15.黒社会に生きる

 構成員20名足らずの弱小組織である角川会。この小さな暴力団が全国に名を轟かせているのは、1人の男と、1人の女の力であった。


 男の名は加瀬 翔太(かせ しょうた)と言う。若頭、それが彼の肩書だ。ある者は彼の頭脳を恐れ、ある者は彼の暴力を恐れた。つまりはヤクザとして、彼は完璧な才能を持ち合わせていたのだ。

 翔太の名を全国に知らしめたのは、構成員数万を数える組織から「お前たちの街で覚醒剤を売らせろ」という申し出を拒否したことに端を発する抗争の顛末だ。彼は相手方の会長宅に昼間から乗り込み、「うちの組には手を出すな」と申し出を突っぱねた。本来なら生きて帰れるはずもない試みだが、腹に巻いたプラスチック爆弾が不可能を可能にした。そして相手方は、この男が命を平気で捨てて喧嘩をする男であること、半径数十メートルを吹き飛ばす量の「プラスチック爆弾」という、今の日本ではまず手に入らない物を入手できる手腕を恐れ、手を打ったのだ。

 以来、角川会の加瀬 翔太の名は日本中の極道に知れ渡った。当然、地元の不良少年たちにも。彼は伝説的な人物として、ある種のカリスマとして君臨した。少年らが彼に憧れたのは、そのルックスも大いに関係していたが。28歳という若さ。身長は190ジャスト。仕立てたスーツを愛用し、髪をオールバックにして眼鏡をかけていた。街のチンピラでも、成金のヤクザとも違う。まるでエリート・ビジネスマンのようなルックスが、街の少年らを魅了したのだ。

 峯田 直明(みねた なおあき)もその一人である。

 17歳。傷害事件を起こして高校を退学になると、彼は組の戸を叩いた。

 オレはマトモに生きるなんて無理だ。ヤクザになるしかない。どうせヤクザになるなら、すげぇヤクザになってやる。だから――

 「オレを、加瀬 将太さんみたいなヤクザにしてください!」

 事務所に飛び込み、そう言って頭を下げた。

 当然、構成員たちは急にやってきた不良少年に怒声を飛ばした。しかし、その将太本人は、直明に諭すように言った。

 「急に言われても困る。まず君の事情を聞きたい。それから、親御さんと話をさせてくれないか」

 直明は、先生よりも先生らしいことを言う人だなと思った。

 

 それから数年間、直明は翔太の横についた。

 直明は翔太のあらゆる仕事を見たが、ただの一度も彼に失望することはなかった。彼はいつだって完璧であり、いつだって紳士的だった。ヤクザであるにも関わらず、彼は声を荒げず、暴力を行使する際には、ただ黙って淡々と行った。

 「機械みたいだ」初めのうち、直明は翔太のことをそう思っていた。

 しかし、直明は若頭補佐と呼ばれるまでになった頃、ただ一つだけ彼の人間らしい点、そして大きく困る性格を思い知ることになる。

 翔太は、淫乱であった。


 「翔太さん! 待ってください!」

 シャワールームに直明の祈りに似た悲鳴が響く。後ろから彼を抱き締めているのは、裸の翔太だった。

 「大丈夫だ。このまま続けよう」

 「大丈夫じゃありません! お嬢の護衛は!? 今は翔太さんの番でしょう!」

 「集中させてほしいって言われて、部屋から追い出されたよ」

 翔太の細く長い指が、直明の下腹部へ伸びる。

 「うっ」

 直明が小さな嬌声を漏らす。

 「それに、お嬢なら少々のことがあっても平気だ。それよりも――」

 直明の正面には鏡が掛かっている。そこには整髪剤が流れ落ち、髪を乱した翔太の顔が映っていた。そこいるのは紳士的な男ではない。獲物を貪り食うケダモノだ。

 「ああぁっ……」

 その身に爪を立てられ、直明は体を震わせた。

 「大事なのはこっちじゃないか?」

 「そんなこと……ひっ!」

 首筋を熱い舌が這う。

 「いつもみたいに、君の意見を聞こうか。本当に大事なのは、何だ?」

 直明は自問する。

 何故こんなことに? たしかに翔太と……この男と一緒に幾多の修羅場をくぐった。何度も死にそうになった。命を預けたのは一度や二度じゃない。時には、逆に翔太さんの命を救ったこともあった。家族や友達、ヤクザの上下関係ですら測れない。オレは誰よりも加瀬 翔太という男を深く知ったし、逆にオレを一番よく知っているのは加瀬 翔太だ。そして、いつしか翔太のことを思うと胸が苦しくなるようになった。翔太と別行動をすると、酷く寂しい気持ちになった。そしてこれが恋だと気がついたとき、翔太も同じ思いだと分かったとき、全てが手遅れだった。初めて抱かれた日、心の底から幸せだった。この男と愛し合えていることは、本当に幸せだと思う。だけど、まさかここまで淫乱だとは……。

 「オ、オレたちは……お嬢の……護衛中です。隣の部屋にいる……お嬢から、んっ……目を離して、こんなことをしてたら……してるなんて、知られたら……」

 「で? 残念だが、私の手の中にあるものから考えるに、説得力がない」

 耳元で翔太が囁く。

 「こういう状況、君は好きなんだろう? 君は私を変態だと言うが、本当に変態なのはどっちだ?」

 ――流されるてしまう。直明はいつものように、そうなることを予感した。

 「いつもこうじゃないか。君はいつだって、最後には――」

 顎に指がかかる。直明は導かれるまま、振り向く。そして唇を奪われる。舌が絡み、唾液が混ざり合う音が響いた。シャワーが流れる中でも聞き取れるほど。

 「こうして、受け入れてしまう。君は本当に淫らで、可愛らしい」

 「ちがっ……違う! やめてくださ――

 「うおあぁぁぁ!!!」

 凄まじい怒声が響いた。

 全裸の男2人は蕩けるような眼から一転、ハッと顔を見合わせる。

 声がしたのは隣室。その声は中年男性の野太いものだった。

 何が起きたかは明白だ。

 翔太と直明は、組長の娘を護衛中だった。本来なら交代して、ずっと彼女と同じ部屋にいなければならない。しかし、翔太自身が口にしたように、彼女に部屋から出るように言われて、そのローテーションが乱れてしまった。更にちょうど直明はシャワーを浴びていて、翔太はウッカリその気になってしまったのである。

 そして、男の叫び声が隣室から響いた。つまり――。

 獣は消え、翔太は紳士的かつ冷徹なヤクザの顔になった。

 「行くぞ!」

 「はい!」

 2人は全裸のままシャワー室、そして部屋から飛び出す。

 「ぎゃぁぁぁぁあ!」

 同時に、黒ずくめの中年男性が突っ込んできた。その二の腕にはカッターナイフが、頭にはGペンが突き刺さっている。

 「うぉぉ!?」

 慌てて直明は道を譲る。中年男性は悲鳴を上げながら2人を押しのけ、廊下の暗闇へと消えていった。

 数秒の沈黙が流れる。全裸の2人は何が起きたかを察した。

 そして部屋の中から、低く、しかし何処か嬉しそうな声がした。

 「まさか殺し屋が来るとはねぇ。おかげで、いい眠気覚ましになったよ」

 部屋の中から「お嬢」が姿を現した。

 もう三日も風呂に入っていないので、髪の毛は荒れ放題だ。上下ジャージで、額に冷え〇タシートを貼っている。しかし、その目には肉食獣を思わせる鋭さがあった。

 「それにしても、やっぱりGペンは頼りになるねぇ。私がアナログ派じゃなかったら危なかったよ。クリスタとやらを使おうと思っていたけど、やめにしよう」

 「お嬢」こと角川会・現会長の娘にして、女性向け18禁同人サークル「ドーナツ食べ放題」主催、田中 京香(たなか きょうか)が姿を現した。若干20だが、かつて「覚醒剤を扱え」と指示してきた巨大組織の使者を、組長――つまりは父親――の制止を無視して日本刀で斬殺。「ゲス野郎に好き放題させんのかい!?」と一喝し、全面抗争を宣言。その使者の首を塩漬けにして相手方へ送り付けた。そしてプラスチック爆弾を腹に巻いた翔太と並んで交渉の場に臨み、顔色一つ変えず勝利をもぎ取ってきた。殺人にも同人にも、全力で打ち込む女である。

 「お嬢、大丈夫……ですよね?」

 直明が恐る恐る尋ねる。

 「無事だよ。Gペンとカッターナイフを一つずつ無くしちまったけどね。それよりも、何で2人揃って裸なんだい?」

 「はっ!」

 慌てて直明は股間を隠した。

 一方の翔太は頭を下げる。

 「申し訳ありません! まさかこんなことになるとは……」

 「頭ァ上げな。出て行けって言ったのは私だ。気にしちゃいないよ。それと裸の件は……いや、説明しなくていい。だいたい分かる。いい大人の男が2人とも全裸で、しかもどっちも濡れている。何があったか、何をしていたかくらい分かるさ」

 そう言うと京香は笑った。

 「フフフ、仲がイイのはイイことじゃないか」

 笑う京香を見て、直明は思った。

 この人は、とんでもない人だ……。相変わらず。

 彼は翔太を慕って組に入った。しかし、すぐに彼と同じくらい危険で、強い人物が組にいると気がついた。もちろん京香のことである。角川会が日本中に名を轟かせているのは、間違いなく翔太と京香の力だった。

 流石お嬢だ。翔太さんもそうだけど、お嬢も本当に頼もしい――

 「さてと、私は原稿に戻る。で、あんたらはあんたの時間に……あっ、ちょうど良かった。あんたら、そういうことなら……今、難儀してる構図があるんだ。ちょっと私の部屋でヤってくれないかい?」

 ――は?

 「おっ……お嬢、何をやるんです?」

 恐る恐る直明が尋ねる。

 「分からないのかい? セックスだよ。私はお前たちのセックスを見せろと言ってるんだ。ただし、体位は私が指定したやつにして。それから挿入後、30分はそのままだ。その間にデッサンするから」

 淡々と言う京香に、直明は困惑する。

 待ってくれ、無茶苦茶がすぎる。と言うか挿入後30分そのまま? それ、入れられる方の……つまりオレの立場を考えてくれてますか? 翔太さん、さすがに無茶苦茶ですよね――。

 そう思って視線を向けると、翔太はいつもの獣の顔になっていた。むしろ普段より目を輝かせている。

 ――待て待て、何で満更でもないみたいな顔してんだ?

 直明が疑問を口にする前に、翔太は言った。

 「お嬢、分かりました。引き受けましょう」

 そう言って頭を下げた。

 「よ~し、話は決まった。来い」

 まずは京香は部屋へ入る。

 「行くぞ」

 続いて翔太が。

 「……マジ?」

 立ち止まり、疑問の声を上げる直明。すると――。

 「「マジだ」」

 角川会を支える2人の声がした。直明の人生で、最も長い夜が始まった。

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