第15話 補佐役

 ――先に、後の話をしておこう。


 メルティナ達は当然の如く女将さんから罵倒に近い説教をされて、ぶち抜いた屋根と天井、それから壁や窓の補修費なんかをバイト代から差し引かれることとなった。

 けれど小さくなってうな垂れるメイドさん方へ話す内容はというと、三人のことが愛おしくて仕方がないといった、愛情に溢れたものだった。


「特にメルティナ! あんたは――」


 俺らはその光景に心苦しく謝罪と補修費の支払いを申し出ると、「何も悪くない」と言って、女将さんは咎め立てたり責め立てたりするようなことは、一切しなかった――。


「さっすが、メルちゃん」


「……お見事」


 メルティナは満面の笑みを浮かべて、ピースサインでこちらへと歩み寄る。


「メルティナ……どうなって、ああなったの?」


 俺は目を真ん丸にしながら、下と上を指差し疑問を口にする。


「ん? ああ。アイツがパンチ繰り出す前に膝蹴りで床を完全にブチ抜いて、一階に下りたんだよね。そこから表に出て二軒隣の屋根から思いっきり助走つけて跳んだんだよ」


「ほえ~~……」


 その跳躍力に、驚くばかりだ。


「でも、なんであんなにタイミングよく現れてくれたの?」


 何故ならば聞く処によると、ここに住んでいるのは女将さんだけで、彼女達はそれぞれの家へ帰っているらしい。


「お城に付いてった時、ローシラ宰相っていう人、メチャクチャ殺気立ってたんだよね……それで、ものすごーく嫌な予感がして、念の為この二人に相談してみたんだ。そしたら〈一階の空き部屋で暫く寝起きしよう〉ってことになってさ。で、早速だったから、結構おどろいたよ」


「そうだったんだ……本当に、ありがとう。それと……ごめん」


「へ? なんで謝るの?」


「君達を危険な目に遭わせてしまったから……」


「なに言ってるの? 好きで協力しただけだよ」


「嫌だって、もしかしたら、命の危険だって……」


「そんなの、お互い様じゃん!? 気にすることないって!」


 と、そう言って、メルティナはケラケラと不思議そうにして笑った。

 見れば二人のメイドさんも微笑んでいる。


「……」


 俺らは、彼女達に深く頭を下げた――。


「で、この人達どうするの?」


 恥ずかしそうにするメルティナが襲撃者に目を落とす。


獣人コイツ以外は、このまま城へ引き渡すよ」と言って、人間の姿に戻っている従者へ俺は歩み寄った……そして、


「――先日の恨み、晴さでおくべきか!」


 と、根に持つタイプの俺は、コイツぐらいならば裁判やってもいいかなと考えて、本日分の訴状も直ぐさま作成して、補佐役達へ声を掛けた……なんなんだ? その面倒臭そうな顔は。


「ヨ~シ! お前の言い分も、きっちりと聞いてやろうじゃないか!?」


 気を失ったまま、木箱の上で突っ伏すソイツの右手を【法の書 《サーシャ》】へと持っていく――


「!?」


 すると、二件分の訴状の所為か、随分と以前からの経緯が伝わってきた……どうやらそれは、彼が子供の頃からのようだった。


(……)


 持ち上げた視線の先には、今より若いローシラ宰相の姿があった。

 木彫りの仮面と短剣ダガーを受け取り、暗殺するよう指示を受けている。

 そして最初の頃こそ手が震えて躊躇いの様子を見せていたコイツだが、いつしか呼吸をするかのようにして簡単に対象者を亡き者としていく。


(……)


 数々の光景が、映し出される。

 若者の首をへし折る。

 淑女を谷底へ蹴り落とす。

 寝ている老夫婦を滅多刺しにする。

 赤子を持ち上げ、地面へ叩きつける――


「……」


 次から次に見える経緯の中、やがて宰相と目線の高さが同じくらいになった頃、とある一家を屋敷の中で刺突して皆殺しにした此奴は、幼女の亡骸の前で不意に立ち止まると、その姿を見下ろした……そうして――


「やめろっ!」


 獣人は両膝を突きながら面を外すと、その子を抱き上げ、小刻みに震えながらも顎を動かし口を開いていった。

 そしてその細い首筋へと噛みつき、瑞々しい肉を引き千切り、咀嚼した……。


「喰うんじゃねーーっ!」


 この時、俺の胸の奥にある傷のようなものが疼き出したのを感じていたのだが、そんなことには構っていられなかった。


「この……」


 その後にチラリと見えたものよりも、その光景に、俺の怒りがいとも容易く沸点を越えてしまったのと同時に、傷口が突然おおきく広がり始めて、灼熱のようなものが一気に体の内から湧き起こってきた――


「【ぅぅぅ"っ――】」


 急激に目頭が熱くなっていったのだが、まさかそれが漆黒へと眼球が染まっていっているとは、夢にも思わなかった。


「流射芽さん、駄目です!  怒りで自分を見失ってはいけません!」


 しかし、サーシャのその声は、もう届いてはいなかった――


「【ヒコクニンヘ、ハンケツヲ、イイワタス……】」


 完全に自我を失う。

 体中から業火のような黒い炎が突如として噴き出し、それが全身を覆っていく。 

 傷口から漲るようにして溢れる憤激のエネルギーは、俺の心を絡め取り、本来の判決など失笑として一蹴する。

 そして滔々とする昂揚感と征服感は計り知れず、それに浸り、呑み込まれながらフレアのような現象が発する度にポタ……ポタッと、己の肉塊が床へと零れ落ち、痛苦をも凌駕する恍惚とした悦びに快感を覚え快楽を貪る。

 そうして融点を迎え、液相し蒸発するさましだるものを纏わりつかせつつ、呪詛のような言葉を続けていた――


「【コノバデ……】」


 どこからともなく出てきたおぞましい声で、告げる。


「流射芽さん、落ち着いてください!」


 サーシャの悲鳴にも似た呼び掛けが霧散する。


「このままでは、術式が持ちませんぞ!?」


 シーレさんの焦燥の叫びが掻き消える。


「どうなっちゃってるの!?」


 メルティナ達の驚倒が、弾かれる……。


 逸脱した判決と尋常ならざる力の介入。

 担当本の激しい動揺による威光ホーリー供給の不安定。

 その光景に対処の方法が見い出せずにいる少女達。

 この状況で、それぞれが存分に力を発揮し得る事など到底できよう筈もない――


「シーレ。間接供給を解除。直接、乱心者お兄ちゃんから受け入れる……」


 涼ちゃんが決意の表情で述べた。


「……!?」


 シーレさんが瞠目する。けれど次の瞬間には、メガネ越しの可憐な顔立ちの中にある、決して消えない灯火を彼女の瞳の中に見つけて、口元を僅かに綻ばせる。

 そしてセントーリア最高裁判所の歴っきとした職員の凛とした決意を受け留めて、彼女は朋輩ほうばいの淡々とした連絡事項に猛々しくも美しさを伴わせ、「――委細、承知!」と、命運を分かち合う同僚ともへ、力強く声を掛けた。


「やめてください! そんなことをしたら、二人ともどうなってしまうか分かりません!?」


 サーシャは泣きじゃくりながら叫び、必死で止めようとする……けれど揺るぎない二人の決心が、詠唱うたのようにして、短いながらも繊細な言霊を響かせた――


わたくしは……」


「涼は……」


「マイマスターの……」


「ぉ兄ぃちゃんの……」


「――補佐役です!」


 想いが揃う。己を賭す。今この瞬間に、全てを捧げる。

 そうして今一度、瞳を合わせて、共鳴するかのようにして同じ台詞を力強く吐き出した。


「――諾否不要ダイレクトイン!」


 サーシャから供給される威光ホーリーの流れを二人ともに自ら断ち切ると、それと同時に自我を失ったバケモノと化す裁判官へと向けて、光り輝く動線を発現させて強引に繋ぎ始める。

 するとその負担は想像を絶するもののようで、威光ホーリーが流れ込み始めると、彼女達は直ぐさま痛苦に顔を歪めた。


「涼ちゃん殿!」


「いける……」


 二人は鼓舞するかのように声を掛け合い、職務を遂行する。


「術式展開! 建物内にいる全員を傍聴人として召喚! 法廷陣、再発動!」


 澱みのない直向ひたむきな心で、シーレさんが燃える髪色のようにして熱く告げる。


「術式展開。発言記録、流射芽裁判官の【ハンケツヲイイワタス】以降、削除、および……」


 迷いのない、澄んだ声音で涼ちゃんが述べる。

 すると、全員に対して、文書作成編集機から放たれた無数の光が降り注ぎ始めた――!


「かはっ!」


 シーレさんが吐血する。けれど彼女の強固な意志は、唇を潰すように噛み締める事に依って其れに抗い、術式を更に強固なものへと形作る!


「っ!……」


 意識を失い掛ける涼ちゃんは、転がっている木片を拾い上げると、それを太ももに自ら突き刺し、激痛に拠る鼓舞で己を奮い立たせて、鉛のように重くなっていく指を懸命に持ち上げタイプする!


 だが……しかし、そんな補佐役達を嘲笑うかのようにして、意識のない俺は、獣人へ「【シケイ《死刑・私刑》】」と宣告して、手を伸ばす――


「――Re、スタート」


 涼ちゃんの、その言葉とタイピングに……状況が一変した。


「――!?」


 光のシャワーが俺の体中に、澄み渡るようにして降り注いでいった……。

 すると先ほどまで発現していた黒い炎が力強さを失っていって、やがて鎮火するようにして白い煙へと姿を変えていく……。

 そして黒い触手が闇の中へ身を潜めるようにして瞳を解放すると、双眸の色合は正気を映し出し、俺は徐々に意識を取り戻していく。

 すると生々しい汚辱を受けたような反動からか、上体を仰け反らせ痙攣を起こしながら、「ぅぅぅ"っ――」と、咽頭音を口から漏らし、俺は何が起こったのかも分からないまま、力尽きて倒れ込んでしまった……。



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