16.愛してるぜ、ベイベー

「チキチキマシン猛レースinオレら~!」

バカの相手は心底うんざりする。

櫻井 義人(さくらい よしと)は、自分の隣で満面の笑顔で拳を突き上げる男、星井 奏多(ほしい かなた)を見て、そう思った。

「櫻井~。拍手とか『イェー』的な反応はないわけ?」

「うるせぇな。さっさと始めるぞ」

本当にくだらない男だ。いや、こいつだけじゃない。全てがくだらない。

義人は原チャリのエンジンを入れた。真っすぐ先を見る。300メートル先。夜の海が静かに2人を待ち構えている。

チキンレースはシンプルなゲームだ。全速力で原チャリを飛ばして、ゴールのギリギリ前で止める。よりゴール近くで止めたヤツの勝ち。遠くで止めたやつ、逃げたやつ、海に飛び込んだやつの負けだ。シンプルで、誰でも出来るゲームだ。

しかし――なぜ、オレはこんな状況になっているのか? 義人はため息をついた。


中学生の頃から、義人は不良だった。148センチで45キロ。ほとんど女子の背格好で、多くの男子からナメられた。だが彼には恐るべき鋭さの打撃と、誰が相手だろうと恐れないハートがあった。

ケンカは全て買った。同級生をシメると、上級生が出てきた。そいつをシメると、今度は高校の先輩が出てきた。そして最後は、お決まりの数に任せたリンチだ。夜道でいきなり頭を角材でブン殴られ、十数名から暴行を受けて入院した。

義人は病室のベッドで夜空を見た。真っ暗な闇に浮かぶ、あの夜の感覚。あの夜の面子。ここを出たら、あいつらを片っ端からブチ殺してやる。そう決意したが、彼の親は事態が悪化しないように先手を打った。引っ越しを決めてしまったのである。親は場所さえ変えれば何もかもがチャラになると考えたようだ。

だが、それは大きな間違いだった。「あいつ、前の学校で相当ヤバかったみたいだぞ」「関わらん方がいい」噂は何処からか流れる。義人は見知らぬ土地で、よそよそしい秋と冬を過ごすことになった。1人きりの時間を過ごす中で、彼はある考えを確かなものにする。

「くだらねー。群れなきゃ生きていけねぇのかよ」

高校に進学しても、義人は変わらなかった。気に入らないヤツとはケンカする。どこだろうが好きに過ごす。オレは、群れるクズどもとは違う。そうやって生きてきたのだが。

「悪い、ちょっと邪魔するぞ」

入学数日で先輩数名をブチのめし、日が良く当たる屋上を独占してタバコを吹かしていると、一人の男が現れた。そいつはカセットコンロと鍋、クーラーボックスを持っていた。

「……あ? 何だテメー」

「好きにしててくれ。オレは昼飯を食うからさ」

そう言って男は慣れた手つきでキムチ鍋を作り始めた。

「何やってんだ、こいつ?」義人はそのとき、久しぶりに呆気にとられた。不良は多く見てきた。ハーブだとか、大麻だとか、覚醒剤だとか。そういうのを使うヤツは知っているが、学校でキムチ鍋を作るヤツは初めて見た。

なんだコイツは? もしかして――。

「てめー、オレにケンカ売ってんのか?」

「あ? ちげーよ。オレは昼飯を食ってるだけだよ。みんなで食うの。今日はキムチ鍋。もうちょいしたら、同級生の連中がくっから。ああ、別に煙草は気にしねぇよ。オレも、みんなも」

「学校で鍋だ? お前、何を考えてんだ」

「したいんだから、別にいいじゃん。お前だってタバコ吸ってるし」

「あ?」

「むしろ学校でタバコ吸うことの方がいけないことだろ。オレ、ちゃんと調べたんだぞ。学生手帳の校則に、『学校で鍋を作るな』とは書いてない。つまり、オレは何も悪いことしてねーんだ。むしろ悪いことしてるのはお前の方だろ」

「バカか、てめーは」

「あぁん!? お前、今バカって言ったな!」

男と掴みあいになり、殴り合いになった。しかし、そいつは強かった。決着はつかないまま20分も殴り合った。屋上にそいつの同級生たちが来て、2人を羽交い絞めにして引き離した。そして鍋野郎は口の中の切り傷から出た血をペッと吐き出し、義人に尋ねた。

「てめぇ、名前は?」

「櫻井 義人。お前は?」

男の名は、星井 奏多。同級生だった。

その日から2人の屋上を巡る戦いが始まった。奏多は屋上は鍋スペースだと言って引かず、時に友人たちを引き連れて屋上にやってきた。最初は静観していても、最終的にはモツ鍋、水炊き、すきやき、クリーム鍋で盛り上がる宴のウザさに義人がキレる。キレた義人と奏多が殴り合い、最後は周囲が2人を羽交い絞めにして引き離す。繰り返すこと一年、遂に――。


「これで勝ったら、俺が屋上を貰う。いいな?」

「ああ」

夜の埠頭で2人きり、チキンレースで決着をつけることになったのである。

「よっしゃ」

奏多はニカっと笑った。タイマー機能を起動したスマートフォンを地面に置く。

30秒、29秒、28秒……カウントダウンが始まる。2人はエンジンを入れた。

義人はもう一度、夜の海を睨みつける。そして奏多を見る。

――笑ってやがる。

奏多は笑っていた。ジェットコースターに乗る子どものように。

電子音。

スタートの合図と共に、2つの原チャリは全速力で直進する。夜の風を引き裂き、静かに揺れる海へ向けて。その加速に対して300メートルは、あまりに短い。

グングンと海が近づく。しかし義人はブレーキを踏まない。

負けてたまるか。どうなったっていい。オレは絶対に負けない。群れるような連中には――。

「ガハハハハ!」

バカ笑いが聞こえた。奏多だ。

まっすぐ前を向いて、まったく止めようとする気配がない。

海までは、すでに200を切っている。減速しないと危険だ。海に飛び込む羽目になる。

しかし奏多は止まらない。むしろ爆笑しながら、さらに速度を上げていく。

改めて義人は思った。

――メチャクチャだな、こいつ。いや、んなことは最初から分かってたか。学校で鍋パーティーを始めるようなヤツだ。バカだ。信じられないくらいのバカだ。ずっと一対一でオレとケンカをしている。もう一年、毎日のように殴り合っているのに、全く諦めようとしない。今も、こいつは――

「ド根性~!」

奏多は叫び、更に加速する。距離は100メートルを切った。

――ふざけんな、負けるかよ。

義人も加速する。もう止まることはできない。だが、そんなことはどうでも良かった。2人はピッタリと並んだまま、ほぼ同じ速度で海へ突き進む。そのときだった。

「お前、最高だな。愛してるぜ、ベイベー」

――はぁ?

義人は奏多を見る。

奏多は義人を見て、笑っていた。

「てめぇ、何を言ってん――」

次の瞬間、2人は空を飛んだ。

2台の原チャリは最高速度で岸壁から飛び出し、一秒、二秒――海面へ飛び込む。轟音と共に水しぶきが上がり、しばらく波紋が広がった。

やがて潮の流れが穏やかな海を取り戻すころ。

「ぐはぁ!」

最初に海から顔を出したのは、義人だった。立ち泳ぎをしながら、辺りを見渡す。

――ちくしょう、なんだってこんなことに。あの野郎、急に変なこと言いやがって。あれのせいだ。あれのせいで、こんな羽目に。

「奏多ァ! 大丈夫か!?」

――「大丈夫か?」だって? 何でオレはアイツの心配なんかしてるんだ? いや、心配なんだ。こんなくだらねぇことで、人が死んじゃダメだろ。特に奏多は、みんなに慕われてて、何があろうと一対一でケンカして、絶対に卑怯な真似はしない。ああいうヤツは死んじゃダメなんだ。

「返事しろ! どこだ!」

――全身が痛い。海面は固かった。アスファルトほどじゃないにしろ、全速力で原チャリごと飛び込んだせい……そうだ、原チャリごと飛び込んだんだ。もしも服が原チャリに引っかかってしまっていたら、助からない。オレは運がよかった。だけど、奏多は――。

「聞こえてんのかァ! コラァ!」

「ぷはっ! ガハハハハ!」

爆笑と共に奏多が浮き上がってきた。義人はホッと溜息をついた。

「あはははは! 危ねぇ、死ぬかと思ったぜ。学ランの袖が引っかかりやがった。これで死んでたらシャレになんねーな」

「笑ってる場合か。頭おかしいんじゃねーか、お前。ブレーキ踏めよ」

「お前だって踏まなかっただろ」

「勝負なんだから踏むわけねーじゃねぇか」

「オレだって同じだ。負けたくねぇから踏まなかった」

――理屈は分かる。だが……何やってんだ、オレは。もしかして、オレもバカなのか?

「で、義人さぁ。これって、どっちが勝ちよ? まぁ、オレ的には――」

奏多は顎に手を当て、少し間を置く。

「オレが思うに、今回は長く潜ってた分、オレの勝ちだと思うけど」

「……ふっ、はははっ」

義人は吹き出した。「何だそりゃ。どういう理屈だ」そう言い返したかったが、言葉にならない。そんなことを言う気が無くなるほどバカバカしく、何より笑えて仕方がなかった。

「もういい。そっちの勝ちだ。屋上はくれてやる」

「よっしゃー!」

奏多は勝鬨をあげる。そして、義人に言った。

「それじゃ次はモツ鍋やっから、お前も来いよ。お前がどれだけ根性入ってるか、他の連中にも話してぇからさ。ほら」

奏多が手を差し出す。義人はその手を取って、2人でコンクリートの岸壁へ泳いでいく。

「いや~、ここまでオレと張り合う野郎、初めて会ったぜ。さっきも言ったけどさ、最高だよ。お前って最高。一緒にいると退屈しねー。お前もそう思わねぇ?」

「……まぁな」

幸い、岸壁は経年劣化でボロボロになっており、掴むところは無数にあった。2人は何とか陸へ上がることが出来たが、すぐにその場に寝ころんだ。水浸しの学ランは酷く重たく、全身に痛みがあった。愛用の原チャリをオシャカにしたことも心に来た。とにかく、今は一歩も動きたくない。2人揃って、同じ気持ちだった。

夜空で星が輝いていた。

大の字に寝ころんだまま、2人は星を見ていた。

――星って、こんなにあったか? つーか、こんなに綺麗だったか?

義人は不思議な感覚に囚われていた。さっきまでと、まるで世界が違って見える。死にかけたせいか、それとも、自分みたいなヤツが、もう一人いるって分かったせいか。

義人は奏多を見る。彼もまた大の字になって、何か珍しいものを見るような目で星を見ていた。

「……たしかに、退屈はしねーな」

義人が言った。

「だろ? オレら、たぶんイイ友だちになれると思うぜ」

そう言って奏多が笑った。つられて義人も笑う。

――やっと気がついた。どうもオレもバカらしい。隣でバカ面をしているコイツみたいに。ちくしょう、何でこんな簡単なことに気がつかなかったんだ。それもバカみてぇだが、ま、気がついただけマシか。不本意だけど、オレはこいつと同類らしい……いや、それは違うな。だって――

「でも、お前はセンスがクソだせぇな。『愛してるぜ、ベイベー』って、何だアレ」

義人がそう言うと、奏多が勢いよく立ち上がった。

「決め台詞だよ! 普通にカッコいいだろ!」

「カッコいい? どこが?」

「全部!!」

力強く言い切る奏多に、義人は思わず乾いた笑いが出た。

「お前……マジか。クソだせぇって」

「さっきの取り消し! やっぱオレら友だちになれんわ!」

「待てよ。そこまで言うんだったら、他のヤツにも聞いてみようぜ。明日も人を集めて鍋を作るんだろ? そこで言ってみろ」

「ガハハハハ! 上等だ!」

「ハハハ、ああ。明日が楽しみだな」

このままもう少しだけ休んだら、家に帰って、風呂に入って、さっさと寝てしまおう。少しでも早く、明日を迎えたいからだ。

義人はそんなことを考えながら、再び視線を空へ戻す。

気のせいだろうか。夜空は更に綺麗になったように思った。

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