5.遊戯の部屋

かちん。


錆びついたコンテナの中に響き渡る空振りの金属音。その数秒後、コンテナを取り囲み、中の様子を映すディスプレイに見入っていた観客たちは、感嘆の溜め息と熱狂の歓声をあげる。一方コンテナの中では、プラスチック製のテーブルを挟んで対面する男が2人。1人は言葉を失い、もう1人は手に持った回転式拳銃を見る。

拳銃を持った男は考える。これで残る弾丸は5発になった。幸運に感謝するべきだが、それはまだ後回しだ。あと何度か引き金を引く。本当に幸運かは、まだ分からない。喜ぶのも幸運に感謝するのも、全ては勝った後だ。混ぜ物をしたウォッカのせいで頭が曖昧だが、これだけは間違いない。


男には名前があった。日本人、矢上 由都(やがみ よしと)、34歳。坊主頭に無精髭。背中から腕にかけて、鯉をモチーフにした入れ墨を背負っている。彼は元々日本のヤクザだったが、態度が気に入らないと兄貴分を半殺しにしてフィリピンに流れ着いた。しかし彼は借金を重ねてトラブルを何度も起こし、現地の犯罪組織と揉めてしまう。彼自身が把握しているのは、そこまでだ。

今、由都は自分がどこにいるかも分かっていない。フィリピン国内なのか、あるいは国外なのか。ある日、いきなり袋叩きにされた。記憶は瞬く間に飛び、目を覚ますとここにいた。コンテナの中に照明が4つ、拳銃を置いたテーブル、椅子が二つ、天井からブラ下がった監視カメラが一台。彼が目を覚ましてから数時間後、麻袋に入れられた男が投げ込まれてきた。そいつは白人で、英語じゃない何か語で喚き散らしていたが、運んできた連中に十何発か殴られると静かになった。

そして1人の老人が現れ、片言の英語で状況を説明してくれた。

「ロシアンルーレットをやってもらう。交互に引き金を引け。弾は6発中の1発。ただし、片方が一度に複数回引いた場合に限り、その後の者は、相手より最低1度は多く引き金を引くこと。勝った方には報酬を出す。それを2人の借金の返済に回す。完済したら、自由の身だ」

由都にも白人にも選択肢はなかった。ゲームはすぐさま開始され、白人は先行の1発目で頭を吹き飛ばした。コンテナの外を取り囲むギャラリーたちはビールを零して喜んだ。

それから由都は、コンテナの中に飼われ、時折運ばれてくる対戦相手と勝負を続けている。1ヶ月の間、戦績は5勝0敗。自由の身になるには、あと20勝はしないといけない。


今日も由都は勝負をしていた。対戦相手はアジア人。歳は同じだが、こんなクズの行き着く場所に不似合いな、艶やかな黒髪をしている。それがどうしようもなく癪に触るが、どうでも良いことだ。このゲームにおいて、相手の情報はどうでもいい。大切なのは相手よりも運がいいか、悪いかだ。

由都は拳銃を対戦相手に渡した。

「ほれ」

まるで日用品を手渡すように。すると

「あなたも日本人なのか?」

対戦相手が言った。懐かしい響きに、由都は一瞬だけ体を硬直させた。しかし、すぐに

「何を言ってんだ?」

そう言って引き金を引くように促す。

「私も日本人だ。協力して、ここから逃げ出そう。2人で力を合わせれば何かいい手が見つかるはずだ」

対戦相手の訴えを由都は鼻で笑う。そして尻ポケットからクシャクシャになったタバコを取り出して火を点けた。コンテナの壁越しにギャラリーのザワつきが聞こえる。5連勝中の男の余裕に感嘆しているのだ。

「このコンテナの周りは、客に囲まれてる。オレらを捕まえた連中もいる。逃げようがないんだよ」

深くタバコを吸い込み、煙を吐く。

「早く決着をつけよう。オレらは前座だ。ダラダラすると、2人揃ってやられるぞ」

「前座?」

対戦相手のオウム返しに、由都は答えた。

「オレの世話係から聞いたんだ。周りの連中はオレろの勝敗に金を賭けてるが、本命はオレらの後のゲームらしい。ポーカーみたいなやつをするそうだ」

再びタバコを吸い、煙を吐く。

「オレらのこれは、その前座だ。派手に勝敗がついて、手っ取り早いだろ?」

「……なるほどな」

対戦相手は頷く。しかし顔を上げると、そこには別人がいた。先ほどまでの怯えは消え、鋭い目つきで由都を見る。

「分かった、もう十分だ」

対戦相手は拳銃を手に取りーー。


かちん、かちん。


コンテナが揺れるほどの悲鳴が聞こえた。無理もない。対戦相手は引き金を2回続けて引き、2回とも命を拾ったのだから。

由都は思った。なかなかツイているヤツだが、そんなことはどうでもいい。問題はオレがこいつよりツイているかどうか。勝敗を分けるのはそれだけだ。

「由都、死ぬぞ」

対戦相手は言った。

由都は思った。やはり懐かしい声だ。しかし、そんなことはどうでもいい。

対戦相手は続ける。

「これだけ日本語でベラベラ脱出しようだの何だの喋っているのに、誰も何もしてこない。あの監視カメラの向こうにいる連中、ここを仕切ってる連中は、大した奴らじゃないだろう。うちの者を周辺に配置している。5分とかからず、この場所にいる全員を片付けられるはずだ」

「黙ってろ!」

由都が声を荒げる。しかし対戦相手の言葉も乱れない。

「由都、オレにはお前がいる。腑抜けなクズじゃなくて、お前みたいなヤクザらしいヤクザがいるんだ」

由都は拳銃を己のこめかみに押し当てた。

「気に入らねえ。てめぇはいつだってそうだ。余裕があって、誰でも何でも思う通りになると思ってやがる」

「何が悪い?」

「オレに撃たれても分からねぇのか。世の中は思い通りにならねぇんだ。誰も彼もがてめぇの下につくと思うなよ。てめぇみたいな野郎が上にいるなんざ、反吐がでる」

「いいや、思い通りにいくさ。確かにオレはお前に撃たれたが、こうして生きてお前を見つけだした」

「オレがルールを無視して、てめぇを撃ったら?止めに入る野郎はいない。銃はオレの手にある。お前なんて簡単に殺せんだ」

「だろうな。その時はツイてないと諦めるさ。この仕事を始めてから、ずっとオレは覚悟を決めてる。それに、お前みたいな野郎に殺されるなら悪くない」

コンテナの外で観客たちが声を上げ始める。いくつかの言語が混ざっていたが、どれも「3発」の意味だった。大歓声が由都の頭に響く。彼の死を期待する声は、酒で曖昧になった頭に心地よく響いた。

「……なあ、思わねぇか? ポーカーってややっこしいよな。数を揃えて、役を作って。難しいゲームだ。オレには向いてねぇ。やりたくねぇ。やりたくねぇことはやらねぇ」

「由都、とにかく日本でやり直そう。この勝負だってオレが勝った。オレはいつだって勝つ。オレと一緒に来ればーー


かちん、かちん、かっ、


「よせ!」

銃声。銃弾が皮膚を貫いて骨を砕く音、脳みそが飛び散る音、そして男が1人倒れた。

コンテナの外から歓声が上がる。その興奮の坩堝、地に伏した由都は確かに言った。

「だから調子に乗んなよ、バーカ」

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