8.チャリンコ

行かないといけない場所がある。大切な人の家、僕の家。だから僕は今、後ろに大切な人を乗せて自転車を漕いでいる。坂道を5分かけて登って、10分の下り坂。自転車のスピードは一気に上がる。

5月なのに、もう夏の気配がする。青い空に、心地よい向かい風。毎年この季節が大好きだ。それは後ろに乗せている栄太も同じ。だから、あいつは言うんだ。

「好きだ―! こういうのー!」

栄太は僕の後ろで大げさに万歳しながら叫んだ。絶対にそう言うと思った。昨日も言ってたし。だけど、僕はいつもと変わらない調子で答える。

「急に大声出すなって。ビックリするだろ」

「んなこと言ってもよー、気持ちいいじゃん。好きだよ、こういう」

「そりゃお前は乗ってるだけだから、楽でいいだろうけどさ」

「お前も好きだろ? この感じ!」

栄太の顔は見えないけど、きっといつもと同じ顔をしているんだろう。小学生の頃から変わらない、あの顔だ。高校生3年の夏になったけど、栄太の笑顔は変わらない。無邪気で、子どもっぽくて、いつの間にか僕が恋をした、あの顔だ。

僕は振り返らず、自転車を漕ぎ続ける。前に進まないといけないのだから。

「あっ、そう言えばさ。なぁなぁ、優斗。お前って本当に京都の大学を受けるの?」

栄太が僕の名前を呼ぶ。今はやめてほしい質問と一緒に。

「そうだよ。たぶん受かるし」

「マジか~。じゃあ進路はバラバラだな。オレ、北海道だもん」

「そっちは受かりそうなの?」

「余裕~!」

「じゃあ、いいじゃん」

……よくない。本当は、ずっと一緒にいたい。でも、そんなことを言ったら、きっとこうやって過ごすことができなくなる。だから、せめて僕は叫ぶんだ。

「好きだー!」

自転車が少しだけフラつく。

「おっと、急にどうしたんだよ」

「好きだからだよ! お前と同じ!」

「話が戻りすぎだろ! まぁ、俺も好きだ! この時期のチャリは――っ」

栄太が深呼吸をしている。何をする気か、すぐにわかった。きっと大声で――。

「好きだ―! 最高―!」

思った通りの言葉を叫んだ。

「僕も! 最高―!」

この時間は永遠に続くわけじゃない。あと何か月かすれば、僕は京都に、栄太は北海道に行ってしまう。二人とも地元はここだから、正月やお盆には会えるかもしれないけれど、きっとその時はこんなことはしないだろう。そして大学を卒業して大人になったら、もっとこんな時間は消えてしまう。栄太はモテるから、すぐに結婚する。僕は……どうなるか分からないけれど、とにかく残された時間はあと少しだけ。そう思うと少しだけ、胸がキュッと苦しくなる。

だからもう一度、お腹の底から声を出した。

「好きだー!」

「オレも好きだー!」

僕と栄太は叫び続ける。

そして自転車は下り坂を下りていく。いつも通り、これまで通り。

僕はこれでいい。絶対に後悔しないって決めた。きっとこれで、充分なんだ。

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