21.雪の夜に

雪が降り始めた。福岡では少しだけ珍しい。公園を歩く家族づれや、ランニングをする人々、誰もが立ち止まって空を見上げる。その2人のうち、1人もそうだった。

「寒か思っとったら、こら雪ばい」

掌に落ちた雪の粒は、すぐに溶けて水に変わる。山吹 啓太郎(やまぶき けいたろう)は既に水滴となったそれをベンチに座った男に見せた。

「ほれ」

しかし男は、河合 隆太(かわい りゅうた)は表情を変えなかった。

「んなこと見れば分かるっちゃ」

「反応薄かねー。こげな日に雪ば降り出したんよ。テンション上がるらんと?」

「上がらん。きさんは犬かちゃ」

「はははっ、彼氏を犬ば言うか。やっぱ博多の人と違うわ。キタキューの人は心が荒れはてとる」

啓太郎の笑顔を見ると、隆太は初めて微笑みを浮かべて言った。

「うっせぇちゃ。バーカ」

そして啓太郎はまた笑った。

「ま、しかしこげな上手くいくとは思わんかったな。お互い、いい親を持ったな」

「あれはいい親とは違う。無関心ちゃ」

「お前、ご飯を奢ってもらったのに、そげな言い方はないやろ。むしろ俺ん家の方がバタバタ大騒ぎして、みっともなかったわ」

「そんな言い方すんなちゃ。あんなに気を使ってくれて、うちとは大違いや」

2人は今日、互いの家族に自分たちがゲイであること、恋愛関係にあること、大学2年から後に同棲して、そのままずっと一生添い遂げるつもりだと話しに行った。啓太郎が博多から北九州の小倉駅へ新幹線に向かうとき、冷や汗と震えが止まらなかったし、隆太の顔も強張っていた。きっと厳しい一日になると思っていたがーー。

隆太の両親は「おおっ、そうなんかおめでとう」と言って、昼飯に焼肉を奢ってくれた。心地よく満ちた腹と拍子抜けした背中で新幹線に乗り込み、今度は啓太郎の実家を訪ねたのだが、そこでも2人を歓迎が待っていた。母に至っては、今夜はスキヤキだと言って、中2の妹を連れてワザワザ買い出しに出た。そして2人はまたも満腹になり、腹ごなしの散歩に近所の公園まで出かけたのだ。

「隆太、やめよう。互いの親をディスっても何もいいことないわ。これ」

「みたいやな」

雪が降る。乾燥した、積もる雪だ。いよいよ福岡では珍しい。ひょっとすると、明日には積もっているかもしれない。

「隆太〜。寒いし、帰ろうや」

そう言って啓太郎は手を差し出した。

「なんかちゃ、この手」

「手、繋いで帰ろう」

「バカ、恥ずいちゃ」

「え〜、いいやん。付き合ってんやし、今さら手くらい、なんで恥ずかしがるん?」

「手なんか繋がんでも、オレら恋人やろ。オレは見せびらかす趣味ないから」

はっと伸ばした手が固まる。恋人なんて、恥ずかしいことを言う。啓太郎は思った。

「そうやな、恋人やからな。と、ともかく。うちに帰ろう」

「いや」

そこ否定する? 手はいいけどさ。

「やっぱ繋ぐか。手」

隆太が手を差し出した。

「なんで気が変わったと?」

「ちょっとな。確かめたいんちゃ」

確かめる? 何を?

「さっきは恥ずかしいから誤魔化したけど、たしかにオレらイイ親に恵まれたっちゃ。でも、世の中ああいうヤツらばっかやないんちゃ。ムカつくけど」

隆太の声が少しだけ普段より弱く感じた。

「オレ、ぶっちゃけ今日は親からお前を守ろうって思っとったんちゃ。酷いこと言われたら、ブチくらす位に考えってた。けどさ、あれやったやん? よかったし、いや、本当に良かったんと思うんやけど、逆に不安ちゃ」

啓太郎は、隆太の言うことが何となく分かった。

物事が上手くいきすぎていると、何となく不安になるものだ。特にこれまで厄介なことばかりだったから。友人と疎遠になったり、何となく噂になって、サークルで腫れ物を扱うような雰囲気になって、2人揃って抜けたりもした。ああいうのを経験すると、苦難があって当たり前のように思ってしまうし、無かったら無かったで逆に不安になる。だって、

「それな。オレも似たような感じ」

自分も同じ気持ちだから。そう言って一歩、隆太の前に出る。

「やっぱ付き合いが続くわけやなあ。似たように考えるもんやね」

「オレ、分からんから、確かめときたいんちゃ。これから一緒にいるって言ったのに、人目ば気にして、お前といるのが嫌になったりせんか。だから、手をつないで確かめーー」

次の瞬間、啓太郎は隆太を抱きしめ、キスをした。力強い、無理やりと言っていい抱擁。しかし僅かに、啓太郎の体が震えているのを隆太は感じた。キスだっていつもと違う。まるで初めてした時のような、恐る恐る、そして慈しむような優しいキス。一瞬で心が満たされていくようだった。

しかし、それはそれ。隆太は理性と常識から、慌てて啓太郎を引き剥がし、口を拭いながら叱り飛ばした。

「何しとんかちゃ! 公園ぞ!」

ほとんどの人は雪を見上げている。しかし中には何人か、公園でいきなり抱き合ってキスをしたカップルに目を奪われていた。

「確かめるんやったら、これくらいしても良かろ?」

「だからって!」

隆太の体から言葉は無数に湧いてくる。けれど、啓太郎はそれを遮って。

「オレは本気ばい。何と言われようが、オレはお前が好きで、お前と一緒におる」

啓太郎は隆太の瞳を見る。そして尋ねた。

「今ので、オレのこと嫌いになったか?」

隆太は俯き、「バカかちゃ」と悪態をついた後、啓太郎の瞳を見て答えた。

「いいや。嫌いになんかならんちゃ」

啓太郎は頰を緩める。

「よかった」

「何を言わせとかんちゃ、アホ」

雪は勢いを増し始めた。間違いなく明日は積もるだろう。

「じゃあ、手をつないで帰ろう」

そう言って啓太郎は手を差し出したが、隆太は両手をポケットに突っ込んだ。

「嫌」

「なんでー!」

「嫌なもんは嫌なんちゃ。帰るぞ」

スタスタと立ち去り隆太。後ろから「待て待てー」と、追いかけてくる啓太郎の声が聞こえる。すぐにまた2人並んで歩くことになるだろう。その前にーー。

「ありがとな」

隆太の小さな決意の呟きは、白い吐息になって舞い上がり、広く澄んだ夜空へ溶けていった。

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