第20話 名無しの涼ちゃん

 ル・ウェスタットの路の上をかっと飛ばし、半分ぐらいまで戻ってきた所で脇道へと入っていき、蛇行などが続く為に安全上の理由から馬並乃如意棒チンポンウンを普通の馬車として走らせる。

 そしてスーンという村に彼を預けて、今は樹々が生い茂る森の中を歩いていた。


「……」


 涼ちゃんを先頭に、夕日が射し込む森の中を目的地へと向かう。

 彼女はレフレーテルムで大量に買い込んだ食料やお菓子、そして子供用の衣類なんかを背中にドン! と、風呂敷包みで背負っていた。

 後ろから見ている限りでは、荷物が揺れている所しか見えない。

 何回か「持とうか?」と聞いてみたのだが、涼のだからと言って、頑なに断っていた。

 そしてそんな健気な姿を眺めながら暫くの間すすんでいくと、森から抜け出し、軽勾配のある道が姿を現した。

 涼ちゃんは迷うことなく、そこを進んで行く。

 すると営みのある風景が、ぽつんと見えて来た――。


「ここ……」


 一応、敷地を意味しているのだろう。まばらに木杭が施されたその前で、涼ちゃんは立ち止まった。正面には、あばら家があって、その隣には今にも崩れそうな小さな教会のような建物。

 そしてその手前には、菜園があった。

 数人の子供達がその中にいて、手顔を汚しながら一生懸命に作業をしている。家の前では、洗濯物を取り込んでいる子達の姿も見受けられた。


「あっ!? 涼おねぇちゃんだ!」


 洗濯物を取り込んでいる年上の女の子の裾をいじっていた一人の男の子が、こちらに気が付いた。すると一斉に子供達が振り向き涼ちゃんを視界に捉えると、全員が駆け寄って来て、彼女を取り囲んだ。


「みんな、元気だった?……」


 涼ちゃんは薄らと笑顔を浮かべながら、それぞれの名前を呼び、背負っていた包みを落とすように地面に広げると、中から買ってきたものをお土産と言って渡し始めた。


「知り合いのとこなのかな?」


 サーシャに小声で話しかける。その子達の身に付けているものをチラと見れば、かなり貧しいということは、直ぐに分かった。


「涼ちゃんは、ここで育った孤児だそうです」


 俺は思わず、サーシャの顔を直視した。


「そうなんだ……」


(異世界だから!)と、気にしていなかったが、彼女の生い立ちを想像して、俺は改めて涼ちゃんという子を意識した。


「涼、お帰りなさい」


 そう優しく声をかけたのは、いつの間にやら姿を現した一人の女性だった。

 清楚な彼女は、シスターの装いをしている。


「シスター、ただいま……」


 美人だ……いや~、美人だ。というか、タイプだ!

 清楚な雰囲気にも係わらず、何処となく男を虜にしてしまうような妖艶さを併せ持つ大人の美。そして愛らしさも兼ね備えた八重歯が、また良い。


「こちらの方々は?」


 涼ちゃんは簡潔に俺らのことを紹介した。

 するとシスターは、「いつもお世話になっております」と、俺ら……イヤ、俺にその素敵な笑顔を与え賜うた☆


「とんでもありません。こうして涼ちゃんのお蔭で出会えたんです。これは神のおぼし召しでしょう」


 俺は三人の冷たい視線など即時却下して、シスターとの心温まる時間を求めて、心身ともに距離を縮める。すると奥ゆかしいシスターは、羞恥心から少しずつ後退していきつつも、「立ち話もなんですから、中へどうぞ」と、俺との語り合いを遠回しに望んで、中へと招待してくれた――。


「なにぶん貧しいもので、大したものはありませんが……」と、シスターは前置きして、テーブルの上に菓子と飲み物を用意してくれる。

 俺はアンバランスな古い椅子の何処に体重を置こうかと、苦慮してしまった。


「急に押し掛けたのは、こちらの方です。お気になさらないでください」


 サーシャが笑顔で伝える。

 

「……」

 

 見れば菓子といっても、甘みはあるものの、ぱっさぱさな得体の知れないものが少しあるばかりで、飲み物は白湯だった。

(貧富の差って、必ず何処にでも起きるもんなんだな)と、俺が少し感慨にふけっていると、「涼おねぇちゃん、いつまでいるの?」という、涼ちゃんを取り囲む子供達の声が耳に届いてきた。


「お土産、届けに来ただけだから……」


 即座にブーイングの嵐が沸き起こる。

 すると、「あんた達、我儘わがまま言うんじゃない!」という、年上の女の子がピシャリとしつけて、子供達は思い思いの、素知らぬフリの態度を取った。

 俺はその様子を面白おかしく眺めていたのだが、サーシャとシーレさんが、そっと俺に視線を投げかけて来た――。

 

「シスター。もしご迷惑でなければ、今日一日、泊めては頂けないでしょうか? あいにく長旅で疲れが溜まっているものでして」


 シスターは俺らの意を汲んで、軽くお辞儀をした後、「むさ苦しいところですが、よかったら」と言ってくれた。


 子供達の大歓声と、涼ちゃんの綻んだ顔が部屋の中に明るさを灯す。

 その様子を微笑ましく思いながら、「シスターと、つもる話もあることですし」と、そう言って身を乗り出し、俺はそのきめ細やかな手に自分の手を重ねようとする……と、


「アチッ!」


「あ!? 流射芽さん、ゴメンナサ~イ!」


「ちょっと、サーシャ。気を……!? いえ、なんでもないです……」


 隣のサーシャが俺の腿に白湯を溢したのだが、その表情は、謝罪とは掛け離れたものであった――。


「それにしても、こんなところでシスターと子供達だけというのは、余りに危険ではありませんか?」


 俺はこの場所の寂しさに憂うものを感じていた。明らかに街道に続く為の小道でしかない場所だ。周りには何もなく、森が鬱蒼としているだけ。


「大丈夫だよ! シスターチョー強いもん!」


「?」


 一人の男の子の発言に、子供達が賛同する。

 俺はそれを振り切り、「なんなら、僕が……」と言いかけた、その時、涼ちゃんが傍へやって来て耳元で囁いた――


「シスター、ヴァンパイアなので……」


 聞こえなかったことにして、続ける。


「荒くれ者とか、来たりしませんか?」


「ええ。そのお蔭で、私の食事にも事欠きませんの。 それに、畑の肥料としても多少は役に立ってくれているんですよ」


 只の冗談だろう。シスターは癒しの笑顔でサラリと言う。


「と……隣って、教会ですよね!?」


「ぉ兄ぃちゃん、教会じゃないよ。恐会だよ……」


 確かに記憶の限りでは、十字架は何処にも見当たらなかった。

 それにシスターのことをよくよく見てみると、そういった類の物を身に付けている様子がない……。

 なんか、特別職国家公務員の血が騒ぎ出してきたぞ。

 どうやらこれ以上の深入りは、止めておいた方が良さそうだ。


(無念……)


 俺の心の中の一片の花弁が、あっという間に散っていった――。


「ですが……」


 シスターが不意に視線を下げる。


「どうかしましたか?」


 傷心を抱きつつも彼女の表情が翳ったのを見て声を掛けた。

 シスターは逡巡するも、法的な事であればお役に立てる筈です、という、俺の言葉に希望を見出したように視線を持ち上げ、「実は……」と、話し始めた――


「なるほど。そういうことですか」


 話によると、ここは先ほど馬並乃如意棒チンポンウンを預けた村の地主さんの土地であるらしい。そして今までの地主さんは、シスターの善行を汲んで、この土地を無償で貸し与えてくれていたそうだ。

 けれど先日、その地主さんが他界されて一人息子が後を継ぐと、出て行くか賃借料を払うかを決めろと言って来たらしい。


「涼や育った子達がお給金の中から仕送りをしてくれているのですが、それでも切り詰めることで何とかやっていけているのが現状で、土地代を支払う経済的な余裕なんて、残念ながらありません……」


 俺らは平然としている涼ちゃんのことを自然と見つめていた。

 サーシャとシーレさんは、目を潤ませている。

 そんなことしているなんて、全然知らなかった。

  

「んーー……」


 どうにか力になってあげたいのだが、こちらの法でも使用貸借契約は、返還の時期並びに使用及び収益の目的を定めなかったときの貸主の返還申入れがあると、それに応じなければならないというのが定めだ。

 状況的には、どうすることも出来ない訳なのだが……。


「少し、地主さんの話を伺ってみます」


 ――ということで、翌日、俺らはスーン村へと足を運んだ。


「ダメダメ。相続税だってバカにならないし、出来ることなら、もう、あそこの土地は売りに出したいんですよ」


 中年の息子さんは家で片づけをしていた。亡くなられる前の一~二ヶ月の間は、同居して介護に当たっていたらしい。

 胸板だけ妙に厚いのは、ベンチプレスでもやっているのだろうか?

 両サイドを剃りあげ髪を逆立て三日月型のネックレスをしている所なんかを見ると、若作りに精を出しているという印象を受ける。


「他の街で商売やってたんですけどね。親父の容体が悪いっていうのを聞いて、店を畳んで世話してたんですよ」


「そうでしたか……」


「それにその女、モンスターだって言う話じゃないですか。そんなのが近くに居られたんじゃ、安心して眠ることだって出来やしませんよ」


 その発言に、涼ちゃんが動き出した。

 けれど向かった先は、隅で丸くなっている一匹の老犬のもとであった。

 見たところ、ミニチュアシュナウザーにそっくりな犬だ。

 違う所といえば、柴犬のように尻尾が巻き上がっている所だろうか。

 白と灰色の毛並だったが、如何せん、汚れている為に言い方は悪いが、まるでボロ雑巾のようだった。

 

「ほんと、可愛げが無いんですよ」


 息子さんは器に入れた残飯のようなものを餌として与えたのであったが、老犬は臭いを嗅いだだけで、口にしようとはしなかった。


「……」


 涼ちゃんが膝を折り畳んで、老犬の頭を撫でてやる。

 すると老犬は、軽く尻尾を振った。


「名前は、なんと言うのでしょうかな?」


 シーレさんも近づきつつ、彼に問う。


「マ、マキシアです!?」


 事務官の揺れる部分に釘付けとなりながら、彼は答えた。


「マキシアですか!」


 シーレさんが「マキシアー!」と言いながら犬に近づいていく。


「あ……犬の方ですか。 イザべリアです……」


 どうやら彼女の後ろ姿も好みらしい。

 落胆しつつも、彼はシーレさんの背中を目で追いかけながら答える。

 視線が釘付けとなっていて、忙しなく上下に動いていた。


「片付けが終わったら、この家はどうされるんですか?」


 ホイス・ルーズさん。マキシアさんのお父さん。

 地主さんというので、家はそこそこ立派なのかと思っていたら、かなり質素なものだった。

 中は必要最低限の物だけで、細やかな贅沢いえば、僅かなエール酒と窓辺に飾ってある花瓶に挿す花ぐらいなものだろう。


「考え中です。このまま住んでもいいんですが、古いし狭いですからね」


「……そうですか」


 俺は蹲るようにして枯れているその花に、老犬と似たようなものを感じていた――。


 マキシアさんに挨拶を済ませて、俺らは塞ぐ気持ちを抱えたまま外へと出た。


「!?」


 すると数人の奥様方が、目の前にいらっしゃった。


「……どうも」

 

 軽く頭を下げる。


「なんの話してたの?」


「え? いや、ちょっと……」


「ねー、貴方からも言ってくれない!?」


「はい? 何をですか?」


「だから!?――」


 そこから、怒涛の勢いの話が始まった――。


「でも、支払わなければいけないものなんですよね?」


「確かにそうだけど、急に言われたって困るのよ!?」


 いつの間にやら完全に俺一人だけが囲まれてしまっていた。

 見ればサーシャ達は輪の外側にいて、俺に手を振っているではないか。


(あいつら~……)


 話が進むほどに包囲網が狭まり、今では唾の一斉攻撃を浴びている。

 正直、泣きそう……。

 この間、マキシアさんが顔を覗かせることはなかった。

 恐らく我関せずを決め込んでいるのだろう。

 奥様方はそれぞれ好き勝手に口を開き、話の本質が見えない上に旦那さんの愚痴まで入ってきたもんだから、俺は内容を理解するまでに時間が掛かってしまった。


「でも用水路にしろ井戸にしろ、皆で使っているわけですよね?」


 奥様方が言いたかったことは、村の共用物の管理費についてのことだった。

 なんでもホイスさんが存命だった頃には、全て用立ててくれていたらしい。


「だからって突然よ!? ますます生活が苦しくなっちゃう!」

 

 ホイスさんを頼って、移り住んで来た貧しい人達も中にはいるそうだ。

 それが突如生活費がかさむとあって、死活問題ということで、あのろくでなしの仲間か? とまで言い出す始末。


「……碌でなしって、どういうことですか?」


「あの息子はね――」


「はぁ~、なるほど」


 話によると、どうやら随分と散在癖があるようで、更には商才も無くどこぞに借金をしていたらしいのだが、父親であるホイスさんに泣き付いて完済してもらったそうだ。


「とにかく、貴方からも言っておいてね!」


 昼ご飯の支度、と、誰かが口にしたその言葉が呪文になって、やっとのことで解放してもらえた――。


「どうか、しましたか?」


 俺がサーシャ達に恨み節でネチネチと愚痴を溢しながら馬並乃如意棒チンポンウンの様子を見に厩舎へと顔を覗かせてみると、行商人と思われる荷馬車がそこにはあって、何やら二人のおっさんが馬の影に隠れるようにして、コソコソと言い争っていた。


「……だ、誰だよアンタ」


 二人は、こちらに怪訝な表情を浮かべながら顔だけを向けて言う。

 知らん顔をして立ち去っても全然よかったのだが、何も成果を上げられないジレンマから、つい声を掛けてしまった。


「あ、すいません……。何か揉めてるのかなーと思いまして。俺ら、セントーリア最高裁判所の者です」


「お!? セントーリア! それは助かるわ。なぁ、ちょっと聞いてくれよ!」


 そうして、不健康そうな行商人の男は、身振り手振りで話し出した――。


「そういうことなら、ちょっと待ってくださいね」


 俺は直ぐさま訴状を作成して、皆に合図する。


「すいません。これに手を翳して頂けますか?」


 村の中年男性は、出っ張った腹を邪魔そうにしながら、手を持ち上げた。

 

すると――


「キャ!?」


 何処からともなく突如イザべリアが姿を現し、ピョコン! と【法の書 《サーシャ》】へ飛び乗った。


「――!?」


「流射芽さん!?」


「……ああ!」


 突然に流れ込んで来た経緯。

 イザべリアは知ってか知らずか、大手柄を立ててくれた。


「なんだ?」


「あ!? すいません。順に手を翳してください」


 そうして彼らの経緯を確認して行った――。


「この本ですよね?」


「ああ! これだ、これ!」


「くそ! また見せてくれよ!?」


 村の男が肩を落としながら家から戻ってくると、一冊の『本』を行商人へと手渡した。

 行商人は奪い取るようにしてそれを受け取ると、おかえり、と言いながら、本に顔を摺り寄せる。


「流射芽さん……気持ち悪いです……」


「サーシャ。男のロマンだ」


 何のことはない。行商人は「貸してやる」と言ったにも係らず、村の男は漫画に夢中になり、「――やる」しか聞こえていなかったという次第だ。

 それもエロ漫画。

 だが、中々よく描けている、出来の良い絵だった。

 情欲をそそるうなじ。肉感たっぷりの胸の谷間。左右非対称の腰のくびれ。きめ細かな脛から足の指先が、最大限のエロスを醸し出す。

 あれだけの繊細なタッチで描けるならば、酸いも甘いも噛み分けた、経験豊富な絵師に違いない。


「早く行こう……」


 俺が腕組みしながら感慨に耽っていると、涼ちゃんが俺の袖を摘まんで引っ張り、もう片方の親指でクイッっと指し示した。

 俺らは、それを合図にもう一度、マキシアさんに会いに行った――。


 そのあと直ぐに俺らは戻り、シスターに事情を伝え聞かした。

 そして子供達も含めて全員で喜びを分かち合い、「これで安心して、この子達を育てられます!」と、シスターは安堵の表情を浮かべていた。

 

 イザべリアが見せてくれたもの。

 それは、病床のホイスさんがマキシアさんへ向けて語った、遺言だった。

 その話では、遺産を受け継ぐ代わりに、この土地をシスターへ譲渡することと、村の管理費を今まで通り支払うことが約束としてあった。

 そしてその条件を呑めないのであれば、全てセレス教団へ寄付するということも伝えていた。

 なので、俺は改めて遺言を守るのかどうかを彼に確認してみた。

 反故にするというのであれば、『遺留分減殺請求権』というものがあるので、多少なりとも手元には残るんじゃないだろうかということも付け加えて。

 すると彼は直ぐに損得を弾き出したんだろう。

 落胆の色を見せながらも、了承したのであった。

 

「シスター。つかぬことをお伺いしますが、どうして子供達の面倒を見ようと思ったのですか?」


 すると彼女は、大切な思い出を振り返るようにして、ゆっくりと語ってくれた――


 彼女は長い間、人を嫌っていたらしい。

 一括りに『モンスター』として、自分達と同じ容姿以外の者は受け入れないというその姿勢に、辟易していたそうだ。

 モンスター。

 神から罰せられた者。醜い姿に変えられた、業の深い者。

 これが人の認識らしい。

 けれど実際には、それぞれ種として生きているだけの事であって、そういった事は一切ないのだそうだ。 でも八~九割方が人で占めるこの世界では、その考えは全く通らない。


 そしてそんなプライドだけの生き物を追い詰めるのが楽しくて、彼女は趣味として人を狩ることを繰り返していたらしい。

 眷属などは作らず、ただ捕食して捨てていたそうだ。

 だが、ある日、狩る側から狩られる側に変わってしまった。

 派手に各地で好き勝ってやっていた所為で、彼女は行く先々で精鋭のパーティーと戦う破目になってしまったそうだ。

 連戦に次ぐ連戦。

 出来るだけ勝敗を付けることを避けて、適当にあしらい逃亡を繰り返していたそうだ。けれど体力の消耗が激しく、一息つくこともままならず、そしてとうとう、敗北を喫してしまった。

 それでも何とか一命を取り留めて、この近くの森の中へと身を隠したそうだ。

 けれど瀕死の重傷の為に、その命は風前の灯火。

 血を吸わなければ、手当をしなければ……死んでしまう。

 しかし、もはや身動き一つ出来ない状態で、獣達が遠巻きに目を光らせる段階だった。

 そして現れたのが、小さいホイスさんと、そのお父さんだったそうだ。

 ホイスさんのお父さんは、地べたに這い蹲るようにしている彼女を見ると、直ぐさま「死なん程度にしてくれ」と、一言添えてから、首筋を差し出してきたそうだ。

 

「この時、私は自身の過ちに恥じ入り涙しながら、その血を頂きました」

 

 その後、献身的に看病してもらったということで、何かお礼をしたいと述べたところ、「いつか、分かり合える日が来ることがあれば、それでいい」と、ホイスさんのお父さんは、そう言ってくれ、彼女はその言葉に報いたいと、身寄りのない人の子を育てる決意をしたそうだ。

 そしてその決意を聞いたホイスさんのお父さんは、この場所を提供してくれて、その意思を継いだホイスさんも、また、変わらず貸し与えていたという訳だった。


「私は子供達に、モンスターというものが、一体どういったものなのかということを知識として知っておいて欲しいと思うのです。そしてそれを踏まえた上で、この子達が何を選ぶのか、それは、この子達の自由です」


 そして、「仮に同族がこの子達の手によって殺されたとしても、私はこの子達と共にあります」と、迷うことなく笑顔で言い切った。

 俺はシスターのその凛然とした発言に、強さと美しさ、そして哀しさを感じた。


「……それで、その恰好は?」


「何事も見た目が大事かと」


 シスターは屈託なく笑い、でも十字架は流石に、と苦笑する。


「なるほど……でもシスターの思いは、こうして、しっかりと芽吹いて行っているのではないでしょうか?」


 俺は涼ちゃんや子供達を見回して、シスターに確認するようにして聞く。


「――はい!」


 シスターは俺のその問い掛けに迷うこと無く答えて、嬉しそうにして笑った――。

 

 もう一泊させてもらうことにした。

 皆で家事を手伝い、楽しく夕食を囲み、そして子供達を寝かしつけた……。

 この二日間、なんとも充実した時を過ごすことが出来た。


 そうして夜がこの家に静けさを届けた頃、俺は満天の星空を眺めようと表へと出てみた……すると、涼ちゃんが家の前にある切り株に腰かけて、先客として見上げていた。

 彼女の傍らには、眠そうにしながら体を丸めるイザべリアの姿もあった。

 老犬は、何故だか俺らに付いてきた。少し距離を取って、後ろをトボトボと。

 何度も戻るように言ってみたり、仕草を作ってみせたりしたのだったが、全然ダメだった。

 そこで俺は仕方なくマキシムさんに連れて行ってもいいかどうかを尋ねに戻った。

 彼は好きにしてくれて構わないと、老犬の存在すら忘れていたかのようにして、俺に伝えていた。


「ぉ兄ぃちゃん。今日は、ありがとう……」


 涼ちゃんは夜空を見上げたままに言う。俺はそんな彼女に詰めてもらい、隣に腰かけた。


「ううん。こっちこそ、いつもありがとうね」


 涼ちゃんの横顔が、微笑んでいた。


「布に包まれて、そこにいたんだって……」


 あばら家の前を小さく指差す。


「で、『涼』って書いた紙が、挟んであったらしい……」


「とっても良い名前だと思うよ…… 苗字は?」


「わかんない……」


 涼ちゃんは悲しげにしながらも笑う。

 そして、「一緒に居たくなかったんだろうね……」と、そう言って、暗い地面へと視線を落とす。俺はその様子に配慮の足りなさを痛感して、げんなりしてしまう。

 何か言葉を掛けてあげたい……けれどなんて言ってあげればいいのか、言葉に詰まってしまった。下らないことはペラペラと出てくるっていうのに、肝心な時には何も思いつかないなんて、なんて役に立たない男だろうか。

 悔しさと情けなさと腹立たしさが混じり合いながら、それでも何かを伝えようと口を開きかえると、

 

「――そんなことは、絶対にありませんよ!」


「!?」


 振り向くとサーシャが後ろ手に歩み寄ってきていた。


「それに我々、これからも涼ちゃん殿と一緒にいたいですぞ!」


 後ろに続くシーレさんも、伸びをしながら溌剌と言った。

 二人の笑顔に驚いたような表情を見せたが、涼ちゃんは満面の笑みで、一言、


「ありがとう……」


 と、俺らに述べてくれた。


「じゃーさ、涼ちゃん。『流射芽 涼』ってのは、どうかな?」


 俺は二人の助け舟に感謝しつつ、涼ちゃんに提案してみる。

 すると涼ちゃんはジワッとに涙を浮かべたかと思えば、引き潮のようにして目力強くいつもの表情を取り戻して、吐息混じりに、一言――


「アナタ……」


「違ーーーーーーーーう!」


 そんな俺らの会話を後ろ足で耳の辺りを掻きながら聞いていたイザべリアは、大きな欠伸をすると立ち上がり、ゆっくりと一本の木杭の方へと近づいて行くと、そこで徐に後の片方の足を上げた。


「イザべリア……お前、オスだったのか……」


 老犬は老獪さを見せつけるようにして、尻尾を一振りする。

 そしてそれを愉快に思ったのか、夜空では、流れ星が軌跡を描いていった――。



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