4.将と王、姫と王、将と姫
それにしても、媚薬とはーーマレンダは己の愚かさを恥じていた。何故もっと早く気がつかなかったのか。ちゃんと騎士学校で習ったではないか。我が帝国の遥か東には、怪しげな香辛料や薬草を用いた術があると。それらの中には人間の感情を操るもの、劣情を煽るものがある。もしも、そうした技術が使われていたなら、この数週間で起きた帝国最高権力者、皇帝ヨハンの乱心にも説明がつく。
ヨハンは22歳にして皇帝の座についた。それから3年間、彼は後の世に名君と語り継がれる働きをした。人民を第一に考え、時に大胆に、時に偏執的に、彼は政治に取り組み、まるで機械の歯車と歯車が噛み合うように、この国を前進させたのだ。彼は優れた技師であり、勇敢な操縦士だった。効率的な栽培計画と土地利用によって飢餓は消え去り、国を上げての研究と対策で疫病は鎮まり、軍を鍛え上げて攻め寄せるオークの群れを退けてしまった。マレンダは彼の下で、しかも彼と同世代の同い年の将軍として働けることを誇りに思っていた。彼と共に生きることは、歴史の脇役となることだ。寂れた村から身一つで成り上がった自分には身に余る栄誉と言える。豪腕のマレンダという捻りのない異名すら誇らしかった、のだが。
25の誕生日、突如としてヨハンは理に反する行為に出た。婚約を破棄したのである。それも 長年の同盟国ジェリーゴールド王国の女王との、彼がこの世に生を受けた時からの許嫁との婚約だ。俗に言う政略結婚。破棄は国家間の問題になる。そしてジェリーゴールド王国の国力は、わずかに帝国を上回る。平和的関係の維持が最良、揉め事の種は蒔くべきではない。たが、賢明なる名君は婚約を蹴った。そして代わりに男と結婚すると宣言したのだ。以来、両国の関係は過去最悪の状況にある。
マレンダは不思議でならなかった。我が国は男と男の婚姻は認めている。ヨハンが男を愛することもおかしくはない。ただし、彼は国に不利益を出すようなことはしないはずだ。わざわざ王国との関係を悪化させてまで、1人の男を愛するだろうか? 国を乱してまで愛するだろうか?その疑問の答えが今、見つかったのである。それこそがーー。
「マレンダ将軍、わざわざこんな夜遅く、しかも地下の人っ子一人いないワイン倉庫に呼び出しなんて、いったい何の話かな? 僕はもう人妻だから、こういう逢い引きみたいな呼び出され方は迷惑なんだけど」
その青年が全てを理解しているような長台詞と共に暗闇から現るや、マレンダは剣を抜いた。
「陛下に媚薬を盛ったな、ヘイズ」
剣を突きつけられた青年ことヘイズは、クククと、わざとらしく声を上げて笑った。彼こそがヨハン皇帝の婚約者だ。褐色の肌に黒く艶やかな頭髪。丸い瞳はとりわけ黒く、見るものを吸い込んでしまいそうな魅力があった。歳は21だと聞いているが、10代後半にしか見えない。
ヘイズは3年前から陛下の身辺警護と毒味役として雇われた、東の国の民だ。身一つで人を破壊する武術の腕前と、誰もが振り返る美貌を持っていた。この男がたった数年で陛下に最も近い人物になったのも、その美貌で立場ある者たちを籠絡してきたからだ。
「まさか妃の座まで奪うとは、貴様という男を見誤ったな」
「奪うなんて、何を証拠に?」
「このワイン倉庫に香辛料を持ち込んだ形跡があった。調理場の掃除係の報告がなければ私も気が付かなかっただろうが、それらを回収し、何ができるかを調べたところ、貴様の国で作られる媚薬だと分かった」
「なかなか出来る部下がいるね。僕の国でもアレを調合できる人間は少ないのに」
「さらに調べると、ワインのコルク栓に針で通したような穴があった。あとは配膳記録と照らし合わせ、陛下が穴あきのワインをどれくらい飲んだか確認した」
「地道な作業、恐れ入りますよ」
「誰の差し金か、何が目的かも知らん。だが、貴様の目論見はここで終わりだ。貴様を処罰し、陛下を正気に戻す。言っておくが、媚薬の解毒方法も分析済みだ。貴様自身を人質にすることはできんぞ」
「ありゃりゃ。見くびっていたみたいだね。よしよし、君を認めよう。誰よりも陛下のために血を流した男、その体についた傷は100では足りない。貴方はーー」
「話は終わりだ」
マレンダは剣を握り直す。確信していた。ヘイズの余裕、こいつは恐らく仲間を連れてきている。強力な仲間だ。だが、何人いようが叩き伏せてくれる。我が手に、帝国最強の暴力はここにあるのだからーー。
「貴方の勝ちですよ、陛下」
ーーは?
ヘイズがそう言うと、彼が現れた暗闇からマレンダも見慣れた顔が現れた。ヨハン皇帝である。
「さすがだ、マレンダよ。気がつくと思っていた」
「う〜ん、頭が固い筋肉バカだと思ってたけど、今回は僕の負けだ。悔しい」
「陛下、何をして……」
「心配するな。お前に危害は加えない。それと私は媚薬を盛られていないし、ヘイズもやっておらん」
「は?」
「これ、長い話だよ。説明するのは難しいと思う」
「貴様、陛下の前だぞ。その口の効き方は何だ」
「気にするな。私の妃だ」
「そうそう。そこは忘れないようにね。よろしく〜♪」
「貴様、やはりブチ殺しーー」
「……ゴホン。2人とも、モメるのは後だ。すまんが話を進めて良いか?」
「あ、ごめんね」
「申し訳ありません。ですが、話とは?」
「簡単だ。ジェリーゴールド王国の女王には恋人がいた」
「そうそう。僕が調べた」
「何ですって?」
「向こうの偉いさん何人かとヤッて裏を取ったから間違いない」
「こいつの貞操観念はどうなってるのですか、陛下?」
「気にするな。私の妃だ」
「貴方の貞操観念もどうなのですか?」
ーーと、怒りの訴えが口を突いた瞬間、マレンダは気がついた。
「……ん? 待ってください。女王に恋人がいたとなると……まさか今回の婚約を破棄したのは、女王を望まぬ結婚から解放するためですか?」
「凄い、この筋肉野郎は察しがいい」
「その通りだ、マレンダ。何せ国が関わっている問題だ。しかし彼女からは言い出せないだろから、私から放棄したわけだ」
「貴方という人は……」
マレンダは笑った。何という真似をする人だ。無茶苦茶だが、しかし、そうするべきだ。かねてからの恋人を切り捨てて結婚させたなら、必ず女王は後悔するだろう。かと言って、彼女にも立場がある。自分から断ることはできないだろう。ならば、こちらから断るべきだ。
「国に携わる身として、失格かもしれません。しかし、私は陛下の行いは正しいと思います。貴方は本当にーー」
「人たらしだよねぇ。この人は。僕でもここまでやらないよ」
「優しいーーコラ、待て。陛下に向かって人たらしとは何だ」
「だって人たらしだよ。こうやって女王に恩を売れば、形だけの結婚なんかより100倍は強力な繋がりができる」
「ふむ。確かにそうだが、人たらしと言うな。陛下だぞ」
「気にするな。私の妃だ」
「そうそう、そこはよろしくね」
「陛下、一つ質問です。婚約を破棄した理由は分かりましたが、コイツと結婚した理由を教えてください。わざわざコイツである意味は無いはずだ」
「無論、愛しているからだ」
「は?」
「どんな事情があれ、結婚は愛している者とするべきだ」
ヨハンがそう言うと、ヘイズは少しだけ恥ずかしそうに目を伏せ、
「……らしいよ」
と呟いた。その表情を見て、マレンダは思ったままの言葉を吐く。
「あ、そこは本気なんですね」
しかし、マレンダはすぐに気がついた。確かに婚約を蹴った理由は合点がいったが、婚約破棄という事実は変わらない。女王は押さえたが、その部下たちは別だ。このことを理由にして、我が国へよからぬことを企てる者もいるだろう。そして、このことは身内にも当てはまる。ヨハンは伝統を蔑ろにし、長年にわたるジェリーゴールド王国との同盟にヒビを入れた。内情がどうあれ、事実はそれだけだ。これまでの輝かしい活躍を忘れ、彼の皇帝としての資質を問う声もある。ヨハンには何か対策があるのか、マレンダは尋ねた。
「それをどうしようかと思ってな。かの国にも、我が国にも、今回の騒動を好機と捉え、不穏な動きを見せるものがいる。逆に言えば、これしきのことで揺れる者たちがいて、彼らを炙り出せたとも言える。その相手をするために、まずは信頼できる仲間を集めようと思ってな。さっそく1人目を試したわけだ」
「そいつに必要な能力は……。陛下を慕ってて、だけど必要なら陛下を疑う。ワイン倉庫の掃除係なんていう、自分より遥か下からの報告も把握して、地道に証拠を集め、突飛な結論をも受け入れる。そして事実が揃えば実際に行動に出る。この僕と一対一で向き合う度胸があれば、なおよし。ってなわけで、合格点♪」
「事情は飲み込めました。それに光栄です、がーー」
マレンダはヘイズをぎろりと睨む。
「そちらのソイツは妃の立場のままなのですか?」
するとヨハンは真剣な顔で
「うむ。愛しているからな」
「……むぅ」
マレンダに返す言葉はなかった。ヨハンの言葉には、有無を言わさぬ真っ直ぐさがあったからだ。
「さて、2人とも私の部屋に来てくれ。向こうの女王からの礼と、かの国の内情を知らせる便りが届いてるいる。それを踏まえた上で、今後の動きを話したい」
ヨハンは地上への階段に向かう。 その背に続く男が2人。1人はーー
「マレンダ、よろしく頼むね。あの人は僕の手に余る。いろいろ考えがあって彼に近づいた。賢そうだから、腕の一つ二つは覚悟してたけど、まさか妃なんてね。あれ、なかなか食えないよ」
欲深く、したたか。時に囁くように、時に大舞台の芝居の如く、虚実ない交ぜの振る舞いで世界を翻弄する妖しき男。そして、もう1人。
「ヘイズ、貴様ごときが陛下を計るな。言っておくが、私は貴様を信用していない。妃でなければ真っ先に始末してやる。手を貸すのは貴様ではなく陛下の為だ。忘れるな」
荒れ狂う暴力の体現者、辻褄合わせの苦労の人、真の帝国大躍進における功労者、あるいは歴史の影の主人公ーー。
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