12.終電に乗って

賑やかな飲み会が終わって、2人は帰りの電車に揺られている。ほとんど森の中と言っていいほどの田舎道。4両編成のローカル線の終電には、2人しか乗っていない。その2人は長椅子状の席に、並んで座っていた。

「久々やったけど、みんな変わってなかったなぁ。吉川は飲み方まで変わらんかった」

そう言って田畑 幸二(たばた こうじ)はジョッキを一気に空ける仕草をした。Yシャツから覗く喉元をゴクゴクと鳴らす。巧みなパントマイムだった。見えないジョッキがそこにあるようだ。「相変わらず無駄に芸の細かいヤツだな」そう思いながら弘中 祐樹(ひろなか ゆうき)は溜め息をついた。

「あいつは例外だろ。中学生の頃から飲んでて、あの頃からザルだったし。むしろ変わってないって話しなら、お前もだろ。お前も変わってない」

祐樹は昔を思い出した。

そうだ、こいつはいつもこうだ。無駄に芸が細かくて、いつも笑わせてくれた。一緒にいると楽しくて仕方がないけれど、その分だけケンカになると、とても悲しい気持ちになった。こんな楽しいヤツを責めるていると、自分が悪いように思えてくるから。

「そうか? オレはけっこう変わったぞ。ちゃんと就職したし」

「環境の話はしていない。人間性の話だ」

「人間性て」

オウム返しのあと、祐樹はククッと悪戯っぽく笑った。

「お前も変わっとらんやん。相変わらず小難しい言葉ばっか、ようけ使ってから。悪いクセっちゃ。そういう所は直さんと――」

と、幸二は言葉を飲み込んだ。

「やめとこ。またケンカになる」

幸二は頬を緩めたる。祐樹は思った。こいつも少し変わったらしい。昔は頑固だった。「そういう所は直せよ」と言ったはずだ。

「もうケンカは懲り懲りやけん。お前と付き合ってた頃、あの頃に一生分はケンカしたもんなぁ」

そう言って幸二は窓を見る。つられて祐樹も視線をやる。流れてゆく真っ暗な景色と、並んで座る2人が見える。揃って26歳。仕事終わりで同窓会に合流して、そのまま家路につくホロ酔い加減の背広姿。そしてお互い、薬指に指輪が光っている。

「祐樹、嫁さんとは?」

「いい感じだ。オレには勿体ないくらいイイ人だよ」

「そうか」

「お前の嫁さんは?」

「上手くやってる。お腹の子供も、元気すぎて困るくらいや」

「良かったな」

「ああ、良かった」

不意に窓の外が明るくなる。その光は一瞬だけ、しかし確かに電車の中を照らし、すぐに消え去った。

民家の灯りだった。毎年この時間帯、この列車で帰る2人には分かる。そして今の灯りが見えたということは、別れの時が近いということも。幸二は次の駅で降りるのだ。

窓に映る2人に話しかけるように、幸二が言った。

「……なぁ、祐樹。毎年、同窓会の度に思うよ。お前とこうして会えること、本当に幸せやなって」

祐樹は表情を変えない。しかし、内心では……

「幸せ、そうだろうか?」

毎年、こうして帰りの電車で二人きりになるたび、試されているような気がする。次の駅で自分が降りたらどうなってしまうだろう? ……いや、降りてはダメなんだ。あの日、高校生の夏。オレたちは電車を降りた。そしてオレたちは恋人になって、何度もケンカして、仲直りして、ケンカして、ケンカして、仲直りして……別れたんだ。

「これ以上、お前を嫌いになりたくない」

オレも幸二も、同じ気持ちだった。今だってそうだ。これ以上、嫌いにも、好きにもなりたくない。オレたちはこのままがいいんだ。だから――。

「そうやな。オレも幸せやと思う」

祐樹がそう言うと、幸二は笑った。

「色々あったけど、きっと今くらいがちょうどいいんやろな」

「……だな」

祐樹は頷き、微笑む。

幸二が言ったことは間違いない。オレたちは、もうお互いを傷つけあうようなことをしたくない。

「もうガキやないし、お互いに好きな人もいる。大人の責任をちゃんとせんとな」

祐樹が言うと、幸二が笑った。

「お前なぁ、また難しい言葉を使って……」

すると祐樹も笑いながら

「待て待て、今の何処に難しい言葉があった?」

「大人の責任って、意味がよう分からん。そういうフワっとした話をするの、お前の悪いクセや」

「お前なぁ。全然フワっとしてないぞ。フツーに分かるだろ?」

「何や、まるで人が普通じゃないみたいに。人の親やぞ、俺は」

「お前の子どもは、苦労しそうやな」

「ホントいつも余計なことを……」

「余計なこと言うのはそっちだろ」

すると幸二が祐樹の肩に軽いパンチを入れる。

「いたっ! あのなぁ、イイ大人が肩パンすんな」

「お前が悪いんやろ――あっ」

電車が速度を落とし始め、停車駅の名前が電車の中に響く。

そして、電車が止まった。

自動ドアが開くと、冷たい風が車内に吹き込んでくる。

「それじゃ、また来年な」

幸二は立ち上がり、扉へと向かう。

「ああ、またな」

祐樹は見送り、窓越しに幸二を見る。

程なくして扉が閉まり、電車が走り出す。するとホームの灯りの下、幸二が両手で手を振り始めた。

いい大人が、子供みたいな真似をする。だけれども――。

祐樹は立ち上がり、両手で振り返した。

電車は動き始め、暗闇は徐々に濃くなる。それでも2人は手を振り続ける。互いが見えなくなるまで。そして見えなくなったら、それぞれの家路につく。また来年、このちょうどいい時間を過ごすために。

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