第21話 ソードマスター

 セントーリアへ戻ってみると、訴訟の量は更に増えていた。

 だが、制約レギュルスが無効になっているということに、気が付き始めた者も出てきたようだ。エウティアの街も、何処か剣呑な雰囲気に包まれていた。

 芳しくない状況。

 自体は、悪化していきそうだ……。


 けれどそんな中、ファーランドでの活躍によって、サーシャの本になった時のサイズが十分の一くらいにまで回復した!

 これは良い兆候。素直に喜んでおこう。

 裁判が出来る内容も、これなら変わっていくことだろう――。


 そしてそんな感じで一ケ月くらいが経った頃、シーレさんの「これは!?」という声が、執務室に響き渡った。


「どうしました?」


 体の具合も随分と良くなり、包帯も必要なくなった俺は、室の隅でスヤスヤと寝入っているイザべリアに視線を預けながら、シーレさんに声を掛けた。

 老犬は涼ちゃん達が洗ってやると、見違えるほどに綺麗になった。

 更には灰色だった毛は黒へと変っていき、少しだけだが、若返ったようにも見える。

 きっと、ストレスが原因だったんだろう。今では食事も、きっちりと口にしてくれている。


 あの時イザべリアについては、どうしたものかと皆で話し合っていた。

 シスターに負担を掛ける訳にもいかなかったし、何処かに引き渡すのも躊躇われた。

 何故なら口にする事こそなかったけれど、涼ちゃんは一緒に居たそうにしていた。

 それに彼もまた、涼ちゃんの傍から離れなかった。

 考えてみれば、こうして職務に就いている限りには、同じ年くらいの話し相手や遊び相手を作る時間というものが、どうしても彼女には乏しくなってしまっているという事に俺は気が付いた。ならばせめて動物くらい良いじゃないかというのが俺の考えで、サーシャとシーレさんは、俺のその考えに笑顔で賛同してくれた。


 そうして一人と一匹は、なかなかに渋い関係を作り出している。

 涼ちゃんが歩けば、イザべリアは少し後ろを付いて行く。

 彼女が席に着けば、見える所で彼は寛ぐ。

 優しく撫でれば、尻尾を一振り。

 お互いに、それ以上かまわない。

 なんだか、とても面白い。


「マイマスター! 早急に是非、この裁判をお願いいたします!」


 シーレさんが興奮気味に訴状を見せる。


「ん~と、どれどれ……」


 俺は訴状を目にしながら、シスターや子供達に別れを告げた時のことを、ふと思い出した。


「――何かお役に立てることがあれば、いつでも仰ってください」


 シスターはそう語ってくれ、その言葉にグッときた俺は、「シスターと一緒に、ここで――」と、恋の炎を再燃させて言うや否や、三人に拉致されるようにして、その場から引き剥がされ連れ去られてしまった。

 嗚呼、なんと可哀そうな裁判官……。


「なになに……無銭飲食と店内でゲロ吐いた件ですか。シーレさん、スカトロの気もあったんですね」


 自分を慰めながらシーレさんに言うと、彼女は心外だとばかりに眦を決して、「私は健全なドMです!」と言い放ち、被告の名前にご注目くださいと指差した。


「どれどれ……八雲・アーツ……」


 そこで俺は一言、誰? と、首を傾げる。


「剣聖と呼ばれる御仁です。剣術において、この方の右に出る者はおりません!」


 シーレさんが目を輝かせて熱く告げた。


(へー、そんなに凄い人なのか~)


 興味が湧いた。


「――これより、裁判を始めます!」

 

 翌日。俺は早速、裁判に取り掛かった。

 魔法使いさん達の協力のお陰で、少なからず法廷には安定した術式が保たれる仕組みを作ってもらった。これならば、そこそこの相手だったら制約レギュルスを掛けられる。

 さて、剣聖様には、どうなのかな。


 原告のオヤジさんが尋問席へと向かう。

 大層ご立腹な様子で、サーシャへと手を翳した。


(うわー……この被告おっさん、どんだけ飲むんだよ)


 被告が浴びるようにして酒を飲んでいる場面だった。

 延々と、五臓六腑に沁み渡らせている。

 

(うわ!? やりやがった!)


 そうして店の酒が全て底を突いたことを店主である原告さんが謝罪しつつ支払いを求めると、突然、被告のおっさんがリバースした。


「っ、次! 被告の方、お願いします……」


 ザンバラの長い黒髪を掻きながら、縞の着物を紺の帯で結び着流した無精髭のおっさんが、雪駄を突っ掛け手を翳す。

 アレが……と思いながら、興味津々で眺めていたのだが、ホントに剣聖なのか? と、そう疑いの目を向けたくなるほどオーラのないおっさんだった。


(おいおい。それにしても、法廷に刀なんぞ持ち込むんかいん)


 おっさんの手にしている得物が、身なりとは全く不釣り合いの代物に映った――。


「判決を言い渡します」


 それぞれの経緯が伝わり、間違いなく訴状通りの内容だった。

 俺は考慮しようのないその内容に、原告さんの訴え通りの請求額を判決として、サッサと書面を作成して、それぞれへと飛ばした……すると、


 ――シュン!


 一瞬の出来事で何が起こったのか分からなかったが、被告おっさんの前で書面が真っ二つになって、そのまま消滅した!? 

 見るれば被告おっさんは、鍔のない柄の部分と鞘を握り込んでいる。

 見えなかったが、恐らく切ったんだろう。それにしても、掛からないかもとは思っていたけれど、まさか切られるとは予想外過ぎだ。


(参ったぞ……)


 驚いているのがバレないように、みんなと目を合わせようと視線を送る……が!?

 誰一人として合わない。

 ま、サーシャは本になっているので、いずれにしろ合っているのかどうかは分からんのだが。


「ちょ、ちょっと待ってくださいね!?」


 声が裏返ってしまった。

 みんなを集めて、ともかく状況の確認と対応を小声で緊急会議する。


「サーシャ!?」


「切られてしまったみたいです!? 書面が可哀想過ぎます……私、訴えます!」


「さすが剣聖ですな。是非とも一太刀浴びてみたい!」


「幼女手当希望……」


「これじゃ制約レギュルスムリだよねっ!?」


「同じ紙ベースとして、断固許せません!」


「必殺技で仕留められるのも、堪りませんな!」


「給料アップ希望……」


 その後も、受け取り手のいない会話を繰り広げて、結果、どうにか一つの案に辿り着いた。


「被告さん。すいませんが、ちょっとこちらへ……」


「なんじゃ?」と、頭を掻きながら法壇の下までやって来る。


「あの~、書面切っちゃいました?」


「あー……なんかつい、の」


(〈つい、の〉で、切るんじゃねーよ!?)


「あの内容では、受け入れられませんか?」


「これを取られるわけには、いかんからなぁ……」


 おっさんは黒光りする鞘を眺めて呑気に答える。

(金目の物っていったら、それしかないだろうが!)という俺の気持ちを抑えて、常軌を逸した提案をおっさんにブッ込んでみた。


「……では、特例措置として、当裁判所で飲食代と清掃費を立て替えます。その代わり暫くの間、裁判所こちらで労働に従事して頂くというのは、如何でしょうか?」


 するとおっさんは、この提案を受け入れてくれた。

 そこで原告さんにも確認を取ると、それでいいと言ってくれたので、おっさんの気が変わらないうちに超特急で判決文を飛ばして、この前代未聞の裁判に幕を下ろしたのであった――。


「……で、あの人どうしますか?」


 執務室。サーシャが困り顔で聞いて来た。

 俺は雑務を熟すペンを止めて、イザべリアの隣に椅子を持っていっていびきを掻いて眠るおっさんに目を遣る。


「シーレさん。あれホントに凄い人なの?」


 俺は懐疑的な目の色で剣聖様を見た。

 出来ることを聞いてみたら、酒を飲むことくらいときたもんだ。

 それが労働ならば、俺のAV鑑賞も立派な労働だよなと聞きたくなってしまう。


「あの書面を真っ二つにした剣技は、紛れもなく偉大な御仁だと推測されます!」


「ん~~、でもなぁ……」


 唇をへの字にして、俺は彼女の発言を不当と意思表示する。

 するとサーシャがハタと思い出したようにして、話の向きを変えた。


「コラルド連邦の選挙があります!」


「何それ?」


「三年に一度行われる連邦の元首を決める選挙です。我々セントーリア最高裁判所は、その選挙の立会いを連邦の要請により慣例としています」


「へ~」


 なんでも、五か国の王が一同に会し、そこで選挙を行って元首を決めるという話だった。


「今のところ、二期連続でクルシャ国のヨゼラ王が就いてる……」


 涼ちゃんが、ハァ~! と、メガネに息を吹きかけ袖口で拭きながら述べる。


「そ~すると、俺らが立ち会いに行くの?」


 ペンを指で回す……おいおい、さっきよりも働いてるぞ。


「そうなりますね。早速、準備に取り掛かった方がいいと思います」


 そう言ってサーシャが行動に移ろうとすると、「護衛役を務めよう」と、今さっきまで隅で寝ていた筈のおっさんが、いつの間にやら俺の目の前に立っていた。


「え!? お……」


 おっさん、と、最後まで口にすることも出来ずに驚いてしまった。


「それは心強い!」


 シーレさんが瞳の中にドMと記された好奇心と期待の眼差しで告げる。


「働け、おっさん……」


 涼ちゃんがノンビリと、紅茶によく似たパフューをすすりながら述べる。


「じゃ……じゃあ、お願いします」


「うむ」


 そうしてコラルド連邦へ向けて、数日後、荷支度を整え出発することとなった。



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