24.大盛りチャーハン
人は必ず腹が減る。嬉しい時も、悲しい時も、どんな時でも腹が減るように出来ているのだ。
「炒飯、大盛りで」
ある夜の閉店間際、久しぶりに現れたそいつは、メニュー表も見ずに言った。
「あら? 先生、ご無沙汰」
再会の言葉。しかし「ご無沙汰」という言葉には、一つまみの悪意はあった。だってこいつは自分を捨てた男なのだから。
八杉 健太(やすぎ けんた)は北九州で定食屋をやっている。28歳で、店は父親から譲り受けた。得意なのは唐揚げと炒飯。調理場ではバンダナで隠しているが、髪は金に染めている。定休日の水曜には、入院中の父親に会いに行き、母親の墓掃除に行く。墓掃除は半分ほど趣味になっていて、いつもピカピカに磨き上げていた。
そして健太が「先生」と呼んだ男は田中 雄介(たなか ゆうすけ)。健太とは小学生から大学まで同級生で、親友で、恋人だった。つい一年前までは。
健太は中華鍋を取り出し、火にかける。温まる間に具材の準備だ。まずは卵を溶く。ウィンナーを4本、いや今日は6本にしてやろう。6本のウィンナーを1センチの厚みに切る。あとは細かく刻んでおいたタマネギを冷蔵庫から取り出し、具の準備は終わった。安さと早さ最優先だ。
一年前。雄介は別れ話を切り出してきた。そのとき健太が出した
「なんで?」
あの子どものような間抜けな声は一生忘れられないだろう。
「オレ、東京に出る。編集から声かかって、雑誌でマンガを描くことになったんだ」
健太は知っていた。雄介は漫画家を目指して、中学生の頃から努力していたことを。だから小学生の頃から彼は雄介を「先生」というあだ名で呼んでいた。雄介が本格的に投稿を始めると、描き上げた原稿を読んだこともあるし、辛辣な編集からのダメ出しに「こいつブチくらしてやろうぜ」と共に怒ったこともあった。
大学を卒業した後、健太は東京の会社から内定をもらっていたが、父が倒れたので内定を蹴り、店を継ぐことにした。
一方の雄介はバイトをしながらマンガの投稿を続けていた。毎晩のように店に来て、何時間も居座って原稿を描いていた。「実家にいると家族の目が痛いから」という理由だった。だから健太は知っていたのだ。彼がこのチャンスに人生を賭けていることを。上京するのは当然だろう。
「でも、なんで別れるんだ? 遠距離恋愛でもいいじゃんか」
「ごめん。オレ、マンガに集中したいんだ」雄介の目は真剣そのものだった。
「オレがやるのは週刊連載で、原作付きだ。個人的な時間は、ほとんど無くなると思う」「そんなん、仕事なんてみんなそうじゃん。俺だって自分の時間はないわ。店の仕込みはもちろんあるし、親の面倒もあるし」
「違うんだよ、健太。オレは違うんだ。これからはマンガだけに集中したい」
健太は悟った。雄介はマンガが大好きだ。そして遂に、雄介はマンガと添い遂げることを選んだのだ。
分かってしまったから、無駄な問いかけだと承知だった。それでも聞き直さないと気が済まなかった。
「どうしても別れんとダメか?」
「ごめんな」
健太は、もうどうにもならないと理解した。
それがちょうど一年前だ。
充分に熱くなった中華鍋に、まずは大漁の油を流し込む。ちょっとした天ぷらが作れるような量の油は瞬時に熱され、パチパチと音を立てる。そこにまずは具を放り込み、かき混ぜた。あっという間にウィンナーとタマネギに熱が通る。次に溶いた卵を流し込み、少し固まってきたのを見張らかって、冷や飯を放り込んだ。あとは醤油・塩こしょう・鶏がら系の中華だしの素をしっかり振って、かき混ぜる。ウィンナーの焼ける匂い、鶏がら系の匂い。すでに色々な食べ物の匂いが充満している店内に、ひときわ濃厚な匂いが漂い始める。
そして、雄介が呟いた。
「先生じゃないよ。オレは、もう先生じゃないんだ」
雄介はワンカップの瓶に水をそそぎ、一気に飲み干した。
「連載、打ち切られたし」
そう言って、まるでビールでも一気飲みしたような深いため息を吐いた。
「単行本の作業もひと段落で、しばらく休みになって、久しぶりに実家に来たんだ。それで……それでなぁ」
消え入るような雄介の声。しかしーー。
ことん、ことん。
それを陶器の器を並べる音がかき消した。準備が出来たのだ。
健太は炒飯の肝はコゲだと考えている。米の2~3割がパリパリになるのを目安に、炒飯を炒める。その直前にお椀と皿を並べる。まずはお椀に出来上がった炒飯をよそい、型が取れると皿の上に引っ繰り返す。大盛り炒飯の出来上がりだ。
湯気の立った炒飯を雄介に差し出す。
「で? まさか寄りを戻しに来た?」
また意地悪を言った。けれどマジに捉えられるのは嫌なので、わざとらしく笑いながら付け足した。
「冗談だよ」
雄介は顔を上げた。その顔には少し呆れたような、バツが悪いような微笑みがあった。
「あ、当たり前だろ。そんなカッコ悪いこと、しないよ」
「良かった。今さら寄りを戻そうなんて言われたら、オレ、お前をブン殴ってたかもしれん」
「だろうな。逆の立場だったら、オレでもそうする。でも――」
雄介は唾をのんだ。炒飯のせいか、緊張のせいかは分からないが。
「謝っておきたい。別れるにしても、アレは……さすがに身勝手だったと思う。それに、せっかくお前が送り出してくれたのに、オレは三カ月で打ち切りだ」
雄介が鼻水をすすった。
「頑張ったよ、本当に。毎日1~2時間しか寝ないくらい、頑張ったんだ。でもダメだった。三カ月、あっという間だったけど、本当に……キツかったし、情けなかった。お前と別れてまで始めたのに、全然結果が出なくて、オレは――」
「炒飯、冷めるぞ」
健太は炒飯を指さして言った。
まだ湯気を立っている。
「先生、なんか悩んでるな? ちょっと今から店を閉めるわ。明日も休む」
「なんで?」
「お前の話を聞きたいから。それと明日は三食、美味いもん食わせてやる。他の客には悪いけどな」
「健太ーー」
「いいから炒飯を食えよ」
雄介は返す言葉を見つけられなかった。ただ、健太に促されるまま炒飯をレンゲに一盛りすくって、口を運ぶ。
油でパラパラになった米の食感。少しだけ焦げていて、固い。塩は多め。鶏系の調味料、数枚のウィンナーの味も強いが、卵は半熟で優しい歯ごたえ。……美味い。それだけは間違いない。
そして雄介は気がついた。「そうだ、そうだったんだ。オレは凄く腹が減っていたんだ」
健太は店の外に出て、ささっと看板やノレンをしまいこむ。いつも通り片付けていくが、しかし雄介の方を見ないようにした。彼が炒飯に手を出そうとしなかったとき、その瞳に涙が溜まっているのを見たからだ。しばらく放っておいてやろう。だけど、その前に一つだけ言っておくか。
「色々あるだろうけどさ、まず食べるもん食べてから。……だろ?」
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