11.朝ご飯
「朝食ができたぞ。20分で済ませろ」
塩サケに白米。千切りキャベツと人参に、ごま油をかけたサラダ。玉ねぎの味噌汁。そして薄っすらと湯気が立つ緑茶。テーブルの上に並ぶのは、鎌田 幸助(かまた こうすけ)が久しく目にしていなかった真っ当な朝食だったが――。
「お前の生活はどうなってるんだ。冷蔵庫の中に酒しかなかったぞ。おかげで朝から買い出しに行くことになった」
「すんませんでした、課長」
「うむ」
最低な朝だった。この料理を作ったのは、会社の上司・真田 裕(さなだ ゆう)。同じ35歳だが、立場も性格も全然違う。普段から中が悪くて、大嫌いなヤツだ。何事もハッキリ言うタイプで、日本人らしい曖昧さが無い。なぁなぁで済ませることを嫌う。幸助はそういう人間が苦手だった。なのに、よりもよって、こいつに朝食を作られるとは。
しかし、もっと最悪なことがあった。ワンチャン勘違いかもしれないが。
「それで……昨夜のことは、覚えているか?」
「ええ、覚えていますよ。途中までは」
幸助は二日酔いでズキズキと痛む頭を押さえながら、食卓に着いた。今日は水曜日。普通に仕事だ。さっさと朝飯を済ませて、出勤しなければならない。
幸助が茶碗を持って、鮭に箸をつけようとする。一方の裕はきちんと手を揃え、「いただきます」と言った。
「こういうイチイチ丁寧な所が苦手だ」幸助は茶碗と箸を一旦もとの場所に戻すと、手を合わせて「いただきます」と言った。そして味噌汁に口をつける。
美味い。カップの味噌汁以外は、久しぶりに食べる。たまねぎの甘さがいい。
裕は朝食を口に運びながら質問を続ける。
「途中までか。では、私がゲイだと言ったところまでは覚えているか?」
「……もうちょっと先まで覚えてます」
「君がゲイだと言ったところも?」
「その先も」
「セックスしたことは?」
「ぶおっ……!」
幸助は味噌汁を吹きそうになった。やったのか。やっぱり、やっていたのか。ズキズキ痛むのは頭だけではない、むしろ頭より痛む所があるとは思ったが――。
「朝ですよ。そういうのは言わんでください」
「覚えているのだな?」
「……なんとなくですが、はい」
ワンチャンなかった。やっぱり確かだったのた。信じがたいことだが、自分は目の前にいる男と致したのだ。
昨夜は正気ではなかった。全て酒、あの美味い鹿児島産の焼酎のせいである。
「あ~、ちくしょう。接待なんか出るんじゃなかった。こんなことになるなんて」
「飲みすぎはお前のミスだ。相手のペースに合わせて、後先を考えずに飲むのが悪い」
「九州の人の飲み方って、メチャクチャですよ。焼酎を水みたいに飲んで……でも、課長だってベロベロだったじゃないですか」
「うむ」
「うむ、じゃないですよ」
「大事な取引先だ。注がれたら、断れん」
昨夜、2人は2人揃って泥酔した。そして終電を逃して「俺んちが近いですよ!」と幸助は裕を連れて家に帰った。その後は水を飲んで落ち着けば……良かったのに、「迎え酒がありますよ! 課長!」「うむ! でかした!」とビールをしこたま飲んだ。そして勢いで「オレ、実はゲイなんですよね」とぶっちゃけると、「そうなんだ。実は私もだ」と返された。あとは――酔った勢い。抱かれて、脱いで、幸助はそこまで覚えている。
何であんなトントン拍子に……残っている断片的な記憶だけでも、頭を抱えたくなる。とりあえず鮭で白米を食べよう。この組み合わせは間違いないから。
朝食を終えると、二人は身支度を済ませた。幸い裕は幸助と体格が似ていたので、クシャクシャのYシャツを着ずにすんだ。
「ありがとう。面倒をかける」
「いいですって。朝飯代みたいなもんです」
スーツを羽織り、狭い玄関でワタワタと革靴を履く。あんなことがあったけど、今日も一日が始まる――と、幸助の肩に、裕が手をかけた。
「分かっていると思うが、このことは、しばらく二人の秘密にしよう」
幸助は振り返り、答えた。
「そんなの当然ですよ。昨日のあれは、酔った勢いの間違いです。そうでしょう?」
「うむ。間違いだ」
ハッキリと言ってくれた。話がこじれそうにない。こういう時、こういう性格はありがたい。そう思いながら、幸助は靴の先端を床でトントンと叩き、整えながら続けた。
「そうそう、忘れましょう」
「……いや」
幸助の体が固まった。
――あれ? ここは「うむ」じゃないのか?
「始まりは間違いだ。だが、できれば今夜もここに来たい。そうだ、このシャツだって、返さなければいけないし……それに、何というか……」
裕がゴニョゴニョと漏らす。幸助は珍しい光景だと思いつつ、「何です?」と聞き返す。すると――。
「正直に言う。昨夜のお前とのセックスが、忘れられないんだ」
「なっ!?」
腰が抜けそうになった。しかし、このハキハキと物を言う男は覚悟を決めたらしく、思いの丈をブチまけ始めた。
「凄かった。私が今まで経験してきた誰より熱く、卑猥で、脳裏に焼き付いて離れないんだ。あんなに乱れる男は初めて抱いた。思い出すだけで、私はーー」
幸助はたまらず叫んだ。
「ちょっと待て―ッ! 朝っぱらから何を言ってだテメ―!」
「お、お前が聞いてきたんじゃないか! それに、あんなに求めてきたし……」
「だからストップ!」
「ちなみに、お前は何回目まで覚えているんだ? 8回目なんて特に……」
「はっ、8回!?」
幸助は眩暈を覚えた。
そんなに抱かれたのか、オレは。
「私が覚えているのは10回目までだ。そこで気を失ったが、それでもお前は、たしか――」
性豪が過ぎる。35なのに。自分も、こいつも。
「やめてください、聞きたくないです」
幸助の膝から力が抜けてゆく。果たして出社できるのだろうか?
いや、出社しないとダメだ。これ以上こんなふうに昨夜のことを振り返っていると、こちらの心身が持たない。
「会社に行きましょう。続きは今夜です」
「……うむ。そうしよう」
「言っておきますけど、酒は無しですよ」
「当然だ。大事な話だからな」
幸助がドアのノブに手をかける。そのとき、
「惚れてしまったようだ。お前に」
裕が言った。
幸助は固まった。
……何て返せばいいのか分からない。一体オレは……そうだ! こんなときは、サラリーマンの万能フレーズだ!
「一旦、持ち帰らせてください」
「うむ」
何がどう「うむ」なんだよ。何でよりによってコイツと、こんなことに……ああ、ダメだ。酒でも飲まなきゃ、やってられない。そう言えば冷蔵庫にビールが残っているはずだ。帰ったらまずアレをーー。
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