! いえいえ! とんでもない! とんでもございません! ごっ、5億、5億ですねぇ!?」

支配人の声は裏返っていた。会場は更にザワついた。自分が売られていることしか分からない栄斗だったが、これがこの集まりでも非常に珍しい状態なのだと察した。

「5億、本当によろしいのですね?」

支配人は「他にいませんか?」とは言わなかった。確かめるまでもない、ぶっちぎりの値段なのだろう。

栄斗の中にあった自分が売られているという恐怖を、それよりもずっと大きな「?」マークが覆い隠した。何でそんな値段が自分に? って言うか、そもそもこの人は誰?

「で、では、5億で落札!」

支配人が裏返った叫びと共に、木槌を振り下ろす。

パーン!

……あれ?

落札を知らせる、あの木槌の音じゃない。もっと軽い音だ。これは?

栄斗が支配人を見ると、支配人の額から赤い何かが飛び出していた。紐みたいな……かと思ったら不定形だ。それに額だけじゃない。後頭部からも出ている。頭の前後からパッと出てるんだ。でも、よく見るとネバっとしていて、ああっ分かった。これは赤い液体だ。

そして栄斗は気がついた。

いやいや! 血じゃん!

何かが支配人の頭をブチ抜くと、会場中から悲鳴が上がった。

何、何、今度は何なの!?

栄斗があたりを必死で見渡すと、鬼のような顔をした白人男性が向かってくるのが見えた。身長190センチはありそうな、大柄な男だ。そいつは栄斗に「5億」とつけた男も簡単に押しのけ、ステージへ真っすぐ向かってくる。ブルドーザーのように会場にいた人々を割る、その手には――拳銃!?

「待てやコラァ!」

明らかにカタギでない声が上がった。完全なるヤクザだ。そのヤクザは白人男性に組み付くが、一秒後、

「ぐげぇ」

ヤクザは白人男性の肘打ちに倒れた。顔面、鼻を潰されたのだ。

会場の至る処からヤクザの怒声が聞こえてくるが、白人男性は歩みを止めない。それどころか軽快にヤクザを銃で撃ち抜く。人がごった返しているのに、発砲に躊躇いはない。しかもその銃撃は恐怖を忘れるほど正確だ。針の穴を通すように、ヤクザの頭に1発、胸に2発、計3発の銃弾を撃ち込んでいく。人波に逆らい、障害物を最小動作で処理して、白人男性はステージの上、栄斗の前に立った。

誰? 何? これ――

戸惑う栄斗の首輪を掴み、まくしたてる。彼が発したのは日本語ではなかった。

これは、えっと、英語? マズイぞ、何て言ってるかよく分からん! こんなことなら英語の授業をもっと真剣に受けときゃよかった。いや、うちはバカ学校だから真面目に受けても知れてるけどさ。それでも真面目に受けていれば違ったはずだ。

命に関わるリスニング・テスト。辛うじて聞き取れたのは。

『ブロンド』……金髪?

『エイティーン』……18歳?

『マイ・サン』……私の息子?

思い当たる節があった。

そうだ、舞台袖にいたヤツ、オレと一緒に競りにかけられるはずのアイツだ。

「ザット、いや違うか、えっと、あ、あっち!」

困ったときのボディランゲージ。とりあえず指を指す。白人男性はその指先を見ると破顔して、

「Thank you !!」

金髪の少年の所へ走って行った。

栄斗は彼を見送ると――生まれて初めての経験をしすぎた。拉致され、全裸で人前に曝され、自分を売り物にされ、最後は銃撃戦が起きた。悲鳴と絶叫が鳴り響く中にも関わらず、栄斗はとんでもない疲労感と睡魔に襲われた。

緊張の糸が切れるって、こういうことか。

初体験を済ませ、栄斗は倒れた。


……事件から4年が経った。


大学生になった栄斗は、今、刑務所の面会室にいる。会いたい人間がそこにいるからだ。

あの事件は国を揺るがす大事となった。人身売買組織が主催する闇のオークション。世界中から集まったワケありの人間を品物として、競り合い、競り落とす。この現実離れした事件は世界中の注目の的になり、当然オークションの参加者も話題になった。世界各国の大企業の代表、現役の政治家、慈善事業家や貴族、独裁者、アーティストまで関わっていたのだ。もちろん彼ら/彼女らにも捜査の手は及んでいるし、逮捕者も出ている。捜査は今なお進行中だ。そしてオークションを主催していた組織の長があの場にいて、銃撃戦の中で死亡、組織自体も壊滅した。

しかし、分からないこともあった。あの白人男性の正体だ。

公式発表は「かねてから組織の捜査を進めていたアメリカ政府が、日本の警察と連携して突入・摘発し、その際に銃撃戦になった」となっていた。だが、栄斗は確かに目撃した。最初に突入して来た男は1人だったし、「捜査」ではなく、明らかに「息子」を探していた。このことは警察にも話したが、「それはアメリカの捜査官だ」の一点張り。それ以上の説明をしてもらうことができなかった。やがて栄斗は聞いても無駄だと悟り、あまり考えないようにしたが……やはり、この場所に来ると思い出してしまう。あの白人男性は、いったい何者だったのだろう? タダ者じゃなかった。射撃の腕は勿論、格闘技術も相当なものだ。暴力を振るい慣れていた。格闘家とかヤクザとか、そういうものじゃない。戦闘、それも相手を殺すことを前提にした、高度で専門的なスキルを持っていたのは確かだ。

そんなことをぼんやり思っていると

「お待たせしました」

面会の相手がやってきた。

「また会えるとは思いませんでした」

栄斗の前にいるのは、あのとき5億と言った男だ。

彼の名前は柊 雅和(ひいらぎ まさかず)。とある大企業の社長であり、総資産は四桁億円に達する。親から受け継いだ会社を更に成長させ、“高卒の敏腕社長”として名を馳せた。しかし、あの事件で彼は逮捕/投獄された。刑期は5年。

栄斗にも容易く想像がついた。罪の内容を考えるに、雅和は出所しても元通りには戻れないだろう。社会的には死んだと言ってもいい。実際、もし自分と無関係なところで起きた事件なら、栄斗も彼が社会的に死んで良かったと思うだろう。

「最低な再会ですね」

雅和はそう言って頭を下げた。栄斗は彼を「この犯罪者!」と罵る気持ちにはなれなかった。理由の一つは、自分に5億円の価値を見出してくれたこと。もう一つは、

「いや、どんな形でも会えてよかった。それで、早速ですけど、この手紙の話をさせてください」

栄斗は手紙の束を鞄から取り出した。

「さだ〇さしの歌じゃないですけど、あなたの優しい気持ちはとてもよく分かりました」

あの日から毎月末、たとえ裁判の真っ最中でも、雅和は手紙を送ってきたのだ。それは謝罪文であり、恋文だった。最初の手紙を読んで栄斗は知った。あの日以前から、雅和は栄斗に恋をしていたと。

栄斗自身も思い出せないほど昔の話。まだ中学生だった雅和は、家を抜け出して繁華街に遊びに出かけた。そこで不良に絡まれたそうだが、当時小学生だった栄斗が助けに入ったという。栄斗は中学生3人に立ち向かい、雅和に「逃げろ!」と叫んだそうだ。

「そして私は恋に落ちたんです。君は頼もしくて、カッコよかった」

雅和からの手紙にはそう書いてあった。

助けられた雅和は栄斗を探して見つけ出し、ずっと告白の機会を伺いながらも、一歩が踏み出せずにいたと言う。

「私はただ、君が元気に暮らしているのを見ているだけで満足していました。だけど君が拉致されて、何処かへ連れていかれたと報告が入りました。私は状況を把握して、君を救うために動きました。誤解があるかもしれませんが、お金で解決できる問題だと分かったときは人生で一番ホッとしました。

ただ、あんなことになるとは想定していませんでした。あの外国人が誰なのか? それは私にも分かりません。あらゆる手を使って調べさせましたが、国内は勿論、ホワイトハウスにも情報がなかったんです。

失礼、話が逸れました。彼が何者だったかはどうでもいいことです。大事なのは君が助かったこと。それが何よりだと思っています。だから、これからも自分の人生を元気にすごしてください」

この手紙を初めて受け取ったときから、栄斗は雅和に会おうと思った。そして翌月、翌々月と毎月届くたびに、その気持ちは強くなった。

「……来てもらってすみませんが、何を話せばいいのか分かりません」

雅和は顔を真っ赤にしている。

「手紙にも書きましたけど、初めて会ったあの日から、ずっとあなたを見ていました。でも、面と向かって話しかける勇気は出せなかった。フッ……冷静に考えるとストーカーですね」

また雅和は俯いた。

「何でもいいですよ」

「え?」

栄斗は続ける。

「何の話でもいいです。刑務所の暮らしでも、好きなメシの話でも、とにかく何でもいいです」

出会い方は最悪だった。監視されていたのもどうかと思う。だけど、彼は彼なりに自分を助けるために奔走してくれた。そのことが嬉しかった。

「恋人になれるかどうかは分かりません。でもオレ、あなたと話はしたいです。あなたを知りたいです。いいですか?」

返しは即答だった。

「もちろんです!」

雅和は笑い、栄斗も笑った。

さてさて、何から話そうか? 栄斗は考える。近況、昔話、話題はたくさんある。だが、やはりどうしても話題はアレになる。オレたちは2人揃ってアレを見たのだから。

「ところで、アイツは何だったんでしょうか?」

「手紙にも書きましたが、ホワイトハウスにも情報がありませんでした。正解は分からないと思います。ただ、想像はできる」

「ですね。オレ、あの感じは元・殺し屋かな〜って思ってます。物凄い伝説の殺し屋が、誘拐された息子を助けるために再び銃を取った的な、そういう」

栄斗の説を聞いた雅和は、顎に手をやり、少し考えた後、

「いや、あれだけ公式に情報が出ないところを見ると、政府にコネがあるとも考えられます。よって私は息子を奪還に来た元・特殊工作員だと思いますね」

「あ〜〜、そっちのパターン! このどっちかですよね!」

「いや、もしかすると単純に異様な戦闘力を持っている一個人かもしれません」

「範◯勇次郎みたいな? なるほど、それもあるかも」

栄斗は分かっていた。この話の答えは絶対に出ないし、夢だけが膨らんでゆく話題だ。でも、そう言う話をするのって、何でこんなに楽しいんだろう? 栄斗の脳裏をそんな疑問がチラつくが、それよりも自説を語りたくて仕方なかった。

「あ、もしかするとーー

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