25.決闘
斬らねばならん男がいる。惚れた男だ。
同じ道場で汗を流し、木剣で打ち合い、互いを高め合った。安形 良兵衛(やすがた りょうべえ)は間違いなく私の人生の一部だ。彼と肌を重ねたのは一時の迷いではなく、必然だったと断言できる。あの日より数年。私は妻を持ち、子を持った。しかし、良兵衛と共に過ごした日々の方が遥かに輝いて思える。これは紛れもなく事実だ。
しかし、お前は真っすぐ過ぎた。不器用だと言い換えてもいい。
我らが藩主は確かに暗君であった。権力を傘に、数え切れぬ暴挙を犯した。藩士の男からは妻を差し出すように命じ、ただ気に入らん時に目に入ったというだけで、道行く者を斬った。戦国の世ならまだしも、今の世界においてあの御方は異形でしかなかった。存在自体が許されるものではなかったが、しかし斬り捨てるのは許されない。我が藩全体の失態となる。下が上を斬ることを認めれば、反逆を許してしまったなら、それは辿り辿れば徳川に弓ひくこと。藩の中での上下すら管理できないとなれば、我が藩はどうなるか分からん。この始末はつけねばならない。だからお前は、斬られなけねばならないのだ。
そして良兵衛、お前を斬れる者は私しかいない。この加賀 半十郎(かが はんじゅうろう)しかいないのだ。私はお前の剣を誰よりもよく知っている。藩主を斬ったとき、お前は少しも腕が鈍っていなかったな。あの場にいた全員、私を含む全員が、お前の抜刀の瞬間を視界に収めることができなかった。気がつけばお前は刀を抜き、我らの驚きの声と共に、藩主の首を斬り飛ばしていた。剛健で真っすぐ、お前らしい太刀筋だった。上は藩総出で山狩りをすると言っていたが、そんな真似をしても、いたずらに死人を出すだけ。死にたくない者らを斬らせるわけにはいかぬ。
だから、私がお前を斬る。お前がどこに隠れているかも分かっているぞ。待っていろ。もうじきに着く。
斬らねばならん男がいる。惚れた男だ。
同じ道場で、同じ師から剣を習った。懐かしい日々だ。互いの顔が腫れ上がるほど打ち合い、競い合ったな。思えば俺が惚れたのは、お前とああして全力でぶつかり合ったからだ。加賀 半十郎よ。お前はあの頃から、真っすぐで、それでいて自分を取り繕うのが上手い男だったな。
覚えているか? お前はいつも大人しかったが、一度火が点くと、まるで人が変わったように凶暴になったな。与太者と喧嘩になれば、まず俺が手を出し、お前は仲裁に入り、最後は2人揃って相手を打ち負かしたものだ。まずは取り繕おうとする性格、お前の唯一の欠点だ。自分のことを冷静で、理屈で動く男だと勘違いしている。たしかに普段のお前は礼儀正しい。城に入ったあと、お前の方が出世したのも納得している。上に逆らうことをせず、自分を偽るのが上手いからな。
しかし、いくら取り繕っても俺には分かっている。お前は上の人間、特にあの藩主の行いに不満を溜め込んでいると。
あのとき、恐らく俺にだけ分かっていたのだろう。あの藩主が「鷹狩」と称し、行きすがら拾った幼子に鷹をけしかけたとき、お前は激昂していた。お前自身も気がついていなかっただろうが、お前は刀に手をかけていたのだ。あの場ではなくとも、いずれお前は手をかけた刀を抜き、ヤツを斬っただろう。あのとき俺がお前より早く刀を抜けたのは、そのことに気づけたからだ。もしお前がそのつもりだったなら、きっと俺よりも速く刀を抜き、あのぼんくらを叩き斬っていただろう。ぞっとしたが、胸が高鳴ったぞ。お前はやはり、お前のままだった。だが、そのせいで……。
あいつの首を飛ばす直前、俺に一つの後悔が生まれた。お前と真剣勝負してみたい。お前と俺、どちらが上かハッキリさせよう。どうせ俺は死ぬのだ。数に任せて攻め寄せられれば、俺とて敵うわけもないだろう。ぼんくらの兵どもにタダで殺されるつもりはない。二桁は道連れにしてやるつもりだが、お前のことだ。きっと余計な犠牲を出さぬため、一人で俺を斬りにくるだろう。そしてその場所は、肌を重ね合ったこの場しかない。俺たちだけの秘密の場所だ。お前を斬ることが出来たなら、俺はもう何の悔いもない。満足して死ねるだろう。
「いるのだろう?」
「おう」
緑豊かな静かな森が、太陽のせいで沸いていた。木漏れ日などという生易しいものではない。地面を焦がすような光だ。
良兵衛と半十郎は向かい合った。刀を抜き、互いに上段で構える。言葉は無用、始まりの合図も無用。ただ睨み合ったまま、時が来るのをじっと待つ。そして――。
不意に涼風が吹き、真っ赤な水柱が一つ、二つ、森を濡らした。
涼風が通り終えると、1人は倒れ、1人は刀を杖代わりにして立っていた。
「浅くはない……」
半十郎の意識に生まれて初めての感覚が押し寄せてくる。胴体に一文字に刻まれた大きな傷。その傷から流れ落ちる血の流れに逆らって、まるで地を這う蛇なように、不思議な感覚が体内に侵入してくる。もはや立つこともできず、膝をつく。
ふと半十郎は、地に伏した良兵衛の顔を見た。はらわたを撒いて、血液と泥まみれだ。しかし、その顔は――。
「こいつ、満足そうな顔をして……」
事情は分からない。しかし、何故か、否、惚れた男の笑顔を見ることができたのだ。嬉しくない筈がない。
「お前は、そうか、満足したのだな」
曖昧な意識。すでに痛みはなく、全身の感覚も消えた。考えることもできない。しかし、一つだけ確信できる想いがあった。「私も、こうなる」そして半十郎は倒れた。
満足気な微笑みを浮かべたまま、2人の男は二度と動くことがなかった。
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