2.徹夜は人をダメにする

死ぬほど疲れた、と矢崎 康太(やざき こうた)は思った。34歳、もう若くはない。168センチの身長で、体重は56キロ。痩せているし、童顔だ。傍から見れば20代にも見えるが、体力の衰えは確実に進行していた。

二徹って、こんなにキツかったのか。学生の頃はたまにやったが、とりあえず、さっさと帰って、シャワーを浴びて、ベッドに飛び込みたい。

「矢崎、しゃきっとしろ。まだ終わってない」

 「マ……本当ですか? まだ、コミットできなかったんですか?」

 「違う。出退勤の入力と、約束の件だ」

 康太の目の前には、死にそうな顔をした男がいた。同僚のシステム・エンジニア、室井 真(むろい まこと)だ。康太よりも年上の35歳。身長は185センチもあり、体重は80キロ。サイクリングを趣味にしており、体力で言えば確実に康太より上である。しかし、しょせんは35歳、2日連続の徹夜によって、彼の顔色は最悪だった。真は泊まり込みに慣れているので、洗顔道具と着替えまで用意してあったが、それでも顔色だけは誤魔化せない。その辺に無頓着な康太が気がつく程に。

真さん、顔が土みたいな色になってんな。目も半開きだし、せっかくの良い顔が台無しだなあ。それでも髭剃りやらをキチンとしてるのは偉い、オレじゃ真似できなーー

「コラ、ボーっとするな。話の最中だぞ」

「あっ、すんません。約束って、ホテルの件ですか?」

「それだよ。出退勤のやつが終わったら、さっさと取っておけ」

真は康太のメンター、ようは入社一年目である康太の教育係である。そんなメンターからの指摘によって、徹夜で沸いた康太の頭は失った記憶を取り戻した。

「了解す。あーそうだ。2人分、取らなくちゃいけないんだった」

今日の昼ごろ、真は言った。家に帰るのが面倒くさい。片道2時間かかるから、もう会社から歩いて1分のビジネスホテルで即寝たい。お前が作ったシステムが動くように手伝ったんだから、その手間賃としてホテルを予約しとけ、と。

そして康太も、「それ、賢いっすね。オレも泊まります」と返したのだった。

徹夜のせいで記憶がグチャグチャだ。オレだって片道1時間半かかる。金はかかっても、ホテルの方がマシだ。

「すんませんっした。オレ、徹夜で頭沸いてるみたいで」

「やっとけよ。オレは荷物と、あと上長に仕上がったと報告してくる」

真はフラフラと立ち去っていく。その後ろ姿を見送りながら、康太は眠気と感謝で胸がいっぱいになるのを感じた。

今日が締め切りだった案件がどうしても仕上がらない。そう悟って呆然と天井を見上げていると、真がヘルプに入ってくれた。そして何やかんやで完成まで面倒を見てくれたのだ。本当に助かった。ーーが、よくよく考えてみれば、そもそも発注にもスケジュールにも問題があった。案件はアプリ開発だが、康太が任された機能の仕様書はあってないようなもので、全体スケジュールも曖昧だった。それが急に成果物を求められて……。仕様書を書きながら機能実装をしていった。そりゃグチャグチャになって当然だ。おまけにオレは、中途入社の新人でーー。

「ホテル、取ったか」

後ろから声がした。康太が慌てて振り返ると、死にそうな顔をした真がいた。

「あ、すみません。まだっす」

だめだ、やはり頭が回らない。


ホテルには2つのベッドがあった。既にシャワーを浴び終えた康太は、バスローブに着替えて大の字になっていた。シャンプーとボディソープの香りが心地よい。全身で地球の重力を感じる。

ーーぼふん。

隣のベッドに真が倒れ込んだ。同じく大の字になっているが、バスローブはハダけていた。

「お疲れ様でした、室井さん」

「お疲れ、矢崎」

挨拶を終えて、寝に入るーーが、

「……矢崎、起きてるか?」

「はい」

一歩も動けないほど、全身が疲れていた。脳が早く寝かせろと叫んでいた。しかし、シャワーを浴びた清涼感のせいか、2人はともに寝つけずにいた。

「不思議だ。眠れない」

「オレもです」

「……おい、矢崎。なんか面白い話しろ」

無茶振りかよ、と康太は思った。普段なら真はこんなことを言わない。完全に頭が沸いている。

しかし、康太も康太で頭が沸いていた。

「オレ、小5でファーストキスを済ませました。しかも相手は男だったんです」

そう言った後に思った。

オレ、何でこんな話をしてるんだ?ま、いっか。あんまり普通はない体験だろうし、面白い話をしろというリクエストには応えられただろう。しかし面倒で、しかも雑なリクエストだ。

「矢崎、その相手のこと、覚えてるか?」

ーーと、食いついてきた。よかった。やはりそれなりに面白かったらしい。

「うっすら覚えてますよ。キスされたのが強烈すぎて、他はあんまり覚えてないっすけど、お兄ちゃんみたいな感じで、よく一緒に遊んでました。でも、両親が離婚して転校するとかで、どっか行っちゃって。最後の日に呼び出されて、急にキスされて」

康太の意識が徐々に遠のいていく。記憶を掘り返したせいか、脳みそが疲れたらしい。

「……それ、オレだ」

ーー? 真さん?

「最初は……同姓同名の人違いかと思った。でも顔を見たら、ハッキリ分かったよ。オレが好きだった、あの子だって」

「ああ、そうなんっ……ふわぁ〜」

大きなアクビが出た。限界が近い。

「お前のメンターには、オレから名乗り出たんだ。それで、ふわぁ〜……ん、お前と一年過ごして、やっぱり思ったんだ。オレは、お前が好きなまんま……みたいで」

何だかとても大切な話をされている気がした。しかし、体がついてこない。眠りに落ちるのは、あと一歩だ。それに真さんも……。ん? 真?

「あぁ、ひょっとして神田 真……でしたっけ? フルネームって」

「ん……そうだな、その名前だ。昔の……苗字で……むにゃ……」

「真兄ちゃん、マジで? だったら、オレも好きだよ。オレ……兄ちゃんにキスされてから、ずっと……」

凄く大事な話だ。しかしーーなんで、こんなときに……オレたちは徹夜してんだ? いや、逆か? 徹夜して頭が沸いてるから、こんな話ができてるのか? どっちだ? そもそも何で徹夜したんだっけか? ……ま、何でもいいのか。うん、大好きな真兄ちゃんと再会できて、なんかイイ雰囲気の話も出来たし……。後のことなんて……どうでもいいか。それより……眠い。もう、無理……。

  「矢崎……じゃなくて、康太。正直に言う。オレは今、お前をメチャクチャに抱きたい」

「それ、俺のセリフ。俺だって、その……色々したいですよ。でも、今はちょっと、そういうの……」

眠い。色々と言いたいことはあるけど、とにかく眠い。10代か、せめて20代なら、まだ普通に話せたかもしれない。だけど今は、とにかく眠い。つーか何でこのタイミングなんだ。真兄ちゃん、頭沸いてんのか?

「ああ……眠い。とりあえず、寝よう。……あれ 何でこんな話をしてるんだ、オレたち?」

やっぱ沸いてんな。何でって、お前ーー

「兄ちゃんがしろって言ったやん。面白い話をしろって。……違うっけ?」

どっちだったか。いや、どっちでもいいか。とにかく眠い。48時間くらい寝たい。

「てゆーか真兄ちゃんさ、明日、どうする?ぶっちゃけ会社に行きたくない……」

「……オレも。つーか、こんだけ働いたんだ。もういいだろ。康太、明日は2人でサボるぞ〜」

「いぇ〜い、そうしよ〜……zZ」

「で……起きたら、話の……続き……zZ」



遂に、寝れる。後のことは、また後で考えよう。というか、凄く大事な話だぞ。何でこんな時に話してんだ…………ああ、そうだ。寝てなくて頭が沸いてるからだ。ダメだ、やっぱ徹夜はダメだ。

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