第3話、【Mother】お達者で・・・
次に、西側にある俺の執務室となる部屋へ案内された。
そこは、【Mother】や正面玄関があった場所から数えて五つ目のところで、その隣の六つ目の部屋が当面の間、俺が寝起きする場所だという。というのも、大方の裁判官は生活に慣れると、裁判所周辺に居を構えるらしい。
サーシャの話によると、この辺りには、裁判所を取り囲むようにしてエウティアという名の街が出来上がっているということで、それはこのセントーリア最高裁判所が開かれた唯一の裁判所であり、諸国の人々は皆、その偉大さを一目見ようと観光に訪れ宿泊場所を求めて活気づいた結果なのだそうだ。
「流射芽さん、お着きで~す!」
扉をノックしノブを回し押して、サーシャが声を掛ける。
「……」
中を覗いてみると、床には緑色の絨毯が癒しを与えるようにして敷かれていて、正面奥にはアンティーク調の机が一台。それから中央を広く空けるようにして、二人の女性が向かい合わせで事務的な机を前に腰掛けている。
「……」
右奥には廊下のデザインと同じものだが、それよりもコンパクトな窓が明り取りの役目を果していて、そちらの壁際には五段積みの本棚が設置されてあり、そこには法律関係と思われる厚い本がびっしりと整頓されている。
それから反対の方へと目を走らせてみると、女性の後ろには書棚が背高く据え置かれていて、裁判資料の膨大さを物語っていた。
(おっと)
二人の視線を感じて、俺は笑顔でそれぞれに軽く頭を下げた。
するとそれが合図となったようにして、二人が立ち上がり近づいて来た――
左側の女性の身形は、紺色のメンズスーツと思われるスタイルで、白のワイシャツから覗くショートの淡い同系色のネクタイがそれを引き立たせている。
足元は俺と似たような色の、黒いローヒールのパンプスを綺麗に履きこなしているのだが、何と言っても真っ赤に燃えるようなロングヘアーが、彼女の全てを映えさせていて、その凛々しい表情を一層素敵なものとしていた。
「初めまして、マイマスター。
身長は俺よりもやや高い。パッと見た所、180cmは超えてるんじゃないだろうか。それにシャツのボタンを弾き飛ばさんばかりの立派なお胸がなんとも素晴らしい。
今の俺の外見であれば、恐らく彼女の方が年上だろう。ここは敬語で接しておく方がいいかな。
「初めまして、シー――」
「メス豚とお呼びください」
時が、止まった気がした。
「シー――」
「セントーリアが生んだ奇跡、千年に一度の逸材! ド腐れビッチのメス豚とお呼びください!」
(讃えてんのか貶めてんのか、どっちだよ……)
気が付けば、握手をしようと出しかけていた手を俺は引っ込めていた。
「危険人物。構う必要ない……」
右の少女は簡潔に述べる。
「
やや無表情に見えなくもないその子は、ことば少なに俺に挨拶をくれた。
彼女の服装はというと、ベロア素材のようなダークストレイトグレーのワンストラップを履き、ライトブラウンを基調とするフォーマルな学制服のような装いで、チェック柄のスカートがブレザーとよく合い、蝶ネクタイが女の子らしさを引き立てている。
それにまるい黒縁のメガネと、それよりも深みのある黒髪のショートヘアがとても印象的で、可憐な顔立ちに華を添えていた。
(それにしても、こんな小さい子が就業しているとはねぇ……まー、こっちの
「よろしくね! す――」
「――ちゃん」
何か、聞こえた。
「……え?」
「――ぉ兄ぃ、ちゃん……」
そう呼ぶ幼な声は、何処か奈落の底へと俺を引きずり込むような、そんな戦慄を覚える響きが備わっていて、その子が小首を傾げ虚ろな瞳で続けようとした「いっぺん、死ん――」という言葉を、俺は素早く彼女の口元へ手を遣ることで遮った。
気まずい雰囲気を和ませようとしてなのか、サーシャが二人のことを明るい調子で紹介し始めた。
「シーレさんは訴訟の受理や裁判が始まった時の法廷陣の術式展開などを務める、とっても優秀な事務官さんです!」
「ストレスが溜まりましたら……いえ、溜まらずとも罵声・羽交い絞め・鞭打ちなど、いつ
(ヨダレ垂らして言うなや……)
「す、涼ちゃんは神童と呼ばれていて、裁判中の発言や出来事などを記録する書記官さんなんですよ!」
「いつでも
(堂々と不正宣言!?)
「……さ、裁判は以上、この4名で明日から執り行いまーす!」
サーシャは顔をヒクヒクとさせながらも笑みを絶やすことなくそう言って、本日は、お開きとなった――。
そして翌日。
サーシャや他の二人が何処に住んでいるのかを聞いてみたところ、シーレさん、涼ちゃん共にエウティアの街中で、シーレさんはSMグッズ専門店の上のスペースを賃借しているということで、涼ちゃんは劇薬を販売する薬草店に下宿させてもらっているという話しだった。
そしてサーシャはというと、この執務室で本の姿となって眠るそうで、担当本の中には、外に居を構えた裁判官と一緒に住む本も少なくないらしい。
「なんだかまるで、カップルか夫婦。あるいはメイドみたいだな」と、俺が言うと、「だから言ったじゃないですか。1人と1冊で1つ。一蓮托生、公私混同、死なば諸共だって」
気の所為か二つほど、増えていませんか?
――そうして早速、午前中から裁判が執り行われた。
法廷に入る前、執務室でサーシャから法服を渡される。
「ほぉ……」
同じようなデザインだったが、こちらの方が断然いい。
清潔感があり、シルクのようなその厚手の生地は縫い目もとても丁寧だ。
通気性もよさそうだし高貴な気分を感じさせる。
あっちの世界のものといえば、薄っぺらい上にみすぼらしく、まるで埃を被ってもそのままにしてある古着屋のようなものだった。
黒い理由が汚れを目立たせない為なんじゃないかと疑ったりもしたもんだ。
そしてそんな装いで人を裁くという事に俺は抵抗があった。
恰好じゃないかもしれないが、相手にとっては一生のうちで早々ないはずの事。
それなのに汚れているそれを纏って上から物申すとは、一体どういうことなのやら。
そして以前、そのことを刑事事件担当裁判官である『狩猟民族』の同僚に話したことがあるのだが、「裁くんじゃなくて、捌くね」と、俺の言葉を訂正していた。
「サーシャの着ているそれも、法服なの?」
気を取り直して、先日から目にしているサーシャの服を眺める。
「はい。この法服の色には、それぞれ意味があります」
「?」
「私の白は、
「ん?」
「あなた色に染めてください……というのが、隠れた意味としてあるそうです」と言った。
「た、担当本によって違うのかなっ!?」と、俺はシドロモドロになりながら聞いてみた。するとサーシャはニッコリと笑って「はい!」と、元気よく答えてくれた。
「ちなみに裁判官の、この黒は?」
袖に腕を通す……うん、ピッタシだ。
「何事にも動じない毅然さと、何かあったとしても従容と振る舞うことを戒める色です」
俺にピッタリ……ということにしておこう。
法廷の造りは、あちらの世界とほぼ一緒だった。
違う点と言えば、原告と被告がそれぞれ着席する椅子が、法壇の方を向いて用意されていること、俺らが其処へ上がる為には、傍聴席の端から上がって行かなければならないこと。それから法壇裏に控室がないということぐらいだった。
まぁ、判決を不服として、襲われたりすることがないのであれば、特に問題は無いだろう。
――そして昨日の面子で、それぞれが所定の位置へと向かう。
法壇の下には、昨日の執務室と同様の位置関係で、シーレさんと涼ちゃんが席に着いた。因みに涼ちゃん以外の他の事務官さんや書記官さん達は皆、シーレさんと同じようなスーツ姿だという話しで、先ほど此処に入って来る途中で見掛けた。
「――それでは、これより裁判を執り行います! 」
尋問席でサーシャが本に姿を変えるのを確認して、俺は極力威厳が損なわれないようにと、姿勢を正して宣言する。
「……」
傍聴席には数人の人達がいるのだが、雰囲気から察すると、恐らく傍聴マニアだろう。何処の世界にも人の不幸はなんとやらがいるもんだということに、俺は思わず苦笑してしまいそうになった。
「――!?」
そんなことを考えていたら、【Mother】と俺が見えない動線のような何かでコネクトしたみたいな感覚があって、それと同時にサーシャとも繋がり共鳴しているという感覚も伝わって来た。
そして
そうしてサーシャへと其れを受け流し、それを彼女がシーレさんと涼ちゃんに問題なく供給していく……。
すると其れを拠り所として、二人が役割を果たし始めた――
「民事法廷陣、術式展開! ――亀甲縛り!」
「……」
涼ちゃんはというと、独り言をブツブツと呟きながら、術式で形成した文書作成編集機を使い、ひっきりなしにタイピングをしている。
「●¥£И¶Ю……Fu○k……」
「……」
妙な言葉はさて置き、二人の仕事ぶりに、俺は感嘆した。
「原告の方。尋問席へお願いします」
そういうと、辛気臭い原告は立ち上がり、尋問席へと向かう。
俺はその様子に、改めて裁判資料に目を通した――
名前/ストーリ・アラティス
性別/男性
年齢/42歳
職業/引きこもり
訴状内容/時効の援用に依る、所有権の取得確認
(フム……それにしても引きこもりって、職業なの?)
七三に整えられた白髪交じりの髪に貧相な相貌で、古びた小説の頁のようなローブに線の細そうな体を包み込んで、一枚革のフラットな履物で存在感薄く佇む。
そんな彼が、輝きながら宙に浮くサーシャへ手を翳した……
「――!?」
この瞬間、俺の頭の中に
(ん? この感覚……)
説明を聞いていた限りでは、サーシャから提供されるのものを受け入れるような、そんなつもりでいたのだが、実際には、サーシャ自身を手繰り寄せているかのような感覚だった。
そしてそこには、形のないサーシャが感じ取れる……。
なるほど確かにこれは、一人と一冊で……一つだ――。
「次。被告の方、お願いします」
こちらは……
名前、バルバ・シラドさん。
職業は採掘師。年齢は本人も知らないとのこと。
立派な体躯をしていて角刈りの頭は概ね白。厳めしい顔に見事なまでの顎髭を生やしているのだが、低い団子っ鼻には何処か愛嬌がある。
仕事熱心の余り二十五年ほど家を空き家状態にしていたところ、久々に帰ってみると知らない男が住みついていたので追い出した……と。
(……ふむ)
麻色のタンクトップをタイトに着こなす姿や紺のズボンの上からでも分かる四頭筋の逞しさは間違いなく肉体労働者であろうと思わせるものがあった。
そしてそんな被告さんも、何枚にも重ねているであろうブーツをゴツゴツといわせながら尋問席へと立ち、ぶ厚い掌を翳した――。
(あ~、なるほどね)
頭の中に適用可能な法と判決が、くっきりとイメージされてきた。
まぁ、そうなるわな。
「判決を言い渡します……」
そういうと、俺の中に
そして目の前には、碧く光り輝く真っ白な判決用紙が浮かび上がって来た――
(かっけぇぇぇ……)
右手を書面の左端に翳して、そこから一気に横へと走らせる!
すると更なる輝きを放った書面には、俺の掌から溢れ出すようにして顕れた文字達が、その紙に次々と刻まれるようにして文言となっていく!
見れば涼ちゃんのタイプのスピードが上がり、シーレさんも術式を強めていた――。
「はんけーつ! 原告の訴えを棄却します!」
それと同時に判決文は双子のようにして二通となり、原告・被告のもとへと飛んでいき、それぞれの体の中へ、溶け込むようにして消えていった。
(いや~、感動的……)と、俺が酔いしれていると、
「なんでですかぁ~」と、原告さんは涙ながらに訴えかけてきた。
「えっとですね~、判決文にも書いた通り、時効の援用をする為には、条件があるんですよ」
「だから、もう18年も住んでるんですから、認められるはずですよねぇ~?」
「それは『善意』、いわゆる『知しらない』、ということと、更に過失がない場合です。ですが貴方の場合は、その家が自分の家じゃないということは、ご理解されてるんですよね? 流れ込んで来た記憶によると、名札を確認してましたもんね?」
「はい……」
「ということは『悪意』、『知っていた』、ということですから、20年経たないと時効は完成しないんですよ」
「そんなぁ~……」
原告さんは泣きじゃくる。
「……」
本来であれば、さっさと戻ってしまうのが裁判官なのだが、折角の異世界だ。
違う方法もあるんじゃなかろうか。
「バルバ・シラドさん」
「なんだ?」
その様子を見ていた被告に、俺は声を掛けた。
「シラドさんは、またお仕事で出掛けられるのでしょうか?」
「ああ。また長いこと留守にする予定だ」
「それでしたら、アラティスさんに留守を預かってもらうというのは、如何でしょう?」
そこでアラティスさんはピタリと泣くのを止めて、シラドさんに情けない顔を向けた。
「……そうだな。家の中も綺麗になるようだし、それで構わん」
シラドさんはそれだけを伝えると、「仕事だ」と言って、何処へともなく去って行った。
「ありがとうございますぅ~」
アラティスさんは心優しいその背中へ向けて、泣きながら感謝の言葉を送った。
(……なんか、いい光景だな)
俺は何故か、ふと、そこで思い出していた。
駆け出しの俺が人を裁くことに悩んでいた頃、女性の先輩が飲みに連れて行ってくれたことがあった。
「流射芽くん。判決文を書くっていうことは、冷静に冷酷になるかもしれない答えを導き出すという事よ。だからといって、非情な人間になることではないわ。人としての温かみを持ちつつ、一文字一文字に思いを込めて判決文を作り上げる。そしてそれを繰り返すことによって、この世界の一端を担う存在になっていくんだと、私は思うの……」
俺は今でも、言葉一つ一つを確かめるようにして話す先輩の真摯な眼差しと、その後に恥ずかしそうにして笑った、赤いリップが映える口元が忘れられないでいた。
「……」
――そしてその後、先輩は、行方不明になった。
□
「よ~し! 一発目、無事終了ー!」
「流射目さん、お疲れ様でした」
サーシャが姿を戻す。
「マイマスターの見事なお裁き……いやぁ感服いたしましたぞ!」
「ぉ兄ぃちゃん、ようやった……」
三人共に満足げな表情を浮かべている。どうやら出だしとしては、良い裁判になったようだ。
「よし! 二件目は?」
「本日は、これで終了です……」
サーシャが不思議そうに言う。
「どしたの?」
「流射芽さん。どこか調子悪い所とか、ないですか?」
「全然。むしろ絶好調! 若返ったせいかな?」
「そう、ですか……」
そして翌日も難なく裁判を
「サーシャ。悪いんだけど、もうチョイ裁判の数を増やしてくれない? なんだか鈍っちゃいそうなんだよね」
「……分かりました」
翌日から3件
翌々日5件。
翌々々日10件。
翌週には1日30件をこなしていた!
「あの……流射芽さん?」
「なに?」
「体調は?」
「すこぶる良好!」
「……不思議です」
「何が?」
「普通、あり得ないんです」
「何が?」
「どんなに耐えられる裁判官でも、良くて一日五件が限度なんです。それを流射芽さんは圧倒的に凌駕しています……」
「そうなの? ま~俺が問題ないって言ってるんだから、いいんじゃないの?」と言った、その時!
――ゴゴゴゴゴッ!
「なんだ!? 地震か!?」
強い揺れが襲ってきた!
「こんなこと、初めてではないでしょうか!?」
サーシャは不測の事態に考えを巡らせる。
シーレさんは「最高の仕打ちですぞ!」と、
涼ちゃんはというと、「ぉ兄ぃちゃん、楽しい……訂正、怖い……」と言って、俺の脚にガッチリしがみ付いて離れない……。
――んでもって、そうこうしていると、
「(ワッチァ、【聖:法の書】でありんすぅぅぅぅ)」
(……は?)
全員が顔を見合わせたあと、サーシャを直視する。
そして【法の書 《サーシャ》】はというと、瞬きするのも忘れて固まっていた。
「(ワッチァ、長い年月、この世の秩序の為、身も心も捧げて参りんしたぁ……特に体をw。なのに未だ身請けの話もありんせん。ワッチもこのままじゃあ、行かず後家と
「――行こう!」
俺らは急いで【性:
「――あっ!?」
部屋へ辿り着いてみると、ちょうど【聖:法の書】である【Mother】が
「【Mother】ーー!?」
サーシャが悲鳴とも取れる声を【聖:法の書】へと送る。
「さ~ら~ばぁ~~~~――」
そうして【Mother】は駆け上るようにして、
■
直後、辺境の地。
一人の女が、何もない僻地で佇んでいた。
両手をまじまじと見る。
空を見る。
ゆっくりと辺りに目を遣る。
そうして一言、「戻って来た……」と、赤い唇を引き攣らせ笑った。
――女は独り、喜びで打ち震えた。
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